odd_hatchの読書ノート

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ダンテ/野上泰一「神曲物語」(現代教養文庫)-2「浄罪篇」 地球の中心を抜けて魂は天堂に向かうが、肉体や穢れた魂は重力に引っ張られるので上昇できず、高い天に行けない。

2022/07/28 ダンテ/野上泰一「神曲物語」(現代教養文庫)-1「地獄篇」 1300年の続き

 

 ダンテ「神曲」の韻文訳は数種類でていて、古いものはネットで見つけることができる。そういうのをいくつか目を通してみたが、厳密な逐語訳では筋を負うことが難しい。ましてさまざまな固有名(当時実在する人物、歴史上の人物、聖書や神話に登場する人物など)は注釈なしではわからないし、ページを移動するたびに読書の興が妨げられる。そうすると、注釈を本文に組み込んだ散文訳のほうが現代の読者にはありがたい。あいにく本書の野上訳はあまりよくないので、別の試みがあってよい。

2.浄罪篇
 浄罪界に入ったダンテの額に門番が7つのPを刻む。ひとつ円を上るごとに天使がPの文字を消していく。この点は注意していたが、その旨が記載されていたのは一か所だけだったなあ。読み落としたかなあ。

・地獄は闇であったが、浄罪界にくると昼夜が現れる。南半球で太陽の光が届いているからだろう。そこにただひとり現世のものであるダンテがいることに、浄罪界の魂は驚くのであるが、それはダンテには影があるから。

・地獄界や浄罪界が魂に厳しいのは、キリスト教の教義を内面化し実行しているかどうかにある。なので、キリスト教以前に死んだものや善行を積んだ異教徒などは地獄にいる。敬虔なキリスト教徒であっても事故死などで臨終の秘蹟を受けていないものは天国に行けない。現世で資格を取ることは難しいが(俗人は上にあげた以外の悪や不正義をおかしてはならない)、運に左右されるというのは現代人からすると過酷すぎる。当時は事故も神意の表れと思われていたせいだろうが。

・地獄界も天堂界の厳しいヒエラルキーがある。一度ある階層にあてはめられたら、そこから上の階層に上がることはとても難しい。天堂界のヒエラルキーは神の教えの理解や実践によって定められているのだろう。このヒエラルキーは浄罪界が山になっていて、階層を上げるためには厳しい登攀によらなければならない。そのさい肉体や穢れた魂は重力に引っ張られているので、上昇すること自体が困難なのだ。魂は贖罪や悔悟などによって、浄罪界から天堂界に行くことができるが、どの階層に行くかは魂の状態によって決まっていて、おそらく変更できない。

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では地獄のヒエラルキーはどのような権威などによって決まるのだろうか。

・というのは、当時は進化論より前の時代で個が変化するとは考えられていない。宇宙の年齢もせいぜい数千年。時間と空間のとらえ方が違う。「500年」が永遠のように長い時間だった。

 

 以下は中世の身体観。アリストテレスの博物誌はあっても、解剖学や生理学や発生学はない時代。医術は本草学くらいの内容。

純粋な血は、まるで食卓から運びさられる食物のように、人間の四肢に形を与える能力を心臓の中に貯める。それは四肢となるためには、心臓から血管を伝って流れ出るからである。その血はふたたび精製されて男性性器へ下り、その後またそこから婦人の子宮の中の女の血の中にしたたりおちるのである。そこで、二つの血は合し、女性の血は他の力を受ける働きをなし、精液はそのしぼり出された場所が完全であったゆえに、能動的な活動を開始し、まず凝固物をつくるが、つぎに自分を材料として凝り固めたものに生命を与えるのである。
能動的な力はまるで植物の魂のごとき物になるが、その差は、前者がまだ道程にあるのにたいして、後者すなわち植物の魂は、すでに目的地に達したというだけである。前者すなわち人間の魂はさらに活動をつづけ、水母のように運動したり、感じたりできるようになると、自分を種として種々の器官をづくる。自然が四肢を形成しようという意志を蔵した父親の心臓から出た力は、このように胎児の各部分に広がり、各器官にゆき渡る。
胎児の脳組織が完成すると、神は自然のこのような完全な術に満足してその胎児に特別な力にみちた新しい魂を吹きこみたもうのだ。神によってあらたに吹きこまれた新しい魂は、胎児の中で活動中の二つの魂、すなわち植物的魂と動物的魂をともに自己と合一させる。ここにおいて、一つの魂の中に植物的、感覚的、理性的の三性質が備わるので、生き、感じ、反省するのである。
このように人が死ぬと、他の能力は不活発になるが、記憶、洞察、意志の能力は以前よりも活発になる。そして、みずからとどまることなく、魂は奇跡のために、二つの岸の一つに落ち、ここではじめて自分の行くべき道をさとる。さて、一定の場所におちつくやいなや、魂は自分の周囲に形成力を輝かせ、その方法やその程度は人間の肢体が生きていた時と同一である。ところが、たとえば空気が水蒸気を含むとき、それに反映する太陽光線のためにさまざまの色彩で飾られるように、その魂の近くにただよう空気は、その上にとどまる魂が自分の形成能力でその上に捺(お)した形をうけとるのである。そして日が動けばどこへでも炎もその位置を変えるように、空気中の形も魂の後を追って動くのである。さて、魂はこの空中の形から姿を得るので、それは影(オンブラ)と呼ばれ、またすべての器官はそこから、種々の感覚を、そして最後には視覚さえも得るのである。その空中の形のおかげで私たちは話し、また笑うのである。また、それによって涙ぐみ、君が山中で聞いたあの溜息をつくのである。種々の願いやその他の愛情が私たちを感動させるにつれて、影(オンブラ)の像も変わるが、それが君を驚かせること、つまり第六円の魂が痩せていることの原因なのです(25歌)

 

 魂と影が問答するのは、ロマン派の夢想によくでてくるのだが(ニーチェ「人間的な、あまりに人間的な」の漂泊者とその影、シャーミッソー「影をなくした男」、ワイルド「ドリアン・グレイの肖像」などなど)、影に実存イメージをもたせるのはずっと古い時代からあったのだな。

 

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2022/07/25 ダンテ/野上泰一「神曲物語」(現代教養文庫)-3「天堂篇」 1300年に続く

 

 以下はトリビア。映画「薔薇の名前」で図書室で迷ったアドソは適当に手にした本を読むが、人体の変化を神学で説明するものだった。