odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

栗原俊雄「戦艦大和」(岩波新書)

 戦艦大和のことは昭和40年代半ばに読んだ少年向け戦争ノンフィクションで知った。悲惨な結末に戦慄したが、その後あまりに痛ましくてきちんと調べ直したことがない。「太平洋戦争」の通史を読むと必ず言及されるし、沈没した船体を引き揚げるプロジェクトが報道されるなどして、記憶にひっかかってはいるものの、何となく避けてきた。ここでようやく読んでみる。

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 この本は2007年の刊行で、それ以前に毎日新聞に連載された記事をもとにしたもの。記者は当時30代前半で、戦争を知らない世代(俺もだが)。当時存命中だった大和の乗員(3332人が乗員して生還できたのは276人)の証言を再録した。当時80歳を超えていた人ばかりというので、このような証言を集める機会はもうないだろう。
1.1920年代に軍縮が行われ、世界中で軍艦の建造が停止された。それが1930年代半ばに失効し、ほぼすべての先進国で建造されるようになる。大和は1934年にプロジェクト開始。1940年に竣工。排水量や主砲などは世界最大規模。貧乏海軍戦術であるアウト・レンジで撃ち合うというための巨大戦艦。しかし、当時すでに海軍の戦術が航空母艦を中心にした機動部隊にうつり、戦艦同士が主砲を打ち合う19世紀的な戦術はすたれていた。にもかかわらずこの国の海軍は建造する。大和は当初予定していた速度がでないので、艦隊から遅れてついていくしかなく、実戦はレイテ沖海戦と沖縄特攻くらい(主砲が発射されたのは一度だけ)。世界の無要物と自嘲された船を海軍は捨てることができない。一度実施が決まったプロジェクトは完成しなければならず、成果物がミッションを達成していない場合でも廃棄することができない。
2.昭和19年末には連合艦隊は機能を喪失していた。稼働できる艦船は国内に撤収したもの、数はわずかで、燃料がなくて動かせない。海軍のリソースは特攻機に集中していたので、艦船には回されない。しかし沖縄戦が始まった時、水上部隊の「怠慢」が非難され、大和による特攻が企画された。命令書に「海上特攻隊」と書いてある。作戦目的も戦局打破ではなく、海軍の「伝統と栄光」のためという倒錯した内容だった。「伝統と栄光」を守るというあいまいな命令で、死を強制された三千数百人こそあわれ(飛行機の特攻兵は自宅に帰るなどの特典があったが、大和の乗組員には機密保持という名目で無かった)。捨てることが決定されたら、多くの人の犠牲を無視して、無謀な使い方がされる。そして決定者の無責任、現場の過酷な勤務。この国のさまざまな組織で行われるプロジェクトの弱点が集約している。
3.出撃後数日を経ずして、発見され、数百機の飛行機による襲撃をうける。艦上では敵機の攻撃により死傷者多数。機銃に防御壁がなかったことが戦闘員の被害を拡大。戦闘が小休止すると生存者は、近くに散らばる人間の部分(肉、頭、腕など)を手づかみでバケツにいれ、血の付いた手で握り飯をほおばる。そのとき、感情は摩耗し、何も感慨が生まれない。数時間の戦闘ののち沈没。艦底部の乗組員は退避命令が遅れたことで溺死者多数。沈没を防ぐために隔壁を閉鎖するが、その先には逃げ遅れた乗組員が列をなしている。一瞬の差、運が兵士の生死をわける。沈没後の救命活動中には極限状況が待ち受ける(救命艇は満員でそこに誰かが乗り込もうとする。乗り込むと救命艇が沈み、拒むとその人は死ぬ。誰を選ぶ?というやつ)。
4.子供の時に読んだ戦記ノンフィクションでは、駆逐艦に救出されて生き延びたというところで終わったが、この本ではその後が語られる。兵士の側からすると、通常戦死者は二階級特進が認められるが、水上部隊の特攻は例外的に適用されなかった。たんに海軍の人事担当の事情であったらしい。生き延びた人は後ろめたさで口を閉ざし、体験を語ることをしない。ときに弔問で生き延びた上官が戦死者の遺族を訪れると、訪問を拒否されたりなじられたりしたらしい。排除の体験とそれによる適応障害を経験したものも多い。遺族もまた偏見を持たれることもあったという。悲しいのは戦時中に結婚し、数か月の同居ののち男が死亡し残された妻。再婚せず、子供を育てたという方もいらした。
 こうやって大和の通史を知ると、発端から沈没、その後始末まで、どこもかしこもでたらめで、無責任なプロジェクトというしかない。なるほどかつては大和のプラモデルも作ったが、他の旧日本海軍の艦船ほどの思い入れがないのは、このでたらめさ、だらしなさ、無責任さに呆れたからだろう。
 にもかかわらず、大和は旧日本海軍の象徴のような存在になっている。その艦船名と悲愴な最後にあるのだろう。個人的な思い入れには別にして、愛国主義的なアイコンにされるのは困る。航空機に襲撃されると戦友の首や四肢が甲板にごろごろしていたとか、肉を片付けた後戦友の血にまみれた手でおにぎりを食ったとか、船体が傾き退避命令がでたあと艦底部の乗員がハッチを開けろと電話で呼んでいるのをもう水が入っているので開けられないと返事をすると「万歳」の声を残して電話を切ったとか、大和から退避したあと水中に誰かにしがみつかれたが蹴りはがしたとか、駆逐艦の救命綱に人が群がって重みに耐えられずに綱が切れたとか、救助されていない乗員が海に残っているのに駆逐艦は海域を脱出したとか、生還者が経験したことは愛国主義の薄っぺらな賛美にはまったくそぐわない。