odd_hatchの読書ノート

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アガサ・クリスティ「葬儀を終えて」(ハヤカワ文庫)

 大富豪のアバネシー家の当主リチャードが亡くなった。葬儀を終えて、遺言状が公開されたとき、妹コーラが無邪気な顔で口走った。「だって、リチャードは殺されたんでしょう?」。その翌日、コーラはなたで頭を割られた惨死体となって殺された。遺言状の内容はごく穏当なものだが、額が大きいだけに相続人全員が嫌疑の対象。弟たち(いずれも死亡)、妹、甥、姪、その配偶者。リチャードはビジネスに辣腕をふるったが、この相続人たちはいずれも生活無能者。遺産を食いつぶして生きている一方で、実現性の低い夢を見ているばかり。コーラの殺害された日、相続人たちのアリバイを調査するために、法律家のエントウィッスル氏が彼らの聞き取り調査を始める。

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 このあと事件らしい事件がおきるたのは、コーラの家政婦がヒ素入りケーキを食べて中毒を起こすことと、もう一人の姪がポアロに証言しようとしたときに殴打されて脳震盪を起こすくらい。で、聞き取りの様子が書かれるのだが、相続人たちのおしゃべりなこと。自分の半径5m以内のできごととうわさ話と昔話を延々と続ける。エントウィッスル氏はジェントルマンだから彼らの話を遮ることはしない。そこで、読者は事件に関係ないことを聞かされる。好意的に見れば、リチャードという強い権力の持ち主がいなくなったことで、抑圧が取れて本性が現れた、という解釈もできるだろう。そこからイギリスの上流階級の趣味とか習慣とかを見出し、戦後それらが失われたことを懐かしむよすがとして当時の英国の読者は読んだのだろう。全部で350ページあるけど、事件やアクションが書かれたのは50ページくらいかな。その他は、おしゃべりと雑談、打ち合わせ。長い長い話を聞くことになる。
 そういう書き方のしたのはもちろん手がかりや動機を隠すため。このつまらないおしゃべりのところどころに真犯人の痕跡が潜んでいて、表層のつまらなさのために読者は見逃してしまう。いくつかの犯罪において「どうやって」の謎はまったくない。となると、「なぜ」真犯人はその犯行を実行したのかという謎だけがのこり、「なぜ」を突き止めたときに、真犯人が浮かび上がるというわけだ。この真犯人の動機はありふれたものだが、その理由で実行するのかというのは驚きになる。最後の20ページでそれまでかみ殺していたあくびはどこかにすっとび、目を覚ますことになるだろう。このあたりの手腕はさすが。
 と思うのだが、途中のおしゃべりにはへこたれる。これはポアロではなく(いつになく印象が薄い)、ミス・マープルにふさわしい。1953年の初出で、同じ年に「ポケットにライ麦を」が書かれていて、こちらはもっとスケールの大きな事件と背景だったので、ポアロにふさわしい。探偵を入れ替えたほうがよかったのではないかなあ。と、60年前の作品に愚痴をいってしまう。詮無きことなのに。
 初出のころというと、イギリスはドイツの空襲でインフラや生産資本のかなりを失った。そのために戦後の経済復興はなかなか進まず、アメリカの投資を必要としていた。それは資本家の構成を劇的に変化することになり、この小説でも戦前の貴族やジェントルマンの経営はうまくいかない。新たな起業家やビジネスマンにとってかわられるという変化が起きていた。という事情が事件の背景にあるのだが、小説にはあまり反映されない。みかけは昔ながらの館ものだ。
 作者はこのとき62歳。そのせいか、被害者や容疑者の年齢は一応に高い。最年少が20代後半の既婚女性という具合。大半は50歳以上。作者の年齢に近い分、彼らの描写は生き生きとしている。たぶん小説の読者も同じくらいの年齢だったのだろうなあ。大人の読み物としての探偵小説。そこにはうんちくよりも、人生観照の確かさのほうがもとめられるのだろう。中年から老年になるとただたんにしゃべることが目的になるとか、所有することに人々は喜びを見出し目的になるというような観照なのだけど、そこには「真実(打ち消しがたい確かさがあるという程度の意味で)」がある。