odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

高橋哲哉「靖国問題」(ちくま新書)-2 靖国神社はかつての日本の戦争と植民地支配がすべて正しかったという歴史観に立っている。政府も「民主主義」を口実として、歴史認識を問われる国家としての責任から逃走している。

 8月15日に全国戦没者追悼式典が行われるようになった経緯は以下のエントリーを参考に。この式典の前に首相が靖国神社参拝をするようになったのは中曽根康弘から。
佐藤卓己八月十五日の神話」(ちくま新書
佐藤卓己/孫安石 「東アジアの終戦記念日―敗北と勝利のあいだ」(ちくま新書) 
 靖国神社はかつての日本の戦争と植民地支配がすべて正しかったという歴史観に立っている。政府も「民主主義」を口実として、歴史認識を問われる国家としての責任から逃走している。

第4章 文化の問題―死者と生者のポリティクス ・・・ 靖国神社を擁護する(とくに首相参拝を擁護)主張のなかに、日本の文化の特殊性や死生観の違いを強調することがある。どこの文化も尊重されるべきだという文化相対主義や文化多元主義を持ち出す。この章では江藤淳の論文を批判する。

「「文化の違い」を強調し、各国の文化はみな等しく尊重されるべきだという一種の文化多元主義、文化相対主義によって、A級戦犯を赦し、侵略と植民地支配の過去を水に流す「日本文化」の権利を主張する。」

 靖国神社で追悼するのは日本人として当たり前という主張については、

「「死者との共生感」がなぜ靖国という形をとらなければならないのか、その必然性がまったく不明であり、根拠に欠ける」「文化としての「死者との共生感」を言うなら、なぜ靖国は日本の戦死者のなかでも軍人軍属だけを祀り、民間人戦死者を祀らないのか。」「戦死者との交感を言うなら、なぜ靖国は敵側の戦死者を祀らないのか。」

 死生観の違いなどの日本文化の特殊性については、

「事実は、「記紀』「万葉」の時代から靖国に至る、死者の過し方の一貫した伝統などは存在しない、日本的な死者との関係の一義的な伝統などは存在しない」

 靖国神社の特殊性を言うこと自体が政治的な主張なのだ。

靖国神社の「祭神」は、単なる「戦争の死者」ではない。日本国家の政治的意志によって選ばれた特殊な戦死者なのである。」

第5章 国立追悼施設の問題―問われるべきは何か ・・・ 靖国神社に「わだかまり」をもつ人たちの存在を無視できないので、首相や天皇が行って追悼式を行う国立施設を作るアイデアがある。問題は、式典の形式によっては宗教に結び付く、A級戦犯の扱いをあいまいにして加害者と被害者を同列化する、WW2以前の戦争は加害者被害者ともに追悼の対象であるが平和憲法下での「日本の平和と独立を守り国の安全を保つための活動」、「日本の係わる国際平和のための活動」による「日本人の死没者だけを追悼対象にするのであって、外国人の死没者は追悼対象から排除される」
 仮にこのような施設ができたとしても、運用によっては第二の靖国になりうる。実際に千鳥ヶ淵戦没者墓苑や沖縄の戦没者氏名刻銘碑でも戦争を正当化する行為が行われたり、該当者が演説したりするのだ。それを回避するには

「「国立追悼施設」が新たな戦死者の受け皿にならない必要条件とは何か。それは、この施設における「追悼」が決して「顕彰」とならず、国家がその「追悼」を新たな戦争につなげていく回路が完全に絶たれていることである。具体的に言えば、国家が「不戦の誓い」を現実化して、戦争に備える軍事力を実質的に廃棄することである。また、「不戦の誓い」が説得力をもつためには、「過去の戦争」についての国家貴任をきちんと果たすことが必要である。」


 ことは政治であり、国家が戦争犯罪を認めることなのである。日本に限らず、

「軍事力をもち、戦争や武力行使を行なう可能性のある国家は、必ず戦没者を顕彰する儀礼装置をもち、それによって戦死の悲哀を名誉に換え、国民を新たな戦争や武力行使に動員していく。」

 というわけで、

「「靖国問題」の解決は、次のような方向で図られるべきである。
一、政教分離を徹底することによって、「国家機関」としての靖国神社を名実ともに廃止すること。首相や天皇の参拝など国家と神社の癒着を完全に絶つこと。
一、靖国神社の信教の自由を保障するのは当然であるが、合祀取り下げを求める内外の遺族の要求には靖国神社が応じること。それぞれの仕方で追悼したいという遺族の権利を、自らの信教の自由の名の下に侵害することは許されない。
この二点が本当に実現すれば、靖国神社は、そこに祀られたいと遺族が望む戦死者だけを祀る一宗教法人として存続することになるだろう。
そのうえで、
一、近代日本のすべての対外戦争を正戦であったと考える特異な歴史観遊就館の展示がそれを表現している)は、自由な言論によって克服されるべきである。
一、「第二の靖国」の出現を防ぐには、憲法の「不戦の誓い」を担保する脱軍事化に向けた不断の努力が必要である。」

 完全に同意。とくに靖国でない「国立追悼施設」建設には簡単に同意してしまいそうなので、上にあるような問題(とくに歴史認識)を是正するアクションが必要。