odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

「円谷英二の映像世界」(実業之日本社)

 1983年初版。自分は、テレビ番組のウルトラマンほかのシリーズはリアルタイムでみたのだが、東宝特撮映画は乗り遅れた。なので、ほかのサイトなどを参考にこの時代の背景をまとめてみる。
 ゴジラシリーズは1975年の「メカゴジラの逆襲」で制作が中止された。観客動員数が歴代最低であったことや、アニメやアクションものあたりに観客の興味が流れたせいかな。その間に、自分らのように1960年代に特撮映画を劇場で見たり、テレビで見ていた世代が金を使える青年になる。すると、特撮映画を見たいという欲求がうまれるが、旧作を地方映画館で見るしかない。あるいは自主上映するしかない。たとえば、自分のいた大学では学園祭の終夜映画上映企画で、「三大怪獣 地球最大の決戦」を取り上げている。当然といえば当然だが、小美人二人がラドンモスラの会話を通訳したところで20歳前後の学生から失笑・苦笑が漏れたなあ。さて、そのとき上映されたほかの映画をメモしておこう。
大島渚「日本の夜と霧」1960年
藤田敏八八月の濡れた砂」1971年
山本暎一哀しみのベラドンナ」1973年
神代辰巳「一条さゆり 濡れた欲情」1973年
本多猪四郎三大怪獣 地球最大の決戦」1964年
 いかにも当時(1980年代初頭)の大学生の心意気(というかスノッブぶり)をみることができる。性と暴力と政治に関心があるというのが、特長かな。そのような長時間の上映を講堂の固い椅子で全部見たという自分の体力を懐かしむ。
 こういうイベントの決算にあたるのが、1983年8月5日、東京・日比谷公会堂に於いて行われた「伊福部昭・SF特撮映画音楽の夕べ」とそれに関連した連続上映会かしら。これらのイベントは自分は参加していないし、ほかの人が詳しいのでパス。そして9年ぶりに映画「ゴジラ」を制作することが発表された(1984年公開)。

 それと歩調をあわせるように、この本が出版される。たぶん円谷英二の十三回忌の意味もあったのだろう。1954年からのゴジラシリーズだけではなく、円谷英二のカメラマン、特撮監督の仕事を網羅しようという意図もあった。なので、戦中の作品も取り上げられている。そして、当時存命中だった、円谷組や関係者の証言や追想がまとめられる。子供向けの怪獣図鑑などで特撮技術が説明されることはあったが、大人向けのここまで網羅したものはなかったのでないかな。多くの写真を収録して、その後のゴジラ研究の基礎となる重要文献になる。自分の持っているのは1983年版だが、2001年に増補改訂版が出ていて、そちらのほうが入手が容易。
 とはいえ、これは好事家向けの一冊。当時の特撮技術やさまざまなエピソードはネットにたくさんあって、この本の内容以上のものが入手できるようになった。
 自分には第1作ゴジラの制作にあたり、香山滋の準備稿ではエキセントリックな性格の山根博士が脚本の村田武雄の反対で温厚で常識的な博士に変わったと証言をみつけたことが重要。

「当時ですとね、まあ江戸川乱歩さんなんかが書いていた時代だから、博士というと、黒眼鏡をかけて、山高帽を被って、黒マントを羽織った、不思議な博士がよくでてくるものなのよ。それが、湖水があって、そばに古びた洋館があってそこに住んでいて、綺麗なお嬢さんいて、で、どんな生活なんだ? といえば、そんな生活なんか構わない、それが当時の、探偵小説みたいなもので、最初香山さんのアイデアだったの」(P72-3)

 東宝特撮映画のマッドサイエンティストのイメージは香山のがプロトタイプであって、遡ると江戸川乱歩(の少年ものなのだろうな)にいくのだろう。そのようなエキセントリックな博士象に村田は反対して、「博士は僕らと同じようにね、働き、飯を食うのに、ストロンチュウムがあったりしたら困るじゃないかという、そういった庶民的なものがなきゃ困るんだ」ということで、映画の山根博士になったという。
 エキセントリックな博士のイメージ(高齢独身で古城に娘か孫娘と住んでいる)の原型を見つけるのは困難だが、自分の見つけた最も古いのはルルー「黄色い部屋の謎」1907年のスタンガースン博士ウェルズ「モロー博士の島」1896年の主人公。あとは映画「フランケンシュタイン」1931年の博士だろうな。
 もうひとつ、本多猪四朗監督の意図が反核反戦にあるという証言を見つけたことで満足。

「僕はね、作品自体に社会時評というか社会性というか、そううものは特に思って(脚本を)書きませんでした。ただ、とにかくもう原爆は作っちゃいかんのだ、これだけですね。ええあんなものがね、あんなものがやたらに使われた日にゃたまったもんじゃない。これはね、今でも間違っていないと思うし、これからも反対していくものなんです。(P83)」