odd_hatchの読書ノート

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高橋哲哉「靖国問題」(ちくま新書)-1 靖国神社は日本人の生と死を吸収し尽し、生と死の意味付けをする国家的な宗教とする機能をもっている。

 大江志乃夫「靖国神社」(岩波新書)1983年で靖国神社の戦前戦中の歴史を学んだので、戦後と現代の問題を本書で把握することにする。
 極右や右派の宗教カルトは、古代からの神道と明治政府による国家神道をあえてごっちゃにして、靖国を正当化する。その違いを意識したうえで、この問題をみる必要がある。

第1章 感情の問題―追悼と顕彰のあいだ ・・・ 靖国神社には感謝から憎悪までのさまざまな感情が生まれてくるものだが、もともとは戦争の戦死者は国家のために喜んで死んだという幻想に基づいて、喪=悲哀の感情を喜び・幸福に転換させる猜疑をして生まれた。そこには悲しむ・悼むという行為はなく、戦死者を顕彰することしかない。

靖国信仰は、戦場における死の悲惨さ、おぞましさを徹底的に隠蔽し、それを聖なる世界へと昇華すると同時に、戦死者の遺族の悲しみ、むなしさ、わりきれなさにつけこんで「名誉の戦死」という強力な意味づけを提供し、人々の感情を収奪していく」「日本人が自国の兵士の死を悼む、日本国民に閉じられた、日本国民内部で完結する追悼の共同体であり、「哀悼の共同体」にほかならない。」

国民が進んで国のために命を捧げようと希望するようにし、戦死を賞賛し美化し功績とし後に続くべき規範とする国家的な行事とする。それは日本人の生と死を吸収し尽し、生と死の意味付けをする国家的な宗教とする機能をもっている。
(なのでこの宗教から逃れるには、悲しいのに嬉しいと言わない、国が作る物語や意味付けを受け入れないことを行う。SNSでは開戦や敗戦の日が近づくと「特攻兵に感謝」という書き込みを大量に行っている。これに対して、本書の言うやり方で民間からの大政翼賛に対抗したい/している。)

第2章 歴史認識の問題―戦争責任論の向うへ ・・・ 靖国神社に合祀されている戦死者は日中・太平洋戦争だけではない。明治政府の起こした外征や植民地占領での戦死者も含んでいる。上のように靖国神社は日本人戦死者のみを祀っているので、国外の死者や被害者(植民地出身兵士の戦死者など)を無視している。日本の植民地獲得や抵抗運動弾圧のための日本軍の戦争を正義としている。これは被害国家や国民の感情を無視している。
(首相の靖国公式参拝は、A級戦犯の慰霊や追悼と顕彰を意味しているので、戦争責任をあいまいにし、戦争行為を正当化する行為だ。アジア諸国が首相の靖国参拝を批判するのは、現在の政治行為に対してものである。靖国神社は合祀取り下げを拒否し続けているが、彼らの理屈は明治時代につくられたものなので、変更や修正は可能であるはず。靖国神社の判断や行為を肯定する運動があるから、神社は強気に出られる。)

第3章 宗教の問題―神社非宗教の陥穽 ・・・ 靖国神社の祭儀や規定などは天皇の意志から生じたものとされる。なので、

靖国神社は本質的に遺族の意志・感情を無視する施設である。それが尊重するのは「天皇の意志」のみである」

 首相の公式参拝憲法政教分離に違反している(合憲と認めた判例はない)。自民党改憲草案では国の宗教活動を大幅に容認するものになっている。その意図のひとつは首相の靖国公式参拝を合憲とすることだろう。現在の自民党を支持する国家神道やカルト宗教との癒着を認めることでもある。過去に靖国神社を国営化しようとしたことがあるが、衆議院法制局から出た文書を検討すると、

靖国神社は宗教法人格を放棄して特殊法人になったとしても、伝統的な祭祀儀礼を維持するかぎり宗教団体であり、したがって憲法違反を犯さずに国営化することはできない」

 明治政府は「祭教分離」によって「祭政一致」を実現するという一種の迂回路を使った。しかし、

「自由意志による「異種雑多なる宗教の存在」は、あくまで国家神道すなわち「愛国心」への「絶対服従の義務」の枠内でのみ許されるのであって、その義務に反する者は、「家族の一員」が「家族たる関係を断切」られるように、国民から追放されて「非国民」となるしかない。」

 多くの宗教は靖国参拝などを拒否・忌避したが、当局の圧力があり神社参拝は非宗教行為で国民の義務であるという論理を使って国家神道体制に屈した。
 靖国神社はは「宗教的な国立戦没者顕彰施設」であったものが、「無宗教の国立戦没者追悼施設」を装っていたのだ。だから

靖国神社靖国神社のままで、すなわちその伝統的な祭祀儀礼の中心部分を残したままで「特殊法人」にするとか、「非宗教化」して「国営化」するといった意見は、この「神社非宗教」の狡知とそれがもたらした災厄の歴史に無自覚すぎると言わざるをえない。」

 

 以上を著者が要約していた。

「第一章「感情の問題」では、靖国のシステムの本質が、戦死の悲しみを喜びに、不幸を幸福に逆転させる「感情の錬金術」にあることを指摘した。
第二章「歴史認識の問題」では、A級戦犯合祀問題は靖国に関わる歴史認識問題の一部にすぎず、本来、日本近代を貫く植民地主義全体との関係こそが問われるべきだと主張した。
第三章「宗教の問題」では、これまで首相や天皇靖国参拝を恵法違反としたり、その違憲性を示唆した司法判断はいくつかあるが、合憲とした確定判決は一つもないことを確認したうえで、靖国神社を「非宗教化」することは不可能であること、また「神社非宗教」の虚構こそ、かって「国家神道」が猛威を振るったゆえんに他ならなかったこと、などを論じた。(P150)」

 後、極右や愛国主義者がよく使う「英霊」は宗教性を帯びた語との指摘も重要。あまりに使われているのでイデオロギーに汚染されていない言葉におもえてしまうが、あやまりなのだ。

 

 

2022/06/30 高橋哲哉「靖国問題」(ちくま新書)-2 2005年に続く