odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

栗原俊雄「特攻 戦争と日本人」(中公新書) 「英霊」を過剰に顕彰する連中は、「英霊」を生み出した原因を検証したり、これから二度と「英霊」となる犠牲者を出さないようにするかを真剣に考えていない。

 栗原俊雄「戦艦大和」(岩波新書)では、戦艦による水上特攻をテーマにしたが、こちらは15年戦争(1931-1945)の生還を期さない戦闘を取り上げる。
 さまざまな事情で生還を期さない戦いを選択することは、戦場においてみられる。飛行機や戦車や船舶の運行に問題があるとか、圧倒的な兵力差があるとか。アメリカでも1942年の最初の東京空襲でも、ドリトル隊は空母帰還を想定しなかった(日本占領地以外に着陸するなどして生還者はいる)。とはいえ生還を期するための手配はしているし、搭乗員らに自死を命じることはない。戦術として採用しているわけではない。

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 しかし、大日本帝国軍は、英米開戦から生還を期さない戦いを想定し、実行していた。1941年の真珠湾攻撃において、帰還不能な性能しかもたない特殊潜航艇を出撃させた。10人中9人が戦死し、一人が捕虜になった。1944年3月ころから陸海軍が検討を始め、10月から実戦で行われるようになった。1941年の英米開戦当初の日本海軍は装備も兵士の熟練もトップであった(なにしろアメリカは太平洋に展開する空母を所有していない)。それが3年後には逆転する。日本の空母はゼロになり、アメリカは12隻も所有。日本海軍の機動艦隊は特攻が始まったころにはほぼ壊滅状態。すでに熟練搭乗員は激減し、未熟練の若手搭乗員しかいないうえ、製造される飛行機はポンコツ。状況を転換する方法として考えられたのが、生還を期さない戦い(特別攻撃、特攻)だった。
 このあと奇妙な特攻兵器の数々が紹介されるが、ここでは割愛。約1年行われた特攻は、フィリピン諸島パラオ諸島硫黄島沖縄諸島で主に行われた。戦死者は約1万人と推定される(戦艦大和の水上特攻で戦死した4000人を含む)。彼らは志願や自発的であったとされるが、実情はそうではなく、強制や命令がほとんどであった(大和の水上特攻は命令で行われ、搭乗員の意思は確認されなかった)。
 生還を期さない戦いを行いことは葛藤とストレスをもたらすが、命令する側の理屈は「精神力で勝て」「肉体は死んでも精神は死なない」「民族的な記憶を残す」「後から行く」であった。明治維新からの政府は政治と宗教を一致させ非合理が通っていたが、戦時になって非合理やカルトな意見がまかり通るようになる。加えて最後の「後から行く」はたいてい実行されず、ときに命令した側が戦地からさっさと逃げ出しもした。そこには、為政者や権力者、それに迎合するするものの民衆嫌悪、大衆蔑視がある。特攻を命じられるのは、若者や学徒動員兵。社会的エリートから兵士になったもので、古参の兵士は除外される。人の命を粗末に扱う現場では、社会階層による差別があった。(天皇も「よくやった」といい、それを背景に特攻が進められた。まあ、通常攻撃でも不眠不休や低栄養や装備の不備などで、搭乗員の死は日常的であった)
 特攻は戦術の外道であるという認識を軍の上部はもっていた。この攻撃にアメリカ軍はすぐに対処したので、成果はでなくなった。、通常の攻撃よりも効率が悪かった。それはわかっていた(非熟練者の誤認や現地指揮所の虚偽報告のために戦果が過大に伝えられた)が、特攻は継続される。そのころには戦果よりも出撃することが目的になっていく。1943年ころに検討された和平交渉も特攻による戦況の変化を期待して、中断された。
 なので、特攻による「死」を「英霊(これは宗教用語)」などと顕彰するのはばかげた考えで、民衆嫌悪・機会主義の愚劣な軍隊や政府批判を妨げ封じることにしかならない。
 敗戦後はそのような認識はあったようだが、占領が終わると、戦争肯定や軍人の顕彰が行われるようになる。1950年代に特攻の戦死者を顕彰する映画が作られ、60年代に戦記ブームが起きて体験者らの感想が読まれ、少年雑誌に特集が載った(俺も1967年の少年マガジンで海軍航空隊の特集を読んだことがある。訓練や攻撃などがイラストで描かれ、最後は海上に不時着したと搭乗員が祖国を思ってピストル自殺する)。軍や政府批判のないこれらの実録やフィクションはよくない。戦死者と自分を重ね合わせ、命令を懐疑することなく遵守する、過剰な労働で心身を酷使する、自己犠牲をいとわないことなどを真似するようになる。そこから組織や集団のための自死を決意するまでわずかでしかない。他人の人命や人権をおろそかにするようになる。自己犠牲を命じる側に自分を同一視する。
 本書はそこまでの批判を含んでいない。物足りないけど、これまでは個別に語られていた特攻の全体がわかるようになったのは貴重。

 

(以下余談。日本人には生還を期さない戦いを称揚する歴史がある。源義経の死、楠木正成湊川大阪夏の陣真田幸村島原の乱、白虎隊。明治政府後は日露戦争の旅順湾港封鎖作戦、爆弾三勇士など。
さらに余談。生還を期さない戦いと自死の顕彰のもっとも有名なのは「赤穂浪士」。恥をかかされた主君の自死。生還を期さない53人のテロリスト。寝込みを襲う奇襲。のちの大日本帝国軍が行ったことが、ここに集約されている。それを「美しい」「泣ける」と言って繰り返し鑑賞するもののグロテスクなこと。)

 

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