odd_hatchの読書ノート

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野口米次郎定本詩集第3巻 印度詩集 08 タゴール「ソマカとリトヴィク(劇詩)」

野口米次郎定本詩集第3巻 印度詩集 07 タゴール「アマとヴァナヤカ(劇詩)」の続き

 


ソマカとリトヴィク(劇詩)

 

ソマカ王は幽霊戦車に乗って天国へ急ぐ途中、路傍に他の幽霊団を見る。そのなかに嘗てリトヴィク王室の高僧であったリトヴィクがいる。


王様、何處へお出でになりますか。

ソマカ
誰の声か。濁った空気が目を押しつぶすようで何も見えない。


下りてください王様よ、天国行きの戦車から下りてください。

ソマカ
お前は誰じゃ。


リトヴィクでございます。娑婆にいた時あなたの師伝を勤め、お家の僧侶長でもありました。

ソマカ
師匠、世界中の涙が靄になって、この「茫漠」の国を作っているようだ。どうしてお前はここに来たか。

幽霊達
この地獄は天国への道近くだが、微かな火が天国にちらつくのみで、到底近寄れそうにない。日夜我々は戦車が旅人を運んで至福の地帯と蠢くのを聞く。我々の眼は睡眠を失ってそれを見詰めるが、要するに無益の羨望だ。ずっと下のほうに地上の古い森はさらさら音をしている。海は創世時の原始讃歌をうたっている。それが徒に何もない空間を彷徨う記憶の慟哭のように響く。

リトヴィク
王様よ、下りてください。

幽霊達
数分間でも我々と一緒にいてください。大地の涙が新しい切り花の露のように、まだあなたを離れない。牧場や森の交ざった香り、子供や女や友達の追想、何かしら言うにいえない四季の音楽をあなたは伴って居られるように思われる。

ソマカ
師匠、どうしてあなたがこんな曇った澱んだ世界に住む羽目に落ちたのか。

リトヴィク
私はあなたの御子息を生贄の日に供えました。その罪が私の霊魂をこの闇黒に落としたのです。

幽霊達
王様よ、その話をしてください御願いします。罪の朗読(リサイタル)はなお我々の無知覚を人生の火が生かして呉れるに相違ありません。

ソマカ
私はヴァハテの王でソマカと云われた。無数の神社へ供物を捧げて味気ない長年月を送ったが、老境に入って一子が生まれることになった。私の子に対する愛が不意に起った季節外れの洪水のように、私の生活から有らゆる考慮を一掃して仕舞った。丁度蓮の花が莖に於けるように、私の子供が私を完全に無いものにしたのである。それで私は王たるべきものの本文が忽にして、王座の前に仕事が恥づかしくも山積みになるに至った。ある日私は謁見室に於いて、子供が母の部屋から泣き叫ぶのを聞いた。私は王座を捨てて跳びだした。

リトヴィク
その時だった、私は偶然に日々の祈祷を王に与えるため、謁見室に入った。今日は無鉄砲に急がれて私を乱暴にも掃いのけられた。私の憤怒は燃えあがった。その後王が恥入って謁見室へ帰られた時、私は彼に尋ねた、「王よ、如何なる大警報が、この1日中最も忙しい時に、あなたを夫人の部屋へ誘ったか。友国の使節は来ている。虐げられたものは正義を待っている。大臣は重大問題を議しようとしている・・・こういうあなたの職責と品位を捨てるという事はどういう訳か。また何があなたと婆羅門教徒の祈祷を軽蔑されるに至ったか。」

ソマカ
最初私の心は憤怒に萌えた、が次の瞬間に私はそれを蛇の持ちあげた頭のように踏みつけた、そして私はおとなしくリトヴィクに答えた。「たった1人の子供だったから、私は心の平和を失ったのだ。今度だけ許して呉れ、私は今後断じて父親の惑溺に王の本文を侵害させないこと。と約束した。

リトヴィク
然し私の憤激は激しかった。そして私はいった、「若しあなたがたった1人の子供という呪縛から放たれたいならば、私はその方法をあなたに教えることが出来る。だがそれは非常に困難な方法だから、あなたはそれについて行けないことは確かだ。」この言葉は王の自尊心をいたく傷付けた、彼は立ち上がって叫んだ、「私は、天地神妙に誓う、刹帝利(クシヤトリヤ)並に王として私はいかなる困難な事でも、あなたの欲する所を怯まず決行して見せる。」私はいった、「然らば聞け、汝直に生贄の火を焚け、しかして汝の子供を捧げよ。煙は上って雨を降らせる雲の如くに、汝に後裔を持ち来るであろう。」王は胸に頭を垂れて無言であった。宮中の廷臣は恐怖を叫んだ。婆羅門徒は手をもって彼らの耳を覆って叫んだ、「かかる言葉を発するもまたそれに耳を傾けるも共に罪悪だ。」王は驚愕失心すること数分間、彼は静かにいった、「私は約束を守るであろう。」日は遂に来った。火は焚かれた、人民は町をがら明きにした、子供は呼びに行かれた、然し付添いの人々は服従を肯んじなかった、兵士共は職責を外して謀反し武器を捨てた。その時私は、自分の知識は凡ての弱点を心から上昇させる、また人間の感情は幻影であると信じた。私は自ら王の子供を取りに部屋へ出掛けた。部屋で女達は木の威しつける枝に挟まった花のような子供を、ひたすらに庇わんとした。しかるに子供は私を見て、熱心な手をさし延べ私の所に来たらんと跪いた・・・彼は彼を禁錮する愛から自由になろうと憧れていたのである。「私はお前に本当の開放を与えに来たのだ」と叫びながら、私は力づくで彼を気絶した母親や失望に号泣したお付きの乳母達からひったくった。見よ、猛火は舌を震わして空を舐めている、王は静かに無言にその側に立っている、彼は宛も稲妻に撃たれて死んだ1本の木のようであった。子供は火焔の神のような荘厳に魅せられて、喜び勇んで片言を描く喃々し、私の腕に抱かれて踊った、ああ、彼は光栄の火焔に住む見知らぬ乳母に会いたいと待ち兼ねたのである。

ソマカ
話をやめよう、もういい。

幽霊達
リトヴィク、汝がここにいる事は地獄の名誉にかかるというものだ。

戦車の御者
王様よ、ここはあなたのおいでになる場所でない、また地獄を憐愍の情に震動させるような行為の朗読(リサイタル)を我慢してお聞きになる必要もない。

ソマカ
戦車だけで行って呉れ・・・婆羅門徒よ、私はこの地獄であなたたちと一緒にいたい。神様は私の罪をお許しになるかも知れない、だが私が子供の顔に見た最後の驚いた足掻きをどうして私が忘れられようか、あの恐ろしい瞬間に父親が信頼を裏切ったことを私の子供は知ったのだ。

死人の裁判官ダルマ入り来る

ダルマ
王よ、天国はあなたの御出でを待っている。

ソマカ
私は行かない、私は自分の子供を殺した。

ダルマ
お前の罪はお前が体験した激しい苦痛のために一掃された。

リトヴィク
王様よ、あなたは独りで天国へ行って下さるな、そして第二の地獄を作って、猛火とああなたの憎しみの二つで私を焼いて下さるな。

ソマカ
私はここに止まるだろう。

幽霊達
ああ、王よ、魂の勝利によってこの地獄の失望と不名誉な悩みを礼賛し給え。



本篇のリトヴィクの行為は悲壮である。彼は王様ソマカに王様の道を教えるため、その愛児を火炙りにかけて殺したが、こういう事は印度の往古英雄時代であった頃に行われたであろう。焼かれにゆくとも知らずにその熱心な手をさし延べ、リトヴィクの言葉によると「彼は彼を禁錮する愛から自由になろうと憧れた」)とあるが、こういう言葉は如何にもタゴ
(ここで本文は切れている。)

 

野口米次郎定本詩集
第3巻
印度詩集

友文社
昭和二十二年五月十五日印刷 五月二十日発行 定価四十二苑

 

野口米次郎定本詩集第3巻 印度詩集 09 タゴール「母の祈願(劇詩)」に続く