odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

廣澤栄「日本映画の時代」(岩波現代文庫)

 1980年を過ぎてから日本映画はダメになったといわれ続けてきたが、どうもそうではなくなってきたらしい。相変わらず文芸ものといわれる分野に見るものはなくても、もっとマイナーな分野ではずいぶん面白く、かつ海外の興行収入のあがるものが出てきた。その理由が、海外の映画(正確にはハリウッド)を買い付ける金額が高騰し、海外の評判(正確にはアメリカの興行収入)と日本の収益が連動しなくなった。そのため、ばくちのように海外の新作を買い付けるよりも、同じ金を国内の制作者に投資したほうがローリスクになるという。微苦笑するような事態であるにはしても、国内で不遇を囲ってきた連中ががんばってくれることはうれしい。
 作者は1950-70年代に映画の製作にかかわってきた一人。助監督として、黒澤明成瀬巳喜男など「伝説」になっている監督や名作の制作秘話を語っている。映画そのものが面白いのであるから、その裏側で起こった出来事には興味を惹かれざるを得ず、映画の制作が工業製品の製作と違って手作りでありハプニングの連続であるとすると、そこにみられる各人の対応に人間くささが横溢するのであり、ますますエピソードに引かれるのである。これをもとにして、映画を作る映画があってもいいのかな(トリュフォーの「アメリカの夜」だな。あと押井守も「うる星やつら」で映画を作るエピソードをいくつか作っていた)。
 とはいえ、1970−80年代にいったん「死んでしまった」(といわれる)映画作成の仕組みに基づいた話であるので、必ずしも今日の作成現場に妥当するものがあるわけではない。現在の作成現場はまた別の方法論による映画制作をしているのであろう。とはいえ、その裏側の話には興味を引かれるのであり、平成ガメラを作った金子修介監督の日誌など、ずいぶん面白く読んだ。それは活字の人だけに限られる話でないのは、DVDが販売されると、特典映像としてメイキング映像がついていることから説明できる。やはりだれも裏側の話も見聞きしたいのだ。

1.遠い波 ・・・ 昭和10年代から映画を見始めた。心を奪われたのは内外の戦争映画。カメラマンの存在を知りあこがれたが、1944年に20歳になると召集令状が来た。
2.潜望鏡 ・・・ 入営前に東宝に入社。そのとき衣笠貞之助監督、藤田進・轟夕起子主演で「間諜 海の薔薇」という海軍省の映画を作る仕事をした。そのとき、外人俳優を使う必要があったが、神戸の憲兵から捕虜を斡旋してくれた。
3.東宝撮影所の1945 ・・・ 8月15日は、山本嘉二郎監督らと館山にいた。敗戦後、東宝労働組合ができるときに参加した。なにしろ東宝は積極的に戦争映画を作って、戦意高揚の国策にのっていたから。その反省もこめて、民主化をめざした。
4.「七人の侍」のしごと ・・・ 1954年封切りの映画について。このときから黒澤明は「テンノウ」と呼ばれていたが、現場ではあだ名で呼び合うのが普通だった。自分も含めてクレジットにでていない関係者もいる。数年前に東宝が分裂したせいで、スタッフが少なく、アルバイトというか契約社員というかこの映画のためだけの契約で仕事をしているスタッフがたくさんいた。
5.成瀬巳喜男のしごと ・・・ 黒澤明が完璧主義で予算オーバー、スケジュール過重を辞さない人だったのに対し、成瀬巳喜男は予算とスケジュールをしっかりまもる仕事人であった。「驟雨」という映画で一緒に仕事をしたが、撮影に入ったときには監督の頭にはコンテが完璧にできていて(俳優もセリフがはいっているのが当然という組であった)、さっさと撮影を片付けていく。9時に撮影開始で4時45分には終了。翌日の手配を簡単に指示すると、5時には撮影所近くの飲み屋でコップ酒を飲んでいるのであった。そういう仕事ぶりでも、たった3週間の撮影で正月映画を撮ってしまったのである。
6.わたしの中の豊田四郎 ・・・ 豊田四郎に好まれ、「白夫人の妖恋」(これは円谷特撮でも知られている)や「駅前旅館」で一緒に仕事をした。楽しい思い出。豊田から北ベトナムの話を映画化する依頼があったが実現する前に豊田は急逝した。ベトナム戦争勃発ころで渡航のできないとき、何を考えていたのだろうか。
 この国の映画という産業は第1次大戦の終わりごろに株式会社化され(それまで個人プロダクションくらい)、量産体制が整った。戦前の映画は封切り終了と同時に廃棄する消耗品であって、残されていない作品が多い。1930年以降、軍部が政治を行うようになってからは国策映画、戦意高揚映画などを作り、政治化していった。同時に新聞と並ぶ民意を形成する重要なメディアとなった。戦後は観客動員が最大数を記録するという黄金時代となる。あわせて「芸術家」と呼ばれる巨匠や才能のある人が頻出した。TV産業が登場した後には、急速に没落した。著者の世代は映画産業の栄光と没落を一代で経験したことになる。一産業の勃興と衰退は映画産業ほどに早いかどうかをおいておくとして、その中にはさまざまな面白おかしく、悲しく寂しいエピソードがたくさんあると見える。だから映画を見るように、映画界の話を読みたいのでもある。