odd_hatchの読書ノート

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トーマス・マン「短編集」(岩波文庫)-3「飢えた人々」「神童」「悩みのひととき」「なぐり合い」 20代後半の短編

2023/05/26 トーマス・マン「短編集」(岩波文庫)-2 20代なかばの短編 1900年の続き

 

 トーマス・マンの主人公たちは芸術家であるより、故郷喪失者と言ったほうがよさそう。帰る家はなく、今いるところにもしっくりいっているわけではない。「別の世界から来て、偶然ここへまぎれ込んだにすぎぬ@予言者の家」ひとびとたちなのだ。といって、居場所を見つけたり作ったりするほどのエネルギーはない。なにしろすべて終わっていて、あとは破滅が来るのを待つだけだから。金を持っているので、閑と退屈をしのぐなにかを必要としている。

飢えた人々 1903 ・・・ 余計者と自認しているデトロフが劇場の舞踏会に羨望を感じ、感傷的な流行歌に腹を立てる。そとにでると飢えた男の突き刺すような視線にぎょっとする。(ギョッとしただけで、踵を返すと暖かい部屋で人類愛などを夢想する。ここがマンとドスト氏との違い。ドスト氏は飢えた人々に共感と憐憫を感じて腹を立て人類を呪っただろうに。)
(ドスト氏はイワン・カラマーゾフに次のような弾劾をしゃべらせているのだが、トーマス・マンのキャラたちは無償の涙のうえに建物の礎を築くことに同意する。)

「さあ、答えてみろ。いいか、かりにおまえが、自分の手で人間の運命という建物を建てるとする。最終的に人々を幸せにし、ついには平和と平安を与えるのが目的だ。ところがそのためには、まだほんのちっぽけな子を何がなんでも、そう、あの、小さなこぶしで自分の胸を叩いていた女の子でもいい、その子を苦しめなければならない。そして、その子の無償の涙のうえにこの建物の礎を築くことになるとする。で、おまえはそうした条件のもとで、その建物の建築家になることに同意するのか、言ってみろ、うそはつくな!(カラマーゾフの兄弟 2」光文社古典文庫P248」

神童 1903 ・・・ ホテルの広間で、ギリシャの7-8歳の少年が「神童」の触れ込みでピアノ演奏会を開く。自作の曲で聴衆の喝さい浴びる。それを聞く大人たちは、拍手のうらで郷愁・批難・嫉妬・ビジネス・打算などを考える。こどもの無邪気さも人を手玉に乗せる興行主の演出であるのだ。たぶん「マリオと魔術師」の先駆。

ある幸福 1904 ・・・ 赴任してきた軍隊の士官たちを歓迎する舞踏会が開かれている。若い娘やコンパニオンたちの嬌声。アンナ夫人は士官にみとれたり、夫の痴態に激怒したり。憤怒の夫人が堆積する途中に幸福を感じる・・・。どんな幸福? 詮索はやめておく。たぶんここからヴィスコンティの「夏の嵐」が始まる。

予言者の家で 1904 ・・・ 近頃有名な予言者(というか降霊術師のようだ)の家に、小説家や富裕な夫人らが行く。ゴシック調の壮麗な調度品のある暗い部屋でダニエルという予言者が一時間ほど朗読するのを聞く。飽きた人たちは予言者に熱中しないで他のことを考えている。まだこの時代が全体主義に至っていないことの象徴かな。ヨーロッパ中でオカルトが流行していた時代。

悩みのひととき 1905 ・・・ 鼻かぜをひいて体調がおもわしくない小説家は深夜に自分の作が不充分なのに苦しむ。若い放埓な時こそ創造的だったのに、家と家族を持った今は失敗と阻喪だけだ。でもこの悩みと苦しみこそ重要なのである。なんとなれば、
「争闘と艱難、情熱と苦痛こそは道徳的なのである」。
彼は小説家を天職としたが、これは彼の行動性向にあっているという意味ではない。神によってそのことをするように選ばれたゆえにそれをするしかないのである。

「充溢にほかならぬ渾沌の世から抜き出して、光明へと高め昇せることだ。くよくよするな、働け」

が悩みと苦しみから脱する方法にほかならない(ほとんどプロテスタントの倫理だな)。「トニオ・クレーゲル」に続いて読むべき。トーマス・マンの膨大な仕事はまさにこの短編のように作られたのだろう。

鉄道事故 1909 ・・・ ドレスデンからミュンヘンへの夜行列車に乗っている最中、脱線事故にあった。人々は右往左往、消防が来るわ鉄道会社の職員がくるわのてんやわんや。臨時列車がきて、助かった。
(語り手は小説家で事故で最も気にしたのは自分の原稿が大丈夫かどうかということ。怪我にあった人への共感や処理に携わる人へのいたわりや感謝もない。徹頭徹尾、他人、特に労働者に無関心なのは語り手が金持ちの上流階級にいるから。)
(この時代は探偵小説で鉄道を扱ったものがたくさんあるので、マンもそういうのを書いたかと期待したのだがなあ。)

なぐり合い 1911 ・・・ 12-15歳くらいの悪ガキども。ヤッペとド・エスコバルという不良がなぐり合いをするというので、見に行く。語り手「おれ」を誘うのはイギリス国籍、ド・エスコバルはスペイン系という具合に、マンの小説では珍しく多国籍の人々が集まっている。描写のほとんどはなぐり合いの肉体の動きを書くこと。語り手も若いので、思弁的ではない。ドイツの堅苦しいハードボイルドだ。途中からマリオ・バルガス=リョサ「都会と犬ども」(新潮社)を思い出したよ。こういうのをトーマス・マンはもっと書けばよかった。

 

 以上、1897年から1911年までの若書き時代の短編を読んだ。20歳そこそこから目の積んだ見事な文章を書く。10代で小説を書き始めた作家はいろいろいるが(レーモン・ラディゲや三島由紀夫大江健三郎など)、この人ほど「習作」を感じさせない作家はいない。デビューした時から完成している。なんともすごい新人が登場したものだ。

 

 トーマス・マンの考えから「芸術」に関する議論を脇に置くとすると、彼はドイツ精神を作っているのは、実業家や高級官僚、知的エリートや芸術家なので、その階層は残らなければならないと考える。立憲君主制の支持者で、エリート官僚が行政を担当するのがよいと考えている。芸術が大事なので、政治から(介入されない)の自由は求める自由主義者であるが、政治(参加)への自由は行使しないし、他人(とくに大衆民衆)が行使する民主主義は嫌い。労働者農民は質朴であるけど政治参加できる資格はないと考えるし、まして大衆が熱狂するポピュリズムは認めがたい愚行。そのようなポピュリズムで伝統を破壊する社会主義共産主義と妥協する余地はない。ドイツは世界に関たる民族であるので、多民族を指導する優れた民族である。なので周辺諸国や民族のみならず、世界全般に対しても指導力を発揮しなければならない。そこから植民地獲得とレイシズムへは遠くない。こういう知的エリートの思想なので、モッブや大衆によるナチズムの全体主義運動を押しとどめる力はなかった。むしろトーマス・マンと似たような考えの持ち主がナチズムに転落してもおかしくない(ハイデガーのように)。19世紀末から20世紀初頭にかけてのドイツの保守思想がいかに危ういかがトーマス・マンをみているとよくわかる。


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