odd_hatchの読書ノート

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ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ III」(集英社文庫)15 戯曲形式の章は小説の舞台化か映画の小説化か。

2023/10/16 ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ II」(集英社文庫)13.14 「猥褻文書」にされた章と英語散文文体の博物館。 1922年の続き


 ブルームは38歳なのだが、この時代(20世紀前半)にこの年齢はすでに老いをかんじるものだった。なのでダンテ「神曲」冒頭の「われ人生の半ばにして道に迷い・・・」が切実になるのだし、16歳年下のスティーブンは成人していても自分の息子に近しいのである。


15.キルケ
 さてこれも難物の章。突如記述は戯曲形式になり、ここにはいないはずのキャラや死者、想像上の存在、動物などが言葉をしゃべりだす。時間の流れがあいまいになり、どうやらダブリン市内の夜の町と呼ばれる娼家街にいるようだが、歴史と伝説が流れ込んできて、ワルプルギスの夜めいた饗宴が起きているようだ。解説者は「夢幻劇で、怪奇映画のシナリオに近い」というが、俺は、巨大な舞台が突如出現して、ブルームとスティーブンにスポットライトがあたるなか、さまざまな演技者がわずかな光の中を横行してふたりにちょっかいを出す舞台を見ているような気がしたよ。まじめ(シリアス)なのはブルームだけで、他のキャラは誰も存在していないかのような(このような夢幻劇風の演出が21世紀のオペラでよくある)。
 午後11時から12時にかけて(まさに魔物が百鬼夜行する時刻)。産婦人科病院で宴会をしていた大学生たちは娼家街に来る。客引きに請われるまま一軒の店に入り、泥酔した連中はそこでも暴れまわる。中でもスティーブンの酔いかたはただならず、高歌放吟するわ、ステッキでシャンデリアを壊すわして、店を飛び出す。そこに居合わせた兵隊たちにからまれ(こちらも泥酔)、酷く殴られる。スティーブンを見守ってきたブルームは介抱する。たぶんこれがリアルで起きたこと。文庫版では400ページもあるこの章の中で、これが書かれたところはほんのわずかだ。
 では残りはなにか。ブルームの妄想。これまでは内話として書かれていた「意識の流れ」が、ここでは実体があるかのように、ブルームの外部としてあるかのように書かれる。でもあくまでブルームの意識や知識から生まれたので、リアルにブルームの前に現れたわけではない。酒も入っている(この数時間はのんでいないので、すこしは醒めているか)のでブルームの抑圧が解放される。
 それは二方向からの抑圧。ひとつは彼の現在において。ダブリンの市民から彼は断崖・叱責・嘲笑を受ける。それは彼の出自や宗教などで差別されていることの反映。ふだんこれらに反論したり対抗したりできないから、ストレスがひどく昂進していて、リアルではハラスメントや犯罪になるようなヘイトスピーチを浴びせられたりする。しかもこの幻想においてでさえ反論できず、孤立無援の状況が起こる。もうひとつは彼の過去において。自殺した父が現れて、あるいはすでに亡くなった母が現れてブルームを弾劾する。過去に情事に関わった女たちが指弾する。これまでの章では点描的にしか書かれなかったブルームの半生がわかり、その都度起きたトラウマを想起させられるというので、この章はブルーム版の「若き芸術家の肖像」に相当する。でもスティーブンは窮迫したとはいえ大学にまで行けるような家庭に会ったのに、ブルームにはその機会もなかった下層階級。ブルームがいかにスティーブンを気にかけようと、出自の階級の違いと文化資産の大小はこの二人に越えがたい断絶があるなあ。
 このような抑圧の反動として現れるのがブルームが夢想するユートピア。これもふたつあって、自分が市長になり、皇帝になって「世界(せいぜいダブリン市の範囲だ)」の支配者になるという夢。彼が見聞きしている実在の市長や皇帝のイメージに基づいて、彼らの役割を演じるだけという貧しい内容。階級開放や社会のヒエラルキーのひっくり返しのような知的に構成されたものではないんだよなあ。もうひとつは性的な解放。娼館街の女たちに誘惑されたりエロティックな肢体を見せるのに興奮したり(当時の道徳観ではきわめて背徳的)、女装したり。女装するのはイングランドの上流階級では男の嗜みなので、ブルームは憧れをもっていたのかも。「変態」のような意味があると思うのはやめましょう。(ブルームがお守りにしているじゃがいもを娼婦に取られて狼狽するのは去勢恐怖の暗喩だよなあ)。あいにくのことながらブルームの幻視するユートピアは即座に否定され、馬鹿にされ、罵倒される。その執拗さときたら、ブルームにはマゾヒズムを持っているのではないかと思わせるほど。幻想の中で自分が火刑にあうのを想像するくらい。苦痛を体験することが問題の止揚や昇華にいたる道であるかと思っているかのよう。
 幻想や妄想は兵隊がスティーブンを殴ったことで四散した。この一日は特別な日ではなく、昨日あり明日もあるような凡庸な日。ブルームはトラウマや差別から解放されたわけではないが、ともあれ今日取りついた憑き物はとりあえず落とすことはできた。そして横たわるスティーブンを解放して、長い一日の日付が変わるころにようやく二人が邂逅する。そこでブルーノはスティーブンに亡くなった息子の姿を見る。これはきつい。父に弾劾されるよりも、息子の成長した姿を幻視するとほうがより大きな苦痛。

 訳者=解説者は「幻想劇」と言い、自分は「舞台」と見たが、むしろ執筆当時に表現方法が大拡張した映画を見てもよいかもしれない。商業映画は20世紀のゼロ年代からはじまったが、当初は舞台をそのまま映すようなものだった。そこにトリック撮影がくわわり、クローズアップなどが多用され、さまざまなフィルムの切り貼りと編集作業があわされて、多彩な表現が生まれてきた。ここでもそこにいないはずの人が突然現れたり、空を飛んだり、意匠を変えたり、大群衆が出現しては消失したり、馬・犬などの非人間が人語のような発声をしたり。戯曲風な書き方をしても、絶対に舞台では上演できないアイデアが多数詰め込まれている。でも、映画なら可能になりそうな表現だ。ジョイスが「プラハの大学生」1913年、「海底二万哩」1916年、「巨人ゴーレム」1920年、「カリガリ博士1920年などを見ていたかもしれないと想像するのは楽しい。

 

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2023/10/12 ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ VI」(集英社文庫)16.17 スティーブンとブルームがようやく出会うが交友は始まらない。 1922年に続く