odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

カンパネッラ「太陽の都」(岩波文庫) 資本主義型自由経済や民主制がない時代に構想された哲人政治の都市型ユートピア。

 昨日のエントリを読み直したら、福永武彦の「未来都市」が「太陽の都」に似ているなあと妄想が起きた。当初の予定を変更して、緊急(笑)エントリーでカンパネッラを取り上げます。


 人生の三分の二を獄中で過ごしたという奇人(マルキ・ド・サドの獄中生活も長いが、カンパネッラのような政治犯・思想犯としてではない)。獄中で書いたユートピア論。注意するのは、資本主義も産業革命もない時代で、ようやく貨幣経済が浸透してきたころということ。民主主義もなく、人間平等論もなかった時代。科学と神学の境はあいまいで、呪術的思考や類推思考が一般的だったころ。

1.都の建築的構造 ・・・ 7つの城壁に囲まれた7つの部分からなる都市。7は日・月・水・金・火・木・土の7惑星の象徴だろう。著者はガリレイと親交があったというが、性生活など占星術を統治に使っているので、その影響と考える(これは私見)。

2.都の統治形態 ・・・ 統治者「太陽」の下に、3人の副統治者「力」「知恵」「愛」がいる。太陽は形而上学者でもある。力は戦争と平和、軍略など軍事担当。知恵は学問や技術的学芸をつかさどり、その下に学問の区別分の学者が仕事を補佐する。愛は生殖と担当し、そのうえで教育・医学・食料・農業・食事・衣食を担当する。

3.政体・職務・教育・生活形態 ・・・ 私有できるものはなく、共有になっている。子供も例外ではなく、3歳から都の教育を受け、さまざまな都の仕事・学問に参加する。熟達できる技芸を確認し、その仕事に就かせるようだ。これらの判定は4人の統治者に任命された「役人」が行う。老人も含めて、仕事を持たない人はいない。ただし労働時間は一日4時間。

4.性生活 ・・・ 結婚と性行為と子育ては国家が管理する。子供は親の所有ではなくて(ジョン・ロックとは大違い)、国家の共同管理に置かれるとする。人間の労働が社会の生産を規定するので、その資産管理をしっかりやらなければならないということか。2歳までは母と生活し、それ以降は国家の指導で教育や職業訓練を受ける。なお、障害を持つものには負担を軽くした仕事が与えられ、貧困に窮するものはいない。

5.軍事 ・・・ 市民は軍事訓練を受け、いつでも兵士になれるようにしている。太陽の都市内では原則としていさかいはないが、生じたときには「太陽」が預かり、戦争のときに鬱憤を晴らせるようにしている。都の周辺には4つの別の国があり、太陽の都の支配下に入りたいので、軍事紛争が起こることがある。

6.仕事 ・・・ 奴隷や召使は存在しないし、彼らに賦役を命じる主人もいない。仕事の量や質に応じて生産物は適正に分配される。貨幣は市内では使われない。外交や交易のときのみ(交易は国家事業なんだろう)。市民は物を持つことに価値を置かないので、資産や財産を個人的に増やそうとする人はいない。

7.食事と健康法 ・・・ 占星術の知恵を借りたりして、市内で取れた食物を食べているから、みんな健康で慢性病はほとんどないよ。

8.学芸と役人 ・・・ 市民は十人組に組織され、百人組など上位組織に属している。組織の長は定期的に交代する。それとは別に仕事別の指導者がいて、彼は評価者であると同時に裁判官でもある。判決はほぼ即決。死刑もあるが、市民は全員死刑に参加しなければならない。ただしほとんど罪状は酌量されるようだ。法令はわずかで壁に書いてある。なお、統治者と副統治者の4人を市民が辞めさせることはできない。それぞれが禅譲にふさわしい人物を見つけて、後継者とする。

9.宗教と世界観 ・・・ 占星術に仕えるような宗教を国家宗教にしている。役人の半分は聖職者であり、国家の重要な仕事は多くの宗教祭儀を行うこと。(なお、この章で天動説に基づく宇宙観が説明される)

10.世界の現在と将来 ・・・ 太陽の都の市民によると、西洋社会はなにか宗教的にも、道徳的も問題だらけらしいと激しく非難され、同時代のことどもがあげつらわれるのだが、理解できませんでした(虜囚でもあり、教会から訴追が生じないようにするための配慮とのこと。林達夫デカルトについて言及しているのと同じだろうか)。

 さて、もっと古いロンゴス「ダフニスとクロエ」などでは農業共同体と全員参加の統治がおこなわれていた。それから時代がたつと、共同体の人数も増え複雑な統治体制ができている。上記のように資本主義型自由経済や民主制は採用されていない。書かれてから400年たつと、哲学思想から文学のほうに移動してきた。そのうえで、このユートピアをどう評価するのだろう。生まれたときから学芸、技術、仕事などで指導者の管理の下にあり、仕事が社会から指名されるというのは、気楽でいいのか、不自由と考えるのか。ほぼすべての行動は集団で行うことになるが、それは近代人にとってうれしいことなのだろうか、それとも束縛になるのだろうか。生産の配分が仕事に応じているとはいえ、配分による差はまず現れないというのは、起業家や技術者にとって困るのだろうか。この社会では家族も賃金奴隷制もないという笠井潔「バイバイ、エンジェル」の秘密結社の綱領が実現しているのだが、それは理想の共産主義であるのか、それとも完全管理の収容所群島が実現しているとみるべきか。統治は4人の少数エリートに任されているのだが、ルソーの民主制が実現したとみるべきか、制度化された独裁制とみるべきか。周辺諸国とは最低限の外交と貿易しかしない社会は、はなもちならないエリート主義ないしメシア主義の専横国家であるのか、それとも革命を輸出しない国際的に安全な国家であるとみるのか。原則として変化のない社会は歴史を終えたポストモダン、ポスト資本主義とみるのか、原始共同性から発展していない未開な社会とみるべきか。まあこんなところかな。太陽の都を現代に実現するのはナンセンスなのだが、こんな風に現代的に読みかえることによって、すこしはアクチュアリティがでてくるのではないかと期待する。