2005年に出した小論集。これだけ密度が高い内容では、サマリーを作るのも素人には難しい。幸いサンデルの薫陶を得た研究者が啓蒙書をだしているので、参考にするとよい。
2019/07/19 小林正弥「サンデルの政治哲学」(平凡社新書)-1 2010年
2019/07/18 小林正弥「サンデルの政治哲学」(平凡社新書)-2 2010年
2019/07/16 小林正弥「サンデルの政治哲学」(平凡社新書)-3 2010年
アメリカと日本では、国家の成り立ち、民族のまとまり、民主主義の考えなど、多数にわたって異なることが多い。サンデルのいう「自由」「国家」「コミュニティ」などの概念は日本のそれと異なっている。なので、サンデルの主張をそのまま日本の現状に当てはめるのと、サンデルの意図を外してしまいそうなので、注意深くなろう。
はじめに ・・・ 21世紀のアメリカ政治では、(正義や公正などの)市民の感覚は鈍っている。一方で「道徳的価値観」を主張する候補者は票を得ている。リベラリズムに道徳的・市民的な声を反映して自己統治のプロジェクトを復活することを検討する。
第1部 アメリカの市民生活
アメリカにおける公共哲学の探求 1996 ・・・ 第1部の総括的な論文。もともと農業国だった建国当時までのアメリカでは、共和主義の自由を目指していたが、工業が隆盛になるにつれてリベラリズムの自由が主流になっていった。共和主義では自己統治の分かりあい、公的な事柄に参加し、道徳的市民になることを重視する。リベラリズムでは中立的な権利の枠組みを定めその内部で価値観や目的を選択できることを重視する。リベラルが政治の主流になると、道徳を育むより人が自ら選んだことを自由に遂行できることを目指す「手続き共和国」になる。工業資本がグローバル化し、資本・財・情報などが国家を離れて自由に移動し、金融市場が世界統合されるなどで国家を蝕むようになる。一方で、市民は主権を国家に移譲しているので、個人は支配力を喪失しているとか制御できない力に生活を律されているように感じる。グローバル化は相互依存のネットワークを作ったが参加している実感を持たないので何も生まない。なので、分散化した主権を上下双方に分かち合う多様なコミュニティに参加して道徳的市民の自己統治を作ろう。
(おれの妄想では、リベラリズムは社会が個人の生活と企業と市場と国家でできていると考える。これは経済学もそう。でも、ほかに貨幣経済とは別の贈与の経済を行っているコミュニティや公共が社会にある。これも社会や経済を考えるときに考慮しないと漏れることがたくさんありそう。またアメリカはヨーロッパ的な国民国家であったことはないので、国家と民族の関係を日本のような国民国家のように同一にみるのも誤り。でないと、超国家連合体のECや国家の枠組みからはみ出すマイノリティ民族の独立運動などを見過ごすことになる。あと、ネオコンやリバタリアンは大きな政府を攻撃するが、大きな企業・資本を攻撃しない。コミュニティの多くは偏見の温床、不寛容の前哨、多数派の横暴が見られ、自己統治は行われていない、などの見解に共感した。)
個人主義を越えて――民主党とコミュニティ 1988 ・・・ 民主党はニューディールリベラリズムの伝統を持っているが、個人と国家のことに関心をもっていて、中間的なコミュニティを重視してこなかった。経済活動の規模が大きくなり、中間的なコミュニティの力と役割が低下して、市民は参加する意欲を失ってきた。そこをレーガンと共和党と保守派がついて、政権を取ってしまった。リベラルはこの戦略を研究して取り込むべき。
(礼節や道徳心が失われることに対して保守派は法制化しようとする。それは国家やグローバルな組織の権力を拡大し、保守的な価値観を強化し、宗教的なテーマが活用されるので、よくない。)
手軽な美徳の政治 1996 ・・・ 1996年の大統領選。経済規模の規模が既存の民主主義の枠組を越えているのに、市民としての役割を果たす素養を身に着ける方法や場所がない。民主党はそれにこたえていない。
大きな構想 1996 ・・・ 同じ年の大統領選。民主党は小さな政策を公約にするが、大きな構想(国家ビジョン)や道徳的力の喚起をしない。経済生活の規模が既存の民主主義制度の枠組みを超えるようになって、市民の無力感や不信の原因になっている。そこを打破する構想を打ち出すべき。
礼節をめぐる問題 1996 ・・・ 市民の礼節が失われたといわれ、市民道徳の回復のためにコミュニティの再生運動が起きている。その試みと同時に、民主主義を蝕む勢力(企業、大きな政府を嫌う政治勢力、富裕層など)と戦い、自己統治や市民社会にふさわしい経済制度も考えて試すべき。
大統領の弾劾――当時と現在 1998 ・・・ リチャード・ニクソン(1974年)とビル・クリントン(1998年)の場合。
ロバート・F・ケネディの約束 1996 ・・・ 彼は「アメリカリベラリズムの独りよがりを乗り越える政治的ビジョンをもっていた」「(彼は)個人と国家の中間にあるコミュニティの自己統治の重要性を強調」した。革新は(彼のような)説得力ある声を取り戻していない。市民性(シチズンシップ)は消費社会の基礎訓練を越えたなにかから成るもの。
アメリカの保守は経済の自由主義を強く主張するので、市場の自由放任、規制緩和、小さな政府などを要求する。そこにキリスト教保守派が加わるので、道徳の法規制を強めようとする。日本の保守派は、このような経済自由主義派(ニューディールリベラリズムに近い)と経済統制を目標にする全体主義・権威主義(神道保守が翼賛)がごっちゃになっている。経済自由主義が強かったが、1980年代から後者の全体主義・権威主義が強くなって、21世紀には前者がほぼいない状態になっている。という具合に、「保守」の指すものに日米の違いがあることに注意。
キーワードは「自己統治」。論文の中では説明がないくらいに、アメリカ国内では日常言語になっているのだろう。書かれたことからイメージすれば、地域、教会、学校、組合その他の地域コミュニティに参加して、その行事や活動や運動などを実践し、主権を実際に行使する活動をすること。そうすると、コミュニティメンバーとの交通(@マルクス)が行われていく。注意するのは、アメリカのコミュニティは地縁や血縁はあまり重視されない(何しろ移民の国で、人口の流動性が高い)。言葉を異にする<他者>との間で交通するので、モラルよりもエシックスが優先される。そこで道徳や正義の観念を得て、実践を経ることでコミュニティを運営する。そんな感じかしら。イメージするのは西部劇映画の開拓農民たちと商店の集まりか。自己統治するコミュニティには、自ら雇った保安官がいて治安維持が行われ、巡回裁判に陪審員として出席し法の執行に関与する。
アメリカの草の根民主主義は地域コミュニティの参加を通じて国政に参加する。それが経済のグローバル化ほかで機能しなくなったので、回復しようというのがサンデルの主張。
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2021/11/04 マイケル・サンデル「公共哲学」(ちくま学芸文庫)-2 2005年
2021/11/02 マイケル・サンデル「公共哲学」(ちくま学芸文庫)-3 2005年