odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ VI」(集英社文庫)16.17 スティーブンとブルームがようやく出会うが交友は始まらない。

2023/10/13 ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ III」(集英社文庫)15 戯曲形式の章は小説の舞台化か映画の小説化か。 1922年の続き


 さて、すでに全4巻のうち3巻がそれぞれの「漂流」に費やされてきた。朝9時からダブリン市内を歩き回ってきたふたりが、日付が変わるころにようやく邂逅する。なので、第4巻になって「第三部」となったのである。

第三部 ノストス
16.エウマイオス
 泥酔し兵士に殴られたスティーブンを娼家街に放置するわけにはいかないので、ブルームは近くの馭者溜りという喫茶店につれていく。ここでは深夜(午前1時)でも珈琲と軽食をだしているのだった。ブルームが珈琲と甘パンを注文したが、スティーブンは手を出さない(ほどに酔っている)。客の老船員がほら話を始める。それを茶化し馬鹿にしながらも他の客が耳を傾けるのは老船員が「まれびと」であるからにほかならない。話がパーネルのことになると、ブルームは10年ほど前にパーネルの政治運動を手伝ったことを思いだし、失脚の原因になった女のことから妻モリーのことに思いを致す。姦通の女は「豊満な肉体」であるところでモリーと似ているのであり、モリーもまた欲求不満を抱えているに違いない。ふとモリーの写真をスティーブンにみせたのは、ブルームがモリーと性交しなくなって久しいのをどうにかしてやりたいという無意識の欲求からなのかもしれない。ブルームは行き先のなさそうなスティーブンを心配し(なにしろ朝食のあと何も食べていないの痛飲したのだ、それにリンチやバック・マリガンらと喧嘩騒ぎを起こして、帰る場所を持っていない)、自分の家に来ないかと誘う。それはモリーのヒステリーを招くかもしれないが、その恐れ以上の同情心があったのだ。帰る途中、スティーブンのテノールに驚嘆し、プロになれるのではないかと夢想するのは、モリーとのデュエットで売り出し、自分はマネージャーになれるかもしれないと思ったのだろう。
 ブルームとスティーブンの「過去(あくまで娼婦街で出会うより前)」が明らかになる。これまでの第一部、第二部ではその時の現在だけが書かれていて、語り手の視野にはいらなかったことは記述されてこなかった。書かれていないことで何かあったらしいことがほのめかされていたが、ふたりが会うことで、ほのめかしや彼らが秘密にしていたことがあきらかになる。そうすると、ブルームの不満や鬱積は仕事のことだけではなく、夫婦関係や過去の政治活動であり、ユダヤ人という出生に基づく差別にあるらしいとわかる。彼は「いま-ここ」にあることがとても難しいのだね。一方、スティーブンは今日一日で仕事(学校をやめたようだ、仕事を欲しがり知り合いに自分が勤めていた学校に問い合わせると教師の口にありつけるとほのめかす)、金(給与は一切合切使い果たす。当然借金も残る)、家(マリガンと喧嘩したのでもう戻れない)を失った。これは俺のような老年には打開しようのないピンチであるが、22歳のスティーブンにとっては克服可能な一時的な危機であろう。すでに「教会」「家庭」「祖国」から離脱することを決めていたのが、現実のアクションとして現れたのだ。この危機をやり過ごす(克服する)ことでスティーブンは大人になるのかもしれない。
 この章はとてもまわりくどく、もったいをつけた文章で長々とつづられる。深夜のカフェで何か起きるのをかいたのに、ヘミングウェイ「殺し屋」があるが、あれは十数ページですんでしまった。それをジョイスは120ページ以上をかける。

 

17.イタケ
 午後2時。ブルームはスティーブンを自宅に招く。鍵を忘れていたので、裏口から侵入し、台所でココア(この時代にすでにインスタント粉ココアが販売されていたんだ)をふるまう。ふたりの共通の話題が古代語だったので古アイルランド語や古ヘブライ語などについて語り合う。スティーブンはユダヤ人をからかう物語詩を歌い、「複雑な感情」を持つがスティーブンをとがめない。そのあと、神学談義になったり天文学の話題になったり。スティーブンは宿を貸すというのを断り、モリーにイタリア語をモリーから声楽を教授する約束をする。ふたりは外に出て放尿し、彗星をみる(1904年6月16日に見えたのは何の彗星だろう。訳注他には指摘なし。ググってもみつからない)。そのあとブルームは自分が大金持ちになったらと夢想し(15.キルケで皇帝になる夢と対応。ここでは大資本家になるという夢になる。アメリカの大富豪たちの話を聞いていたのだろう)、モリーが寝ているベッドに入る。そこにはモリーの姦通(ボイランが来ていたようだ)の様子を見つけ、動揺し嫉妬し、しかし娘の誕生以後十数年間モリーと性交していないのでしゃあないと諦め、今日のできごとを起きたモリーに話し、眠りにつく。
 長い長い物語の末に、ブルームの過去(サマリーに入れなかった父の自殺や職業の変遷など)も明らかになる。軽薄でおっちょこちょいで傷つきやすく、無学ではあるが向学心をもち、嫉妬や怒りの感情を持ちながらも親身になれる人物をみてきたわけだが、その凡庸な彼にしても過去と歴史でさまざまな経験と思考を繰り返していて、単純化できない深みを備えている。このような人間観賞はわれわれ読者もよくやることではあるが、文学ではそこまで書くことはない。書かれたとしてもなにか特別な、特権的な人物だから(世界をすく使命を持っている、太古からの謎を受け継いでいる、犯罪で有名になる、世の中になかったような恋愛を行うなど)という理由があるから。そういう特別で特権を持っている人であっても、読んでみればたいした人物ではないというのが大半なので、彼らの過去や歴史、経験と思考、書かれなかったことなどをいっしょうけんめい詮索することはない。でも、ジョイスの筆にかかると凡庸でしかないブルームのあれこれをますます詮索したくなる。
 この章の書き方は独特。訳者の紹介を引用すると

文体は、街学的な多綴語を多用した極めて抽象的な言葉づかいによる一問一答で書かれているが、誰かわからない二人の学者による質疑応答か。一見客観的で正確で、それゆえまことに滑稽な効果をあげる(P150)

となる。自分は「二人の学者による質疑応答」であるより、カソリックの教義問答の文体とみたけど。弟子の問いに師匠がこと細かく説明していくというやりかただ(追記。柳瀬尚紀は「ジェイムズ・ジョイスの謎を解く」岩波新書で「教理問答のパロディで書かれた(P28)」といっている。その指摘で思い返せば、「若い芸術家の肖像」ではへこたれそうになりそうなほど長い神父の説教が再現されていたのだが、「ユリシーズ」ではそれらしいパロディ、パスティーシュはみあたらない。しかし17を教理問答とみなせば疑問氷解)。
 別の連想もした。問いへの回答者はきわめて詳細な説明を試みる。問い者が水道の栓を尋ねると、回答者はダブリンの水道の仕組みを説明する。ブルームの家の造作にたいして家具や事務品その他を枚挙する。本棚を説明せよと問われると、すべての書名を読み上げる。惑星や彗星の科学知見をとうとうと述べる(20世紀初めの科学では今から見るとトンデモや廃棄された説明が入りそうだが、そういうのがないのはジョイスの理解がまっとうだったことをあかす)。この煩瑣なほどの説明は、通常の人のコミュニケーションからはでてこない。そこで俺は、この二人の語り手は惑星外生命か別次元の「生命体」が20世紀初頭の地球を観察している報告ではないかと思ったのだ。地球の、あるいは人間のあり方を十分に理解していないから、彼らが観察したこと、あるいはブルームやスティーブンが関心を志向した先にあるものをことどとく言語化した記録ではないか。そういう文書はのちの1962年にイギリスのSF作家も残している。
ブライアン・オールディス「世界Aの報告書」(サンリオSF文庫)

 最後の問い「どこへ?」の答えが「●」となる。訳注にはいくつか解釈がある。闇とかモリーの肛門とか文学的伝統の消滅とか最初の構想での終りであるとか。俺は単にブルームが寝てしまって、関心や意識の志向がなくなったので報告することが何もない、ってことだと思ったけど。「闇」解釈と同じだね。
(そういえば、ほぼ同時代に「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」と書きつけたオーストリアの若者がいたなあ、とただの思い付き。)
(これを読んで触発された草野心平は「冬眠 ●」という詩を書いたのだ。嘘です。)

 

ジェイムズ・ジョイスユリシーズ」全4冊(集英社文庫)→ https://amzn.to/3OMKfMb

ジェイムズ・ジョイスユリシーズ I」(集英社文庫)→ https://amzn.to/3I5Qw1B
ジェイムズ・ジョイスユリシーズ II」(集英社文庫)→ https://amzn.to/3IrlmlL
ジェイムズ・ジョイスユリシーズ III」(集英社文庫)→ https://amzn.to/3I7A3df
ジェイムズ・ジョイスユリシーズ VI」(集英社文庫)→ https://amzn.to/3uHgJAA

ジェイムズ・ジョイスユリシーズ 1-12」(河出消防新社)→ https://amzn.to/3UIng8M

 

2023/10/10 ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ VI」(集英社文庫)18 1904年当時の衛生状況を思い出すとダブリンは芳香漂う街。 1922年の続き