odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

カンパネッラ「太陽の都」(岩波文庫)

 昨日のエントリを読み直したら、福永武彦の「未来都市」が「太陽の都」に似ているなあと妄想が起きた。当初の予定を変更して、緊急(笑)エントリーでカンパネッラを取り上げます。


 人生の三分の二を獄中で過ごしたという奇人(マルキ・ド・サドの獄中生活も長いが、カンパネッラのような政治犯・思想犯としてではない)。獄中で書いたユートピア論。注意するのは、資本主義も産業革命もない時代で、ようやく貨幣経済が浸透してきたころということ。民主主義もなく、人間平等論もなかった時代。科学と神学の境はあいまいで、呪術的思考や類推思考が一般的だったころ。
1.都の建築的構造 ・・・ 7つの城壁に囲まれた7つの部分からなる都市。7は日・月・水・金・火・木・土の7惑星の象徴だろう。著者はガリレイと親交があったというが、性生活など占星術を統治に使っているので、その影響と考える(これは私見)。
2.都の統治形態 ・・・ 統治者「太陽」の下に、3人の副統治者「力」「知恵」「愛」がいる。太陽は形而上学者でもある。力は戦争と平和、軍略など軍事担当。知恵は学問や技術的学芸をつかさどり、その下に学問の区別分の学者が仕事を補佐する。愛は生殖と担当し、そのうえで教育・医学・食料・農業・食事・衣食を担当する。
3.政体・職務・教育・生活形態 ・・・ 私有できるものはなく、共有になっている。子供も例外ではなく、3歳から都の教育を受け、さまざまな都の仕事・学問に参加する。熟達できる技芸を確認し、その仕事に就かせるようだ。これらの判定は4人の統治者に任命された「役人」が行う。老人も含めて、仕事を持たない人はいない。ただし労働時間は一日4時間。
4.性生活 ・・・ 結婚と性行為と子育ては国家が管理する。子供は親の所有ではなくて(ジョン・ロックとは大違い)、国家の共同管理に置かれるとする。人間の労働が社会の生産を規定するので、その資産管理をしっかりやらなければならないということか。2歳までは母と生活し、それ以降は国家の指導で教育や職業訓練を受ける。なお、障害を持つものには負担を軽くした仕事が与えられ、貧困に窮するものはいない。
5.軍事 ・・・ 市民は軍事訓練を受け、いつでも兵士になれるようにしている。太陽の都市内では原則としていさかいはないが、生じたときには「太陽」が預かり、戦争のときに鬱憤を晴らせるようにしている。都の周辺には4つの別の国があり、太陽の都の支配下に入りたいので、軍事紛争が起こることがある。
6.仕事 ・・・ 奴隷や召使は存在しないし、彼らに賦役を命じる主人もいない。仕事の量や質に応じて生産物は適正に分配される。貨幣は市内では使われない。外交や交易のときのみ(交易は国家事業なんだろう)。市民は物を持つことに価値を置かないので、資産や財産を個人的に増やそうとする人はいない。
7.食事と健康法 ・・・ 占星術の知恵を借りたりして、市内で取れた食物を食べているから、みんな健康で慢性病はほとんどないよ。
8.学芸と役人 ・・・ 市民は十人組に組織され、百人組など上位組織に属している。組織の長は定期的に交代する。それとは別に仕事別の指導者がいて、彼は評価者であると同時に裁判官でもある。判決はほぼ即決。死刑もあるが、市民は全員死刑に参加しなければならない。ただしほとんど罪状は酌量されるようだ。法令はわずかで壁に書いてある。なお、統治者と副統治者の4人を市民が辞めさせることはできない。それぞれが禅譲にふさわしい人物を見つけて、後継者とする。
9.宗教と世界観 ・・・ 占星術に仕えるような宗教を国家宗教にしている。役人の半分は聖職者であり、国家の重要な仕事は多くの宗教祭儀を行うこと。(なお、この章で天動説に基づく宇宙観が説明される)
10.世界の現在と将来 ・・・ 太陽の都の市民によると、西洋社会はなにか宗教的にも、道徳的も問題だらけらしいと激しく非難され、同時代のことどもがあげつらわれるのだが、理解できませんでした(虜囚でもあり、教会から訴追が生じないようにするための配慮とのこと。林達夫デカルトについて言及しているのと同じだろうか)。
 さて、もっと古いロンゴス「ダフニスとクロエ」などでは農業共同体と全員参加の統治がおこなわれていた。それから時代がたつと、共同体の人数も増え複雑な統治体制ができている。上記のように資本主義型自由経済や民主制は採用されていない。書かれてから400年たつと、哲学思想から文学のほうに移動してきた。そのうえで、このユートピアをどう評価するのだろう。生まれたときから学芸、技術、仕事などで指導者の管理の下にあり、仕事が社会から指名されるというのは、気楽でいいのか、不自由と考えるのか。ほぼすべての行動は集団で行うことになるが、それは近代人にとってうれしいことなのだろうか、それとも束縛になるのだろうか。生産の配分が仕事に応じているとはいえ、配分による差はまず現れないというのは、起業家や技術者にとって困るのだろうか。この社会では家族も賃金奴隷制もないという笠井潔「バイバイ、エンジェル」の秘密結社の綱領が実現しているのだが、それは理想の共産主義であるのか、それとも完全管理の収容所群島が実現しているとみるべきか。統治は4人の少数エリートに任されているのだが、ルソーの民主制が実現したとみるべきか、制度化された独裁制とみるべきか。周辺諸国とは最低限の外交と貿易しかしない社会は、はなもちならないエリート主義ないしメシア主義の専横国家であるのか、それとも革命を輸出しない国際的に安全な国家であるとみるのか。原則として変化のない社会は歴史を終えたポストモダン、ポスト資本主義とみるのか、原始共同性から発展していない未開な社会とみるべきか。まあこんなところかな。太陽の都を現代に実現するのはナンセンスなのだが、こんな風に現代的に読みかえることによって、すこしはアクチュアリティがでてくるのではないかと期待する。