odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

山崎浩太郎「クライバーが讃え、ショルティが恐れた男 指揮者グッドオールの生涯」(洋泉社) 定年退職間近になってからようやく大衆的な人気がでるようになった不遇で幸運な大器晩成の指揮者。

 クラシックの世界にもヒエラルキーがある。大きな歌劇場やオーケストラの責任ある地位についていたり、メジャーレーベルのレコード会社から定期的にCDや映像を販売できるような人たちがヒエラルキーの最上位にいることになる。これらの人はメディアでよく取り上げられ、世界規模の演奏会活動を行っているから、人はよく知っている。ただ、CDがでてから音楽に関する情報量が圧倒的に増えた結果(現在の学生は自分の学生のときに使った費用と同額で数倍の情報を持つことができるだろう)、こういうメジャーなヒエラルキー上位の人たちにはエントロピー飽和の状態になって、新たな関心を持つことが難しくなる。その結果、ヒエラルキー下位の、つまりは余り知られていない演奏者に興味を持つことになる。
 最近になって思うのは、日本のレコード評論家は、CDや演奏会の批評を書くだけではなく、自分の気に入った知られていない演奏家を熱烈に紹介することも仕事ではないか、ということ。とりわけ奇矯で知られざる演奏家を推薦し、それが読者に受けることによって評論家のステータスは上がるようだ。たとえば宇野功芳クナッパーツブッシュ黒田恭一グルダ許光俊のケーゲルとシェルヘン、平林直哉のゴロワノフというところ。これらの人たちが熱心に紹介することによって、彼ら隠れていた演奏家は名を知られるようになった。上のようなメジャーの演奏家に飽きていた人たちにとっては、これらの評論家は新たな啓示を与えるものになる。
 さて、歴史的録音にこだわり、CDやレコードが作られる現場に興味を持つ山崎浩太郎氏は、レジナルド・グッドールという指揮者をコヴェントガーデン歌劇場に見出す。彼の紹介によるグッドールは老年にいたるまで不遇であった。それこそ定年退職直前の年齢になって、他人の推薦によって「マイスタージンガー」を指揮したときに喝采が訪れ、大衆的な人気が出るようになった。タイトルの「ショルティが恐れた」というのはコヴェントガーデンの音楽監督ショルティその人で、彼のプロデュースと無関係にグッドールが成功したことにやっかみを持ったことから(ショルティはVPOを指揮したワーグナーのオペラをリリースしていてワグナー指揮者として名を知られていた。にもかかわらずイギリスでは人気が出なかったのだ)。
 非常に劇的な人生であって、社会が安定していた1950年代以降にこういうおとぎ話のような事態があるのかと思ってしまう。そのあたりは、日の当たらない部署にいてうだつのあがらない凡庸な一般生活者に共感を覚えるようなことになるのかな。こういう大器晩成の人がいるのだから、俺もいずれは・・・と。こういうときに忘れるのは、グッドール自身は窓際(実際は屋根裏部屋に追いやられていた)にいながらも、仕事への熱情冷めやらず、日々研鑽に励んでいたということだ。場末の飲み屋で愚痴をこぼしくだを巻くようなことはしていない。
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 さて、グッドールの演奏はCDで「パルジファル」とブルックナー交響曲第8番を聞いた。前者はこの人を敬愛する著者であっても推薦できない凡演、後者はオケが荒いのが気になるライブ。ということもあって、著者のいうほどこの人の演奏に心奪われることにはならなかった。

 似たような指揮者を探すとなると、NAXOSブルックナー交響曲全集をまかされたゲオルグ・ティントナーになるだろう。われわれが彼の名を知ったとき70歳を超えていた。初来日が決まっていたが、がんに侵されていたティントナーは自宅の階段から自ら落ちた。合掌。