odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

ダンテ「新生」(岩波文庫)

 イタリア(という国も概念もなかった時代だとおもう)の大詩人ダンテが若き日に書いた。

1293年前後、詩人が28歳のころ、それまで書きためた詩31編を骨子にし、これらを分析解説する散文を加えて全42(もしくは43)章にまとめあげた詩文集。詩の内訳はソネット25編、カンツォーネ5編、バッラータ1編で、一般には若き日のダンテの習作と考えられがちであるが、子細に検討すると、第23章のカンツォーネを中心に、長短の詩編に振り分けて、10+(10+1)+10=31編という構造をとらせ、三位(さんみ)一体説の数に基づいて「愛」の物語を展開している。

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 本書を編むきっかけになったのは、ダンテがベアトリーチェという女性に邂逅したこと。それは彼女が9歳の時と18歳のとき。あいにくベアトリーチェはダンテを避けるようになり、別人と結婚したのち24歳で夭逝した。ダンテは衝撃を受け、以後数年間ベアトリーチェの面影を慕い、ついに上記のような詩文と作り、さらに「新生」をまとめ上げた。ここにはダンテの心情が近代的な意識でもって事細かに書かれていて云々、というのが、訳者山川丙三郎の解説に書いてあったような。


 いや、待て。それは近代的意識を持つものが歴史の後先を無視して近代を優位にする見方なのではないか。というのが読後の感想。なんとなれば、1293年といえば、騎士道がまだ有効な時期であって、あったこともない、言葉を交わしたこともない淑女に騎士は忠誠を誓い、彼女への永遠の愛を実践しようとするのであった。この時代にはロンドー、バラード、モテトゥスなどの世俗詩が曲をつけられて、各地で歌われていた。そのなかには、収録されたダンテのモテットと同じような発想の詩があった。そのような同時代を想起すれば、ダンテのソネット他の詩や「新生」と名付けられた散文が類例のないような文集であるわけはない。似たような本はもっとあったはずだ。ダンテの心情は真摯であるのは疑いないが、本作の趣向がユニーク(唯一無二)なわけではない。当時の流行りや古典をなぞらえて作られていると思う。
 しかし同時代の似たような詩や散文が埋もれているのに対し、ダンテの作品が重要であるとされるのは、彼が俗語で書いたことに他ならない。他の人たちは共通語であり、知恵の言葉であるラテン語を用いた。そこにダンテは俄然として俗語を使ったのであり、一人で独力で言文一致の言語革命をやり遂げたのだ。その新しさに気付くのはおそらく200年後のルネサンスのユマニストたち。彼らもまた言文一致の言語革命をグループで行ったのであり、先駆者を見つけたことは心強くされたのではないか。
 さらに妄想をたくましくすれば、ダンテの詩文は歌と一緒に流布され、一部はヒット曲になっていたのだろう。たいていの場合は、詩文は単独で読まれるのだが、ダンテはそうではないという。それぞれは単独で読めるが、連続して読めばひとつの物語が浮かび上がるのである、そこには詩文からは読み取れないベアトリーチェへの愛と喪失からの回復というテーマがあるのだ。そこまで読み取られることを希望したので、ダンテは流布された詩文を一つに集め、通底するテーマがあることを示したのである。
 各詩文には構造の解説があるが、これは詩作を志す人々への指南となっている。これを通読すれば詩作の重要なことが体得できる教科書になっているのだろう。(旋律の話が出てこないのは、おそらく当時は個々の言葉や発音ごとにフレーズが決まるようなルールがあったからと妄想する。単語を読んでいるとそれが歌になるのではないかなあ。あたかも日本の和歌のように。)
 詩文のできた由来を説明する散文では、擬人化された「愛」が登場する。悲嘆、沈鬱、懐古、悔恨、後悔、憧憬、郷愁などに暮れるダンテに、「愛」は夢の印を示したり、意味を伝えたり、道を指し示したりする。それに従ううちに、ダンテはベアトリーチェへの痛哭を克服するに至る。なるほど、この流れは後の「神曲」につながるものだ。ことに「天国篇」。魂、すなわち理性が浄化されるにいたるから本作品は「新生」と呼ばれるのであり、この道を通ったから長大な「神曲」を開くことができたのだね。
(読みながら聞いたのはヒルデガルト・フォン・ビンゲン。彼女はダンテの1世紀前の人なのであわないのだけど、ダンテと同時代の音楽家を知らないのだ。)

 

  

 

 「新生」を中世思想の文脈で読んだのが、中沢新一「ハッピー・エンド(@虹の理論)」。ここに登場する「心臓」の説明が面白かったような。あいまいな謂いになるのは、読書中に自分がある女性にフラれた体験を事細かに思いださせ、この論文をキチンを読めなかったため。