odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ジョン・ディクスン・カー「カー短編集 2  妖魔の森の家」(創元推理文庫) カー短編の最高傑作。不可能犯罪と残虐趣味。

 奥付の発行年は1976年になっていて、なるほどそういう年齢と時代に読んだのだと、感慨深い。それから数十年。内容を思い出すことはなかったのだが、読み返すと、細部はそれぞれ記憶の底にあって、確かに読んだという記憶が残っていた。あのときは2週間くらいかけて読んだが、今度は1日で読みきってしまったのだから(細かいところはすっとばしてしまったのだが)、経験の蓄積というのはなんとまあ・・・。過去はどの短編でも「してやられた」「読み落とした」ばかりだったのだが、今回は「なるほどここに伏線が」「うまくかくしているなあ」という具合。洗練さということでは、古典派あるいは黄金時代の極点にあるようだ。ここにもう少し人物描写があればとか、警句のひとつもいれて文学的余韻があればとか、そんなことを思うが、ないものねだりで、すし屋でフレンチをだせといっているようなものなので、ここにあるもので十分。

「妖魔の森の家」 The House in Goblin Wood (H.M) ・・・ 妖魔は原題ではゴブリン。ゴブリンは人や物を消していたずらをする悪い妖精なので、「妖魔」だとストーリーの関連がみえなくなる。さて、人語に膾炙するようにカーの諸作中の傑作。読者は、読了後に、手のひらにある種の重さを感じるのではないかしら。本筋から離れたところにまで伏線がしっかりと張ってあって、最後にその描写が必要不可欠だったことが明示される。ストーリーの緊密さといったら、まあすごいものだ。とはいえ現代ミステリーだとこのあとにもうひとひねりを要求されるから、今の作家たちもつらいだろうなあ。

「軽率だった夜盗」 The Incautious Burglar (フェル博士) ・・・ のちに「メッキの神像」に改作。絵画収集家は自宅に高価な絵画があるというのに、警報装置を取り外す、それでいて警察に警備を依頼していた。あるとき夜盗が侵入するが運悪く見つかり殺される。なんと、それは絵画収集家自身だった。なんで、自室に強盗として侵入するのか?

「ある密室」 The Locked Room (フェル博士) ・・・ 偏屈な書籍愛好家が自室で頭を殴打される。唯一の扉の前には、秘書と図書係が控えていて、誰も出入りしていないことを確認していた。二人とも書籍愛好家に好意をもっていなかったので、容疑は二人にかかる。意外な真相は? これは反則ぎりぎりの力技。ところでウィスキーのソーダ割りはおいしいのかなあ。

「赤いカツラの手がかり」 The Clue of the Red Wig (ミステリ) ・・・ 12月の寒夜に半裸の女性死体が見つかる。なんで半裸だったのか、なんでいい加減な着付けをしていたのか? 現場を目撃した人物は目もくらむような光をみたというがそれは何? 珍しくシリーズ探偵の登場しない一編。元気でおしゃまな女性新聞記者と若い警察官の共同捜査。女性記者のツンデレ振りと警察官との掛け合い漫才で物語が進む。こういうのをスクリューボール・コメディというのかな。

「第三の銃弾」 The Third Bullet (マーキス大佐) ・・・ 判事が自室で射殺される。そこには彼が刑を執行した元囚人がいて、発射されたばかりの拳銃をもっている。奇妙なことに判事を射殺した弾丸は青年の持つ拳銃から発射されたものではなく、しかもまた別の拳銃から発射されたと思しき銃弾が見つかる。密室状態の部屋にあと2つの拳銃があるはずだが見つからない。この奇妙ななぞに「不可能犯罪捜査課」の主任が挑む。ハヤカワ文庫では改作された後の版が出版されている。フェル博士やH.M卿のような騒々しい人物がいないと、長丁場はもたないなあ。


 この短編集に収められているのは、1943から48年にかけてかかれたもの。そういう時代にも関わらず、戦争の影がほとんど感じられない。1945年からしばらくの間、この国で書かれた探偵小説は戦争を意識しているものがほとんどだったのと好対照。