2021/07/30 都筑道夫「三重露出」(光文社文庫)-1 1964年の続き
サミュエル・ライマンのスパイアクションの物語を中断するかのように、滝口正雄(都筑道夫が使っていたペンネームのひとつ)の楽屋話が挿入される。滝口はS・B・クランストンが書いた「三重露出」の翻訳者。なぜ翻訳したかというと、登場人物に沢之内より子がいるため。彼女は滝口のグループのひとりで、2年前に事件で亡くなっているから。その事件は迷宮入りになり、より子を殺害した犯人は見つかっていない。滝口は小説に触発されて、事件の再調査を行う。
その事件がおきたとき、より子の家には若者5人が集まって、ブラック・ジャックやインディアン・ポーカーなどのカードゲームを徹夜でやっていた。途中抜けるものもいたが、実質はそれぞれが監視している状態であった。滝口は彼らの証言を聞き集めたが、殺害に関する重要な証言は得られない。また、より子は同じ家にいたが、ゲームの連中とは別室にいて、気付かれずに侵入することは可能だった。それらの情報から滝口は栄子が犯人であると推理し、問い詰めるもはぐらかされる。滝口の推理はほかのメンバーからのおかしなところを指摘される。「つまりおれは、何も見えないし、なにも聞こえなかった、というわけか」という自己嘲笑のところで終了。つまりだれが犯人だったのかわからない。
滝口正雄はたまたま入手したペーパーバックに、知り合いと同じ名前の登場人物がいるのを発見する。調べると、クランストンに日本の事情を教えたものが事件の関係者で、そのときにより子の生をを使ったのだそうだ。滝口は翻訳作業と同時並行で、調査を開始する。以下は俺の妄想。滝口は、ヨリコの描写を実際の事件に引き付けるように翻訳したのではないか。すなわちヨリコはサミュエルの援助者として現れ、サミュエルが事件に深く関与するように仕向け、最後にはサミュエルを裏切る。そのような心変わりと態度の変化は滝口からみたより子だったのではないか。滝口が語り手のパートでも、より子は「運命の女(ファム・ファタール)」であって、誰からも羨望されるが、誰かの庇護にはいることをしない自尊心の強い女性。滝口はほんろうされたのではないか。なにしろ滝口は妻がいて離婚している。相手の名前は書かれない。もしかしたら、相手はより子だったのでは。滝口は事件当夜の出来事でアリバイを主張している。その夜、突発的な仕事で60枚の翻訳を仕上げたのだと。これは滝口がいっているだけで、検証されていない。実行できるひとりに入っているのだ。では動機は? 本文中に気になる言葉が滝口からでている。「女に捨てられた男のうらみ」。滝口はとても強い容疑者なのだ。当の容疑者の書いたパートではあいにく名探偵がいないし、書いた本人の信頼性も低いのでここまでしかいえない。
(講談社大衆文庫版では、どこかのミステリ研究会にいるだれかが滝口が真犯人とする解説を書いていた。おれのこの妄想も解説に影響されていそうだ。ちなみに、「三重露出」の前作「猫の舌に釘を打て」の犯行動機も「女に捨てられた男のうらみ」だった。)
でタイトルの「三重露出」だが、よくわからない。翻訳スパイアクションと一人称探偵小説が同じ本に「露出」しているのだが、もう一つはなんだろう。上の講談社大衆文庫版は「猫の舌に釘を打て」も収録されていたので、解説にあるようにもうひとつは「猫の舌に釘を打て」かもしれない。(昭和40年代に単行本になったときに、「三重露出」は「猫の舌に釘を打て」と合本になっていたそうなので、それを踏襲しただけともいえる。)
このころ(1960年前後)の小説は、読者を不安なままにするものがあって、何とも油断ならない。
光文社文庫には「わが小説術(抄)」が収録されている。どうやら単行本にはなっていない模様。都筑センセーの作法が開陳されているので、メモ。
・書き出しに工夫せよ。1ページ目の文章はきわめて大切。
・覚えやすく印象に残る名前を付けるには、姓と名と両方とも凝ってはならない。しかも口にしやすくなければいけない。姓が美しい時は名をやぼったく、姓がやぼったい時は名を凝る。例: 明智小五郎、金田一耕助
・うまい小説家になろうとして、同じ言葉をある範囲(400字、200字など)で繰り返さないというルールで書いたことがある。
・安易な短縮語を使わない(前がNGで後ろがセンセーの使う言葉。CD→コンパクト・ディスク、ポケベル→ポケットベルなど。例に挙げた商品がほとんど市場からなくなろうとしているとき、センセーの作法のほうが後続の読者には親切だ。)