odd_hatchの読書ノート

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トーマス・マン「魔の山」(筑摩書房)第5章-2 「若きハンスの悩み」はゲーテのパロディ

2023/05/08 トーマス・マン「魔の山」(岩波文庫)第5章-1 セテムブリーニは陰謀論者 1924年の続き

 

 発表は1924年だが、書かれたのは1910年代。WW1が起きる前の「幸福な」暮らしが反映している。ホーフマンスタールなどは回顧にふけるだけだが、トーマス・マンは時代の変化をすこし反映する。ここでは科学と技術への関心がある。療養所の治療は当時の先端のものだし、ハンスが勉強する生物学や生理学などもヨーロッパで関心を集めていた話題。なにより映画やレコードなどの最新機器をすぐに作中に取り入れている。おかげで発表後に技術革新があって廃れてしまった技術の情報や大衆の受けとめ方が書かれていて興味深い。この時代のドイツの知識人は科学技術に関心がなかったり、積極的に嫌悪するので(ハイデガーアドルノフルトヴェングラー、マックス・ピカートなど)、トーマス・マンの態度は珍しい。
(とはいえ、セテムブリーニはハンスを「エンジニア」と揶揄する。自然や精神よりも技術は低い価値しか持たない。)
 ドイツの知識人がラジオを嫌悪し生活から遠ざけたのに、大衆は積極的に安価な娯楽に飛びつき、それを利用したナチスの宣伝に乗っかってしまった。その結果、古いドイツの知識人は全体主義による啓蒙の暴力で社会から弾かれ、各個に弾圧されたのだった。

 

「フマニオーラ(古典学芸研究)」 ・・・ ベーレンス顧問官と葉巻を交換し、顧問官の部屋で彼が描いた絵を見に行く。その中にショーシャ夫人を描いたものがあり、稚拙ではあるが夫人らしさを感じてハンスはとても興味を示す。
(そのあとベーレンス顧問官に皮膚やリンパなどの解剖学を講義してもらう。顧問官「生は物質の交替過程で形が維持される現象」。前の章でセテムブリーニが肉体嫌悪を表明し、この章では医師が生物機械論ないし唯物論を説明する。生=自然の極端な見方が対比される。)

まぼろしの肢体」 ・・・ 冬。療養者はクリスマスの話題でもちきり。ハンスは解剖学、生理学、生物学の本を終日読んでいる。ある晩、ハンスは部屋にいる「生命の姿」を幻視する。
(以後、生命とは何か、生命現象はなぜ起こるかなどの勉強成果を発表。この内容は世紀末から20世紀初頭にかけての自然哲学や生命哲学のサマリーになる。分子生物学成立以前であり、観測器具が貧弱で、実験的な検証もまだ少ない。なので、科学で説明できないところを「哲学」で埋めたものだ。「生命とは熱」「生命は物質と精神の中間」「生物は形を得て高貴な形象と美になり、官能と欲望の塊り」「身体組織を持った我が高級な生命単位」などの説明は、当時流行っていたドイツ後期ロマン主義生の哲学の反映でしょう。ハンスのみた「生命の姿」もゲーテが構想した原生物の影響があると思う。まったく現代的でないので、21世紀の読者はスルーしてよい。)
(イワンの前に現れた悪魔(「カラマーゾフの兄弟」)と違い、生命の姿はハンスと会話を交わさない。生命は人と断絶しているのかも。人間は自然から疎外されているので(マルクス)、人は自然を憧憬し、しかし屈服させようとする。)
(前の章「フマニオーラ(古典学芸研究)」でベーレンス顧問官が披露した生物機械論ないし唯物論のような科学的な生命観の批判。また、のちにハンスがショーシャ夫人からプレゼントされるレントゲン写真の暗喩といえそう。)

「死人の踊り」 ・・・ クリスマスが過ぎ、若いアマチュアの騎手が亡くなった。この療養所では患者の死は隠されていて、療養者たちは口にしたがらない。そこでハンスは、重症・危篤患者を見舞う活動をすることを提案し、チームセンを同行させた。その運動は患者とその家族に感謝され、療養所の人たちは彼らを「慈善僧」と呼ぶようになった。その冬の間に十数人の患者を見舞ったのである。ときには、まだ外出できる少女を散歩に誘い、街で映画を見たり音楽を聴いたりスケート競技を見たりしたのである。
(この章は前の章の対になる。ハンスは、本を読んで生を抽象的にとらえようとするが、死は個別で具体的な事例の集まりとして体験する。生は単純であり、目的を持っている。死は複雑で多様であり、目的と意味の喪失である。ハンスは死を抽象的に捉えることはない。彼は死者に対して憐憫や哀れみを感じるが、あくまで他者であるから。彼は死者に心動かされることはないし、遺族たちに深く共感することはない。それは彼がブルジョアで稼ぐことをしないで済むからだろう。)
(1910年代の映画は無声で、映画館の雇われ楽団が伴奏する音楽を聴きながら見るものだった。スクリーンに映っている映像を見ているとき、観客は没入するが「終」がでたあとは拍手できず茫然とするしかない。そこには白い幕があるだけで、役者がいないからだ。人が始めてバーチャルリアリティを体験した時の記録になる。そして映画は上のような生と死のアナロジーでもある。)

ワルプルギスの夜」 ・・・ ハンスが療養所に到着して7か月がたち、今日は謝肉祭(イースターの40日前、2~3月)のパーティが行われる。みな仮装するか盛装するかして食堂や娯楽室に集まり大はしゃぎ。ある遊びでハンスが興奮し、鉛筆が欲しいと言い出す。そして(酒の勢いもあって)ショーシャ夫人の隣に座り、初めて会話する。ショーシャ夫人は足を見せ、かたのところまで露出するというエロティックな装いをしていたので、ハンスは欲情していたのだろうね。二人はフランス語で会話(ショーシャ夫人はロシアの上級階級なのでフランス語をたしなんでいた)する。互いが母語でない言葉で会話するので(誰かの聞き耳を気にすることなく)、「本心」をあきらかにすることができる。ハンスは勢いだって、ショーシャ夫人はいなすように、中心のないことを話す。ハンスに衝撃的だったのは、夫人は明日「出発する」といったこと。うわずるようにハンスは「君を愛している」というが、夫人は軽くいなし、「明日あなたの熱の線は悪くなる」といって立ち上がる。そのあと「私の鉛筆を返して」といったのは、続きがあることを予告しているのか。
ワルプルギスの夜は4/31から5/1にかけてなので、タイトルと内容は一致しない。魔女が飛び交い、人間を誘惑するという伝承を謝肉祭のパーティとショーシャ夫人との会話に例えた。)
(この章はゲーテのパロディに読める。謝肉祭のパーティはタイトルにあるように「ファウスト」だし、ハンスと夫人の会話は「若きウェルテルの悩み」だ。一目ぼれから7か月たって、ハンスはようやく憧れの人と話をするときを得たが、その恋(たぶん初恋)は最初から終わっていたのだった。うぶなハンス君がストーカー的行為をしないようにするとか、他者を巻きこんだ自殺をしでかさないようにするにはショーシャ夫人の突き放し方は正しい処置だったと思う。ハンスはつよがりもするが、夫人は軽くさばく。ハンスのような幼稚で勝手ばかりの恋愛や告白は俺もやらかしたなあ。ここを読みながら自分のことを思い出して、赤面したよ。トーマス・マンは恋愛描写をすることがないなあと思っていたら、こんなすぐれた章を書いていました。お見それしました。脱帽。
ハンスの経験のなさは愛をこれまでに考えてきた生命観や生物観の焼きなおしでしか語れない。その生硬な観念は夫人にはまったく通じない。「君」と「あなた」の使い分けにハンスはこだわるが、それも通じない。この不器用さがドイツそのものなのだろうなあ。)
(第4章「ヒッペ」での鉛筆の貸し借りがここで繰り返される。第5章「あ、見える」でハンスと夫人が同じ長椅子に座るも、ハンスは夫人に無視される。この章では夫人との会話の前にセテムブリーニと同じテーマの会話をさせている。マンの小説テクニックが集約されている。この伏線の張り方はスゴイ。)
(フランス語の会話をどう訳すかはけっこう問題。高橋義孝はカナ書きにし、佐藤晃一はフランス語をそのまま表記し( )に日本語訳をつけた。映画の字幕スーパーのような後者のほうが意味を伝えやすい。岩波文庫の関泰祐と望月市恵がどう処理したかはわからない。なんせ30年前に読んだきりで手元にない。)


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2023/04/28 トーマス・マン「魔の山」(岩波文庫)第6章-1 ナフタはキリスト教共産主義を目指す宗教的情熱家 1924年に続く