odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

黒岩涙香「短編集」(別冊幻影城)「無惨」「紳士のゆくえ」「暗黒星」など 言文一致運動にかかわらなかった作家は自我にかかわらないで、物語の楽しさを技術で書く。

 ある程度まとまった著者の短編を読むには「黒岩涙香探偵小説選〈1〉〈2〉 (論創ミステリ叢書) 」が便利なのだろうが、ここでは別冊幻影城、日本探偵小説全集〈1〉 (創元推理文庫)、青空文庫で入手できた短編を読むことにする。

  

無惨 1889 ・・・ 明治22年(!)、築地海軍原の近くの川に不審死体があがる。体中に無数の創傷、打撲、擦り傷。手には一尺ほどの髪の毛数本をもっていて、身元不明。この事件に対し、所轄ではベテランの谷間田(たにまだ)と若手の大鞆(おおとも)探偵がそれぞれ捜査を開始する。谷間田は経験で、大鞆は理学と論理で。二人の競争はどういう結果になるか。
 日本初の探偵小説(とされるもの)。同時期のフランスやイギリスのものと比べると稚拙であるが、そこを卑下するのではなく、探偵小説が輸入されてわずかの期間で、若干27歳の若者(1862年生)がお手本なしでここまでのものを書いたのに驚こう。構成がコナン・ドイル「緋色の研究」1887年第1部によく似ているのはたぶん偶然。
 著者が明治38年(1904年)ころにかいた「探偵小説の処女作」をみると、ふたつの契機がある。

黒岩涙香 探偵物語の処女作

「新聞に発刊停止が頻々と下って随分裁判の不公平が有りましたから、其れを一つ当てこすって、裁判というものは社会の重大なるものぞということを知らせてやろう」

という意志。社会批判、権力批判が書く理由であったこと。もうひとつは

「当時の戯作者は(略)いつも編年体で其人物の生立ちから筆を立てて、事実を順序正しく書く」(から)「読者を次へ次へと引く力がない」(ので)「私は全然編年体を改め、先ず読者を五里霧中に置く流でやりましたが、意外にも大当りを致しました」

という方法。小説は「本意」とか「内面」を書くのではなく、技術で書くのだというところが当時の文学者と違う立ち位置にいる。
 事件のあった場所に注目。築地は江戸時代から干拓でつくられた人工の土地であり、明治政府ができるとここを外国人居留地にしたのだった。あいにく横浜の外国商館は築地に移転してこなかったのだが、かわりにキリスト教教会ができる。そこで学ぶ若者がいて、運河沿いには海運の事業があり人夫が集まり、彼らを客と当て込む商店ができる。出身と言葉を異にする人々が集まる。また、築地には1869年に海軍兵学校ができ(司馬遼太郎坂の上の雲」を読むと、秋山真之はここに通ったのではないか)、1888年まであった。その年に広島県江田島に移転する。なので小説の時代にはだだっ広い放棄地があったはず。そのような都市のはずれ、異界との境にあるような場所だったのだ。そこに住む者は都市民からするといかがわしい根無し草のような存在に見える。下記の四方田犬彦「月島物語」には月島には日本人ボートピープルが住んでいて、市の社会保障の対象外になっていたことが報告されている。築地に支那人(ママ)の悪質な賭場があるという記述がそれらを明らかにする。時代は日清戦争の直前であって、ここには中国人蔑視の思想がある。好意的にみれば、ポオ「モルグ街の殺人」のような「見えない人」という意外な犯人を目したといえる。でも、それを言うのは難しい。この時代にすでに日本には中国、朝鮮への蔑視や差別の感情が生まれていることが重要。
 そのような「間」の場所では経験の探偵では対応できない。理学と論理は共同体と共同体の間で交通(交換、交易、コミュニケーション)できるツールになるのだ。そこに探偵小説が生まれる素地がある。黒岩涙香もポオ(「モルグ街の殺人」)と同じく、共同体の間に「探偵小説」を構想したのだった。また当時、電話、電気照明、市電、自転車は普及していない。カメラは写真館に据え付けてあるもので、野外や路上で気軽にスナップをとるものではない。指紋、血液型も犯罪捜査には使われていない。この十数年後には全部実現しているので、19世紀末の東京は急激に変貌していたのだね。
 くわえて発表年の1889年が明治憲法発布の年であるという奇遇。すでに警察は組織化され、自由民権運動の弾圧をつうじて民衆監視の公安制度ができていた。そのような状況だから探偵小説という個人の罪を行政が罰する物語が生まれる。
 隣接した場所の歴史や出来事は、四方田犬彦「月島物語」(集英社文庫)を参考に。
20世紀になってからの東京の変遷は、松山巌「乱歩と東京」(ちくま学芸文庫)を参考に。

生命保険 1890 ・・・ 山師の父が死んだと継母から連絡があった。すでに火葬は済み、死に顔は見られない。継母は生命保険の掛け金があるから取りに行ってくれという。しばらくして、行方不明者を探しているという男に出会う。最後にあったのが父。父をみとった医師を見つけて、似顔絵を見せた。ロンドン、ポンドなどの語が出てくることから、イギリスの短編の翻案と思われるが、元の作は知れず(解説にもなし)。シンプルな筋立てなので、21世紀の読者は容易にオチを解けるだろう。深夜足音が聞こえたり、死人の顔が壁に浮かんだりして、独身女性が恐怖に陥るというのは、ゴシック・ロマンスの常道。

紳士のゆくえ 1892 ・・・ 飾り物問屋の主人塩田丹三が行方不明になった。捜査すると、真珠の細工人虎太が容疑者に浮かび上がる。散倉(ちらんくら)探偵も虎太と思い込んでいたが、供述書を読み直して、無実だと申告する。警察や探偵の捜査をそのまま写実した今ではとてもつまらない書き方。当時はこのようなシステマティックで合理性を追求する組織はめずらしかったのだろうな。ここでも生命保険が事件の鍵。
(原作はガボリオと伊藤秀雄が推測。登場する散倉(ちらんくら)探偵がガボリオのシリーズ探偵だからとの由。本作は明治24年10月以降に「都新聞」に連載された。東大の明治新聞雑誌文庫に該当部分が所蔵されていなかったので研究者に知られていなかった。1970年代に民間の研究者が発見した。資料を移譲された研究者が別冊幻影城に委託して初公開。ちなみに、本作のあとに「幽麗塔」の連載が始まったとの由。以上、雑誌の収録作品解説から。)

(追記。全文をテキストに起こした。)

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血の文字 1893 ・・・ 医学生の余のもとに深夜傷だらけで訪れたのは目科(めしな)という探偵。パリ・リセリウ街で梅五郎という小金持ちの老人が殺された。近くにMONISという血で書かれた文字が。甥の藻西太郎がさっそく捕縛されたが、目科と余は左手で書かれたのを見つけて、別に犯人がいると確信する。藻西には美しい妻と大きな犬がいる。犯行の夜、妻にはアリバイがあり、太郎にはない。犬のゆくえはわからなかった。仕掛けは単純だが(時代から仕方がない)、長い長い。ホームズ譚ならこの三分の一にまとめるのに。それが元の作品が残らなかった理由か。目科と余の関係は、ホームズとワトソンにあてはまり、ホームズ譚が1887年に誕生したのを思うと、このコンビの影響はずいぶん早く周りを変えたとみえる。あと、目科が捜査の途中で妻に事件の概要を知らせ、意見を聞いている。なかなかするどい女性で、彼女に謎を解かせれば、この作の評価はもっとあがっただろうに(のちのメグレやフレンチ警部刑事コロンボなんかを思い出しましたよ)。

(追記 2022/11/16)
 「血の文字」の原作はエミール・ガボリオの「バティニョールの爺さん」1876年。「初出はパリの日刊紙Le Petit Journal1870年7月7日〜19日、掲載時は≪Mémoires d’un agent de la Sureté : Le petit vieux des Batignolles≫という題で、主人公のJ.-B.-Casimir Godeuil名義だったそうです」とのこと。牟野素人の現代訳がKINDLEで読めます。

 

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暗黒星 1904 ・・・ 横田順弥「日本SF古典こてん 1」(集英社文庫)の第20回「破滅がいっぱい」で紹介されている。

アメリカの天文学者シモン・ニューコム原作のもの。(略)この年、ニューコム博士の令嬢が来日したのを記念して出版したという」

 今(1900年ころ)の数千年先、地球はひとつに統合、歴史は終了(科学者の未来イメージがコスモポリタニズムになるのが興味深い。なぜリベラリズムやアソシエーショナリズムにならないのか)。火星との交信が行われていた。火星から「闇黒星」到来の報が届く。暗黒星が太陽と衝突するというのだ。理学学者は軌道を計算し、被害のシミュレーションを行った。結果は暗たんたるものであり、公開をためらわせるものだった。暗黒星は太陽に衝突し、地球は灼熱地獄と化す。地下に逃れた博士の家族は生き延びたが、太陽が焼失し、地球が泥濘となった今、生存する目的を失う・・・。地球の破滅を科学的に描く。この古めかしいスタイルの物語は、のちのヤンソン「ムーミン谷の彗星」、映画「妖星ゴラス」とまったくいっしょであり、たぶん映画「ディープ・インパクト」「アルマゲドン」などの小惑星衝突テーマのフィクションにも片鱗が残っている。このころ地球破滅は文学のテーマになっていた。ウェルズ「宇宙戦争」1898年、ドイル「毒ガス帯」1913年等が思い浮かぶ。また、地球の破滅の描写が「黙示録」に似ていることと、人類の傲慢に対する罰であるというのが共通。理学博士の計算や予言は冷徹で正確であり、しかし個々の人間には共感や憐憫を示さないというのも共通。なお、この短編で涙香は言文一致体の文体で書いている。どうも著者の身の丈にあっていなくて、ぎこちない。

 

 柄谷行人「日本近代文学の起源」(講談社文芸文庫)によると、1890年代に言文一致の運動がおこった。それまでにない文体を発明することで、新しい文学および内面(を成立させるものの見方)をつくりだした。言文一致の文体が普及し、それを使うようになると、自我や内面、風景その他の近代を「発見」していったのである。粗雑のまとめるとこのような文体運動が起きていた。
 黒岩涙香はそのような運動にはかかわらなかった人。思い返せば言文一致の文体革命は知的エリートや高等遊民によって行われたのであって、実業家でもあった涙香とは社会的、世間的に離れた人であった。そのせいか、涙香が19世紀に書いたものは、今から見ると古めかしい文語調の文体。登場人物には内面がないように思わせ、類型的な会話で類型的(封建主義的)な行動性向を表現することになる(A.M.ウィリアムソン「灰色の女」(論創社)-3参照)。加えて風景、告白、児童という近代化で見出したものもここにはない。徹頭徹尾、前近代。
 にもかかわらず、21世紀になって読むと、19世紀の90年代の「言文一致」で書かれた諸作品はほぼ読めない(過去も二葉亭四迷のいくつかしか読まなかった/読めなかった)のだが、涙香の小説は読める。おもしろい。なるほど、身近に文語調の文体はないので、しばらくは違和を持つのだが、語彙やリズムになれると、物語にひきこまれる。
(ここではストーリーのおもしろさに言及するところまで。たぶん、20世紀の近代文学が発見し問題にしてきた内面、自我、個性、告白などが問題であると思われなくなり、そのことに拘泥することが必要ないとも思われるようになったから。その先に論を進めるほどの力はないのでここまで。)

 「無惨」「紳士のゆくえ」「血の文字」などは書かれた当時の現代を書いたものであるが、一世紀を越えると、それが「捕物帳」というノスタルジー文学に見える。捕物帳は好きなジャンルではないのであまり読んでいないので(岡本綺堂「半七捕物帳」のいくつかと佐々木味津三の「右門捕物帖」、坂口安吾「明治開化安吾捕物帳」久生十蘭顎十郎捕物帖」「平賀源内捕物帳」、都筑道夫「なめくじ長屋」くらい)、強く主張するまではできないけど。

 

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