odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

カール・マルクス「ユダヤ人問題に寄せて」(光文社古典新訳文庫) 宗教的マイノリティを解放するには国家が宗教から解放されなくてはならない。そういうマルクスは同化を求める反ユダヤ主義者。

 光文社古典新訳文庫では「ユダヤ人問題に寄せて/ヘーゲル法哲学批判序説」の二編(1843年。ほかに補論、論文など)を収録している。マルクスは1818年生まれなので、当時24-25歳。青年マルクスの初期論考のうち、ヘーゲルに言及した論文や断片を集める。とくにヘーゲルの「法の哲学」に関連した市民社会論や国家論、疎外論などに関係するものを選んでいる。このエントリーには「ユダヤ人問題に寄せて」の感想を載せる。
 本文を見てもどのような政治問題が背景にあったのかはわからないが、ユダヤ人の人権拡大に関して議論が行われた。日本の一見宗教的ではない体制からすると、キリスト教ユダヤ教のいさかいがなぜ起きるのかはわかりずらい。下記のサマリーに補足してみた。

 

ユダヤ人問題に寄せて(1843) ・・・ バウアー氏が「ユダヤ人問題」を出帆した時に、マルクスが寄稿した文章であるらしい。プロイセン国内のユダヤ人問題について、バウアー氏はユダヤ人の同化を主張している(マルクスは要約する)。一方、マルクスは国家が宗教から解放されなければならないと主張する。
 これは背景をみないと極東の日本人にはよくわからない。19世紀西欧のユダヤ人が置かれた状況は以下を参照。ここでは同化政策がとられたが、同時に反ユダヤ主義もひどく、各地でヘイトクライムやジェノサイドが起きていた。ユダヤ人から反差別の要求が出て社会問題になっていたのだ。


<参考>

第5章 ヨーロッパ近代のユダヤ人 ・・・ 近世(資本主義、重商主義)以後の西欧。都市に生活するユダヤ人の中から改宗するグループがでる。宮廷の一員になっていたが、19世紀には商業金融で成功し、知的職業で名声を獲得する者も出た。有名なのはロスチャイルド家マルクスフロイトアインシュタインなど。反ユダヤ主義は根強いが、ナポレオンが市民権を認めたところから、各国で同化が行われる。

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 マルクスは言っていないのだが、当時のプロイセンは国家と宗教が一体になっていた。

第6章 保守主義としてのプロテスタンティズム ・・・ 古プロテスタンティズムの代表としてルター派を見る。ルター派の教会は国家と協力関係にあり、地域共同体と深く結びついていた(ドイツでは生まれた家の宗教に入り教会に行くので)。プロイセン主導でドイツが統一されることに、国家との協力体制が作られる。フランス革命以前にルターがカソリックからの自由を樹立し近代的な自由を獲得したという歴史解釈を作って、ドイツ人のナショナルアイデンティティを作る働きをした(そこにはカソリックオーストリアを排除した経緯があり、その合理的な説明が必要とされた)。

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 過去に支配していた豪族や貴族の宗教がその地域の宗教とされ選択の自由は(ほとんど)なく、国営の教会に人々は通っていた。国家の政策は行政だけでなく教会からも伝えられていて人々は教会の共同体をつくっていた。公教育では宗教教育が行われていた。ユダヤ人はこのようなプロイセンの支配構造の外に置かれたので、公共サービスを受けることが少なく、人権侵害がひどかった。このようにヨーロッパのマイノリティは行政でも宗教でも差別を受けていた。ヨーロッパの国の中で、プロイセンの国家と宗教の関係は異質だった(非西洋をみると、ロシアや日本はプロイセンに近い)。(フランスではカソリックがだした宗教寛容令が生きていたので信教の自由が認められていて、公的には宗教差別は違法だった。アメリカでは国家と宗教は区別されていた。でも国民は宗教の勧誘は自由市場になっていて、宗派の違う教会が同じ地区に多数あり、人々は好きに選び変更することができた。)
 プロイセンというキリスト教国家において、ユダヤ人というマイノリティを解放するには、ユダヤ人に同化を求めるのではなく、国家が非宗教化されることが必要とマルクスは言う(マルクス家はプロテスタントに改宗)。マルクスは具体的な施策を書かないが、現在の視点でいえば、宗教団体は政党をつくれない・議員と公務員は公務で宗教活動をしてはならない・公教育で宗教教育をしてはならない・憲法に信教の自由を明記・宗教差別禁止を法制化するあたりが必要で、さらに補足していけばいいだろう。マルクスは国家が宗教から解放されるべきという。国家が天上の生・死後の生を保障し、現実の生の意味を決めていくことをやめることと俺は読んだ。(その点で、マルクスキリスト教国家の説明は「キリスト教」を「国家神道」に置き換えると、この国の現状にしっくりあてはまる。日本はとんでもなく強力な宗教国家なのだ。)
 このあとマルクスヘーゲルの「法哲学」を利用して市民社会と国家の関係を論じる。ヘーゲルを理解していないのでとばす。たぶんヘーゲル由来で公民(シトワヤン)と市民(ブルジョア)を区別する。前者は国家の試験で選抜したり任命したりした成員、後者は職業団体や同業組合(ギルド)の構成員でたぶん後には資本家も加わる。そういえばドイツでは徒弟制度が強くて、長年の修行をしないと親方になって自立して経営できないのだった。それからもれている職人や工場労働者、農民などは市民から除外されている。公民権や市民権はこのように制限があるので、マルクスはすべての「人間」に権利を与えよと主張する。
(あと、解説を読むと、ヘーゲルの考える市民社会はほぼ市場に等しい。フランスやアメリカにあるような公共空間とその構成員ではない。)

 そこまではよいが、第2部はひどい。マルクスユダヤ人への偏見や差別観を披露して恥じない。

「それではユダヤ人の世俗的な祭祀は何だろうか? それはあくどい商売である。ユダヤ人の世俗的な神は何だろうか? それは貨幣である。 よろしい! そうであるならば、わたしたちの時代の自己解放とは、あくどい商売から解放されること、貨幣から解放されることだろう。すなわち実際的で現実的なユダヤ教から解放されることだろう。」
ユダヤ教のうちには抽象的な形で、理論や芸術や歴史や、自己目的としての人間を軽蔑する傾向が含まれている。これは〈貨幣人間〉の現実的で意識的な立場を表現したものであり、こうした人間の徳を表現したものである。」
ユダヤ人が社会的に解放されるということは、社会がユダヤ的なありかたから解放されるということである。」

 前にあるように、西洋のユダヤ人は不動産の所有を禁止されていたので、仕業になるか商人になるかあるいはと職業の選択肢が狭くさせられていた。マルクスは歴史的経緯を見ないで、19世紀の現状でマジョリティの見方に徹する。大きなお世話!というしかない。

 

『聖家族』第六章 絶対的な批判的な批判、あるいはバウアー氏による批判的な批判(抜粋) ・・・ 神学者バウアー氏との論争の続き。マルクス罵倒芸の他は読むところなし。マルクスの主張は、ユダヤ人問題は政治的な解放と人間的な解放を区別しろに尽きるのだが、人間的な解放がユダヤ教徒であることを止めろなので意味なし。宗教心に他者が介入する必要はない。内面を問題にするのではなく、ユダヤ人を差別する社会を変えないと。そのためにはユダヤ人差別を止めろと市民が言い、罰則付きの法制度を作ることがまず必要。

 

 国内のマイノリティ差別をどうするか。19世紀の半ばでは参考になる理論はヘーゲルの「法の哲学」くらいしかない。貧しいツールしかなかったので、民族問題や人種差別の問題を解決するには不足している。バウアーにしろマルクスにしろ同化政策を進めるので、マイノリティのナショナルアイデンティティは棄損される。

 

解説による補足
ブルーノ・バウアーはマルクスの9歳年長。福音書批判(福音書の成立過程を初めて説明)から無神論者になった。当時のプロイセンでは、キリスト教批判は体制批判と同義。バウアーはマルクスの学位論文からキリスト教批判にあたる引用を削除するよう勧告していた(マルクスは拒否)。
参考
ローベルト・グートマン「道徳的な破綻 〈異教徒とキリスト教徒〉と〈パルジファル〉」1982年から。

「1843-44年の「ドイツ=フランス年報」で、 カール・マルクスは一連の論文「ユグヤ人問題によせて」を発表した。そこでマルクスは、「結論的にいえばユダヤ人の解放は、人類をユダヤ性から解放することだ」 と説いている。この問題は、 ユダヤ主義と資本主義をユダヤ人自身が排斥することによって解決されると、マルクスは考えていたのだろう。これはまさにワーグナーの初期の著作の中で見出される考え方であった。ワーグナーマルクスをどの程度読んだかは明確ではないが、ドレスデン時代にバクーニンBakuninの勧めによってその著作のいくつかを読んだことは確かである。父方も母方もユダヤ教聖職者ラビの血を引くマルクスの、ー般的によく見られる辛辣で取り憑かれたような反ユダヤ主義は, ユダヤ的なものの拒絶といったワーグナーと同ーの思想から生じたものであった」(名作オペラブックス「パルジファル音楽之友社P330-331)

 ワーグナー反ユダヤ主義者。ユダヤ人は「強制的に去勢するか同化させるかによって、根絶やしにするべきなのかどうか熟慮を重ねてきたとされる。「異教徒とキリスト教徒」という1881年の論文では反ユダヤ主義を主張している。

 

  

 

2022/06/20 カール・マルクス「ヘーゲル法哲学批判序説」(光文社古典新訳文庫) 1843年に続く