odd_hatchの読書ノート

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ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ II」(集英社文庫)13.14 「猥褻文書」にされた章と英語散文文体の博物館。

2023/10/19 ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ II」(集英社文庫)11.12 ブルームにとって性と死と食はたがいにつながっている。 1922年の続き


 「12.キュクロプス」で様々な文体模倣を行ってきたが、この先は章全体が文体模倣だ。19世紀とそれ以前の文体は、もったいぶっていて、過剰な装飾語をつかい、単語を羅列し、長い文章を書く。映像メディアのない時代はことばだけで情報を伝えるので、いきおい文章の量が増えるのだ。会話だけ読めば、ストーリーがわかる21世紀のエンタメに慣れ親しんだ読者はジョイスの文章にどこまでついていけるか。


13.ナウシカ
 日本の読者は「ナウシカ」をジブリのアニメで知っているが、ここに登場するのは「オデュッセイア」に登場して放浪のあげく気を失った主人公を助ける王女のことだ。なるほど、ナウシカアに模せられたガーティ·マクダウエルは放浪するブルームを助けるのであった。
 午後8時は緯度の高いアイルランドではまだ明るい。娘たち3人が海岸を訪れて遊んでいる。一人離れたところに座っているガーティは10代の少女らしい想像にふける。彼女には特別なもののように思える妄想(自分は無知だが、無垢でいつかすばらしい男に出あう)もその語りも内容も少女向けの大衆小説を模しているのであり、それらの形式は19世紀の性愛文学にも通じてしまうのだ。すなわち、花火に見とれて体勢を変えたときに、スカートがめくれ上がり、そのなかの下着が丸見えになってしまう。そのことに気づくと同時に、自分を見ている喪服のブルームの視線にも気づく。手で押さえるかと思いきや、彼女はそのまま下着が見える姿勢をとり、離れたブルームが腰のあたりをもぞもぞさせ、激しい勢いで両手を動かしているのを観察しているのだ。いや、彼にみられている<私>のことを想像し、ちょっと前までの少女小説の主人公になったつもりになっているのかもしれない。見る者と見られる者の心理的なせめぎ合い、しかし一方的な・交錯しない視線。ブルームが「ダン(終れり)」にいたったとき、ガーティは他の娘らと一緒になって海岸を離れたのであり、性は愛にいたらないのであった。(なお、ガーティの祖父は「12.キュクロプス」に登場する犬ギャリオーエンを飼っているのであった。とすると、前の章の「市民」はガーティの父であるかもしれない。思いがけない人間関係があるという仕掛けはジョイスの全作品にあるので、ありえそう。)
 こういう性愛は20世紀のもの。本作とほぼ同時期に、バルビュス「地獄」トーマス・マン「ベニスに死す」1913谷崎潤一郎「白昼鬼語」1917が書かれたと思うと、恋愛がとても難しいものになった、と嘆息せねばならない。
 一方、ピーピングを使った性愛文学も19世紀には大量に書かれていた(たとえば、作者不詳「ペピの体験」富士見ロマン文庫)。なので、この章は二重の文体パロディであると、俺は読んだ。「ユリシーズ」は出版後「わいせつ」文書として摘発されたのだが、この章は理由のひとつなのだろう。
 もう一つ指摘しておくべきことは、少女の裸体を見て精神的な変容を経たものに、スティーブン・ディーダラスその人もいた。「若い芸術家の肖像」のIV。

 

14.太陽神の牛
 この章は大変だ。古代英語からマロリー「アーサー王の死」、デフォー、マコーリー、ベイターなどを経て現代の話し言葉に至る英語散文文体史のバロティ(かつパスティーシュ)になっている。翻訳に当たり訳者(丸谷才一)は以下のように置き換える。左端の数字は集英社文庫ユリシーズ III」のページ数。本文を読むときに、この表を参照すると、どの文体なのかを確認できる。

13   古代英語 → 漢文、万葉仮名
13-14 中世ラテン語の翻訳文体 → 明治時代の漢文くずし
16-17 アングロサクソン時代(ノルマン人の征服以前)の文体 → 祝詞
16-18 アングロサクソン時代の哀歌 → 古事記
18-19 不明 → 竹取物語
19-21 15世紀の幻想旅行紀行「マンデヴァルの旅」の英訳文体 → 宇津保物語
21-26 マロリー「アーサー王の死」1485年版 → 源氏物語落窪物語など王朝物語
27-30 エリザベス朝の散文年代記 → 平家物語
30-35 16世紀後半から17世紀のラテン語文体(ミルトンなど) → 太平記義経
35-38 17世紀のジョン・バニヤン天路歴程」 → 仮名草子
38-41 17世紀のイーブリン、ピープスなどの日記 → 切支丹文学、イソポ物語
41-47 18世紀デフォースウィフト「桶物語」 → 井原西鶴あたりの浮世草子
47-52 18世紀アディソン、スティールのエッセイ → 近松その他の浄瑠璃本居宣長の擬古文
52-55 18世紀ロレンス・スターン(とくに「センチメンタル・ジャーニー」) → 三遊亭円朝の人情噺
55-59 18世紀ゴールドスミス → 瀧澤馬琴の読み本
59-61 18-19世紀のシェリダン、バーク → 式亭三馬の「浮世風呂」「浮世床」の文体
61-62 18世紀の風刺家ジュニアス → 石田梅岩「斉家論」「石田先生語録」の文体
63-66 エドワード・ギボン → 平田篤胤、とくに「古道大意」
66-67 18世紀ウォルポールオトラントの城」 → 黒岩涙香鉄仮面」「片手美人」の文体
68-72 チャールズ・ラム、ド・クインシー → 初期森鴎外、とくに「即興詩人」
72-76 19世紀ランドラー → 若松賤子訳「小公子」の文体
76-78 19世紀マコーリー → 初期夏目漱石
78-83 19世紀の科学者ハクスリー → 内村鑑三の講演
83-85 ディケンズ「デイヴィッド・コパフィールド」 → 菊池寛真珠夫人
85-86 ジョン・ヘンリー・ニューマン → 永井荷風
86-87 19世紀ウォルター・ベイター → 谷崎潤一郎
87-88 ジョン・ラスキン → 石川淳
88-91 トマス・カーライル → 宮沢賢治
91-101 「文体が崩壊して、方言と隠語(説教師の説教を含む)になる」、「ピジン英語、コクニー、アイルランド語、ニューヨーク隠語、崩れた滑稽詩などの大変なごちゃまぜ(ジョイス)」 → 方言、俗語、隠語などを用いる

 

 この国の読者としては、ジョイスの選んだ過去1000年の英語文体の違いに注意深くなるのは難しい(「アーサー王の死」「天路歴程」、デフォー、スターン、「オトラントの城」「デイヴィッド・コパフィールド」 などを読んではきたが、どれも現代語訳なので元の文体をイメージすることはできない)。代わりに訳者が選んだ日本語の文体の違いに敏感にならないといけない。くわえて、文体ごとに表記法が変わる。漢字、かな、カナ、アルファベットの使い方がとても多様。高校の教科書を思い出し、できれば置き換えた原典を思い起こしながら読むことになる。訳者がパロディ、パスティーシュにした本邦の文体を楽しんだり、ほくそ笑んだりできるようにできるだけ本邦の作品に親しんでいたほうが良い。英国の書き手を本邦のどの書き手に置き換えたか、なぜその書き手や作品の文体を選んだのかを想像することも含めて、読者も試されているんだよ。
 たとえば、「オトラントの城」を涙香後期の「幽霊塔」1898年などのこなれた文体ではなく、なぜ漢文まじりの初期翻訳の文体(「鉄仮面」は1892-93年)にしたのか。それはゴシックロマンスの開祖である「オトラントの城」1764年なので。科学者ハクスリーが「科学談義」のような大衆向け講演会の語り手であったから、内村鑑三の講演の文体に置き換えたのだとかも。ロレンス・スターンから三遊亭円朝の人情噺、ディケンズから菊池寛への置き換えもなるほどと膝を打った。一方で、平田篤胤から黒岩涙香までの30-40年間分の文体が飛ばされている。明治初頭の文体を代表する書き手がいないということか。
 この移し替え表を見ると、およそ1500年の間に、日本語もさまざまな文体革命があったのがわかる。革命の前後では異を通じることが難しいことがあったのだろうなあ。
 21世紀にこの表をみると、ジョイスは古い文体のコレクターであるかのように思うのである。でも書かれたのが1914-1922であるとなると、たとえばハクスリー、ディケンズはほんの半世紀前のひとであった。それ以降の人はわりと「最近」亡くなった人たちで、ウォルポールやギボンは100年前の人たち。古い文体のコレクターではなく、ジョイスが影響を受けた、「いま」でも通じる生き生きした文体を例示しているのだ、と見たほうがよい。加えて、ほとんどがイングランドの作家なので、植民地であるアイルランドに強制的に流入している言葉をコレクションしているともいえそう。)
(この100ページで文体の歴史を駆け抜けるのであるが、それは人間の成長過程をみることに対応している。すなわち、ブルームは葬儀で人の死にたちあったのち、前の章で海岸で少女をみて射精した。射精から年を経ると、出産に至るのであり、モリーの友人が難産だと聞いていたので産院にやってきたのだ。このようにして象徴的に人の誕生(とはいつか)から死までを一日で鳥瞰する次第になったのである。ジョイスはさらにこの章に受精から出産までの9か月の妊娠リズムを反映させているらしい。(これは俺の力では読み取れない。)

 午後10時。ブルームは産婦人科病院に立ち寄る。そこでは学生たちが談話室で宴会をしていた(21世紀にこんなことをやっていたら病院から追い出されるが、1904年のことなので。それに大学進学率が1%くらいの時期には大目に見られていたのだろう。看護婦(ママ)が注意してもやめないのは男性優位社会のせい)。猥談と衒学が入り混じった騒ぎで、スティーブンは出産を芸術家の創造に例える話をする(ここでようやくブルームとスティーブンが邂逅する)。男子が生まれると、彼らは病院を出て大騒ぎをしながら街をさまよい、まだ開いている酒場を探す。
 「12.キュクロプス」ではブルームはダブリン市民にいたぶられ、無視され、邪見にされ、悪口をいわれと、楽しくない宴席にいたのだが、「14.太陽神の牛」ではそんなことはない。ブルームも午後5時の宴席でこりたのか、ここではさほど口を挟まずに、学生や芸術家の卵たちの会話を聞くようにしていた。学生たちは出身地も関心もばらばらで過去を知らない。そのうえブルームが参加できるような知的な話題をくちにできる。インテリ志向のブルームにとっては、根無し草で知的エリートの若者たちのほうがいごこちがよさそうだ。まあ、年の差が一回り以上なので、普段の付き合いになるほどの親密さにはなれない。そこはダブリンで二重、三重に疎外されているブルームがいつまでも放浪者、単独者の感覚を持ち続ける理由。

 

(太陽神の牛の挿話は、一気読みするべき(ないし一日の間に読むべき)。そうしないと文体の変化に追いつかない。とはいえ、自分でも4時間以上かかったから、これだけの時間をどうにか捻出しよう。あと文体を追いかけるのに集中すると、細部の読み取りが甘くなるので、メモを取っておいたほうがよい。)

 

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2023/10/13 ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ III」(集英社文庫)15 戯曲形式の章は小説の舞台化か映画の小説化か。 1922年に続く