野口米次郎定本詩集第3巻 印度詩集 06 タゴール叙情詩 劇詩の続き
アマとヴァナヤカ(劇詩)
戦場の一室、アマは父ヴァナヤカに出会う。
ヴァナヤカ
回教徒の夫を恐れない無恥の浮気女め。お前が呼ぶお父さんは我でない。
アマ
あなたは不誠実にも私の夫をお殺しになったが、矢張あなたは私の親・・・神があなたを呪い給うを恐れて、私は寡婦の涙をじっと堪えて居ります。一別以来私は今初めてこの戦場でお目にかかったこと故、私はあなたの足元に跪いて、最後の暇乞をしたい。
ヴァナヤカ
アマ、お前はどこへ行く積りか。お前が不信心な巣を作った木は今仮倒されたのだ。何處へお前は避難する積りか。
アマ
私は子供が一人あります。
ヴァナヤカ
捨てて仕舞え。血で贖った罪の結晶だ、心弱くそれを眺めてはいけない。お前の行く末は何處か。
アマ
死の門は親の愛より広いと聞いて居ります。
ヴァナヤカ
死は実に罪を呑みほすであろう。海が河の泥を呑みほすが如しであろう。だがお前は今夜ここに於いて死ぬことが出来ない。お前は遠く不埒な親族や隣人を離れて、寂しいジバの神殿へ往け。日に三度ガンジスの聖水に浸り、口に神を唱え、そしてお前が晩祷の鐘の音を聞かば、眠る嬰児を母親が涙の目で眺めるように、死は必ずや優しくお前を眺めるであろう。またガンジスが海の供物に、汚れを清めた落ち花を運ぶように、死は徐ろにお前を大きな沈黙の中に導くであろう。
アマ
だが私は子供を・・・
ヴァナヤカ
二度と子供のことを口にするな、聞きたくない。でもお前は、ああ我が嬰児よ、もう一度父の腕に抱かれよ、お前が第二の母、忘却の体内から生まれたばかりの嬰児であるように。
アマ
世界は影だ影だ、私にはもはや実体でない・・・私はあなたの声を聞く、だが私の心は感じない。お父さん、私を放っておいて下さい。かまって下さるな。あなたは私を愛で縛ることが出来ない。あなたの紐は夫の血で真赤だ。
ヴァナヤカ
ああ、一旦散った花は親の枝に帰らないであろう。だがお前は婚約者のジヴァジをお前から掻払った奴を、どうして夫と呼ぶことが出来るか。私はあの晩のことを忘れない・・・私共は首をながくして花婿の到着を待った、時間はだんだんに経った。私共は遠くに煌めく炬火が現はれたのを見た。婚礼の目出度い音楽は空気に乗って流れた。私共は喜んで叫んだ、「女共よ、早く法螺貝を吹きならせ!」輿の行列は中庭で乗り込んだ、私共が花婿の名を呼んでいる間に、釣台の中から武装の兵隊が嵐のように暴れ出た。私共はこれはどうしたことかと驚いていると、彼等はお前を攫っていって仕舞った。暫くたってジヴァジはやって来たが、彼は途でヴィジプール宮殿に仕える回教徒に待ち伏せされて捉まったということである。その晩私とジヴァジは花嫁のいない婚礼の聖火に手を触れて、かかる悪漢こそ火炙りにしなければならぬと誓った。私共は長い間待ちに待ったそして今夜ようやくこの誓約を果たすことが出来た・・・ジヴァジは憐れにも戦場で死んだ、然し彼の魂はお前を妻と要求する正当の権利を持っている。
アマ
お父さん、私は家の儀式を辱めたかも知れない、だが私の名誉は汚れていません。私の夫は愛に依って私に子供を与えました。私は二つ内緒の通牒を受け取った晩のことをよく記憶している・・・あなたの通牒は私に命じました、「この刀で彼を刺し殺せ!」またお母さんは私に命じました、「この毒薬で自殺せよ」もしその時私に不浄の力が恥辱を与えたならば、必ずやあなたたちの二つの命令は遂行されていたでありましょう。然し私の体は愛あってこそ始めて私の夫に許したものです、愛が大なればそれだけ清いのであります、また之れに依って私は印度教徒が回教徒に対する血の遺伝的尻込みに打ち勝ったのであります。
(アマの母ラマ来る)
アマ
お母さん、私はあなたに再びお目にかかるとは思っていなかった。私はあなたの足から塵を払いたい。
ラマ
不浄な手で私に触れるな。
アマ
私はあなたと同じように清いものです。
ラマ
お前は誰へお前の名誉を引き渡したか。
アマ
私の夫へ与えました。
ラマ
夫・・あはあ、婆羅門の女を妻にした回教徒のことか。
アマ
私はあなたの侮辱に値しません。もし私は夫が回教徒だといって、決して彼を軽蔑しなかったことを誇って居ります。若し極楽があなたの夫に対する貞節を報いるならば、この同じ極楽が真実な妻であったあなたの娘を迎えて呉れるでしょう。
ラマ
お前は本当に真実の妻だと言うのか。
アマ
そうです。
ラマ
それじゃ、お前は怯まずにどうして死ぬかを知って居ろうがな。
アマ
承知して居ります。
ラマ
では私は今お前のために葬式の火を焚く・・・お前の夫の体がここにある、見よ見よ!
アマ
ジヴァジ
ラマ
ジヴァジだ、彼は神聖な婚約によってお前の夫であった。婚礼の聖火は一時妨げられたが、今死の飢えた猛火となって再び暴れるであろう、中断された儀式は完成されねばならない。
ヴァナヤカ
母に耳を傾ける必要がない、わが児よ、早くお前は子供の所へ帰れ、悲で閉ざされた自分の巣へ戻ってゆけ。私の責任は残忍な極点にまで果された、もうこれ以上何物も云う所がない。妻よ、お前の悲嘆は無益だ・・・木から折られた枝が枯れたならば、薪として火にくべて仕舞うことだ。だが木は今地中へ新しい行きた根を張って、花を咲し実を持とうとしている。妻よ、お前は何の悔やむ所なく、娘が愛した人々の法則に従うことを彼女に許しなさい。私共両人は世の絆を断ち切って、余生を静かな巡礼の社に引籠って送ることにしよう、いざ来たれ。
ラマ
用意は出来て居ります、だが最初に、私は人生の土壌から生えた罪と恥辱の芽を土に踏み蹂らねばならない。娘の運命は母親の名誉を汚します。今夜はあの黒い恥辱が、真赤な火を養い肥やすであろう。そして私は真実な妻の記念碑を、私の娘の遺骨の上に建てるであろう。
アマ
お母さん、あなたは暴力で、私を夫でなかったものに死によって結ばするならば、その時あなたは死の社を汚した罪に問われて、呪があなたに下るであろう。
ラマ
兵士よ、用意はよいか、火を付けろ、女を取り巻け!
アマ
お父さん!
ヴァナヤカ
心配するな、わが児よ、お前はいつもお母さんの手から逃れて父親に纏わらねばならないか。
アマ
お父さん!
ヴァナヤカ
こちらへ来い、わが愛児よ、人間の作った法律は虚栄に過ぎない、天の法則の岩へ遡って水の泡を跳ね飛ばすのみであろう。娘よ、お前は子供を早く連れて来い、私共は一緒に住むことにしよう。父親の愛は神の雨だ、何事も批判しないであろう、ただ有り余るその源から降り注ぐのみだ。
ラマ
何處へ行く、引っ返せ引っ返せ! 兵士よ、汝らは主将ジヴァジに忠実を守れ! 彼に従って最後の責任を果たせ!
アマ
お父さん!
ヴァナヤカ
兵士、彼女を赦免せよ、わが娘だ。
兵士たち
否、我等が主将の寡婦だ。
ヴァナヤカ
彼女の夫は回教徒であったが、自分の信仰を厳守した。
ラマ
兵士、この老人を縛って仕舞へ!
アマ
お母さん、私はあなたに反抗する。お前達兵士にも反抗だ!私は人を愛によって自由を打勝ってみせる。
註
印度において回教王が外来征服者としての統領、即ち西紀千二百年代より千六百年の初めに至る四五百年間は、印度教徒には痛ましい忍苦であった。回教徒は仏教の寺院殿堂破壊し盡したが、それは主として仏教徒が印度教徒よりも団結力強く、その犯行を處 たからである。かく軽蔑された印度教徒は、回教王統治下において意気地のない退嬰生活を持続せざるを得なかった。しかし、彼らは伝統的四階級制度を厳守して自衛し、回教徒との結婚や同食を禁じ、実際彼等は力に於いて回教徒に対抗することが出来なかったが、消極的ながらも離ればなれな対立を守ったのである。
本詩劇はこの辺の事情を明らかにする点に、読者の興味が繋がれる。女主人公アマの父ヴァナヤカは最初に、回教徒を夫とした自分の娘に対し、「回教徒の夫を恐れない無恥の浮気女め」と叫んでいる。またアマが愛の世界に宗教的確執の無いことを解き、自分の行為を弁疏して、「私はそれによって、印度教徒が回教徒に対する血の遺伝的尻込みに打ち勝ったのであります」と言っているが、これは私共の最も興味ある言葉と思うのである。
また私共は古い印度の物語に、寡婦が身を火葬にして夫に殉じたと言う貞節が行われたことを読んでいる。
野口米次郎定本詩集
第3巻
印度詩集
友文社
昭和二十二年五月十五日印刷 五月二十日発行 定価四十二苑