odd_hatchの読書ノート

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立花隆「日本共産党の研究 1」(講談社文庫)

戦前の共産党の実態はどうだったか。その成立のいきさつ、コミンテルンによる支配、資金の出所、組織、相次ぐ転向者など──戦時下の弾圧による党崩壊までの激動の歴史を実証的に追い、当時の関係者の証言を記録する。理論や主張としてではなく、生きた人間研究としての初の本格的な通史。全3冊。
『日本共産党の研究(一)』(立花 隆):講談社文庫|講談社BOOK倶楽部

 松本清張「昭和史発掘」を読んでいたときに、1928年の「3.15事件」その他共産党関連の事件の記述がでてくる。当時(大学入学直前)はなんのことやらさっぱりだったのだが、このように「日本共産党史」として読むと、了解できる。なるほど、日本の社会主義運動はだいたい1900年ころに端を発するが、しばらくは社会民主主義の革新運動ないしアナーキズムであった。マルクスレーニン型の共産主義運動はきわめて少数だった。なにしろ、まだ世界のどこにも共産主義革命が実現したことはなく、ボルシェヴィキなど弱小団体に過ぎなかったから。それが変換したのは1918年ロシア革命の成功から。すぐさま革命ロシアに「コミンテルン」なる国際共産主義運動の指導組織が生まれる。たいていの国ではすでにある共産党を傘下に収めるのであったが、この国ではまだ共産党は生まれていない(古参の社会主義者、たとえば堺利彦荒畑寒村などはボルシェヴィキを嫌っていたのであった)。そしてコミンテルンの指導と資金を基にして、1921年共産党が生まれたのだった。ここでは誕生から1929年までを詳述する。あわせて、1975年当時の日本共産党の批判が行われる。
 昭和初期の共産党について記憶して置くべき指摘点は
・当初からコミンテルンの資金と指導を仰いでいたので、ソヴェト共産党の影響から逃れられなかった。
1920年代のソ連共産党は、レーニン没後の権力闘争があったこと、ドイツ革命の頓挫で世界革命の希望がなくなり、ソ連保護にコミンテルンの方針が変更されたことがあり、日本共産党はそれに振り回された。ちなみにこれは1950年代にも繰り返される。
共産党を解党するために、公安・特別警察が強化された。彼らを弾圧することにより、技術・組織力を強化し、それは1930年代の国防体制や戦後の警察・官僚などに影響している。(この手の本を読むと、共産党はダメみたいな感想を持つのだが、警察や特高が苛烈な拷問や不当な長期拘束、場合によってはリンチ殺人を行っていることに注意しなければならない。)
共産党の組織はきわめて弱体であった。それをコミンテルンに過大報告していたために、極左・暴力路線をとることになり、自滅することになった。
共産党の影響力は、労働者にはきわめて弱い。当時の労働運動は、賃金ダウン撤回・職場環境改善・解雇撤回などを主目標にしていて、革命まで考えは及んでいない。一方、インテリには大きな影響力を持っていた。思想内容にも、肉体嫌悪の自己破壊的な運動へのまい進などに、インテリはコンプレックスを持っていた。(このあたりは、野間宏武田泰淳椎名麟三埴谷雄高堀田善衛などを読むときの参考になる。共産主義にはもっとも無縁と思える福永武彦にも「未来都市」という影響された小説があるし。)
・あと、逮捕後の共産党員の「転向」は日本的な問題として捉えられる。
 あたり。
 後者の共産党批判の骨子は、内部における民主集中制と外部に対する独善主義への批判となる。このあたりの主題は、和田春樹「歴史としての社会主義」、大西巨人「天路の奈落」と同じ。この著書の発表のほうがずっと早い。上記の批判は、たぶんローザ・ルクセンブルグとかトロツキなど、ボルシェビキ発足直後からあったのだろう。ロシア、中国、キューバなどの革命の成功が組織の内部改善を疎外する原因になったのだろう。こういう成功体験が組織を腐らせるのだろうな。
 現在(2010年)の日本共産党がどうなっているかには関心はない。その代わりとして、この先にも、さまざまな社会改革運動やそれを実行する組織が生まれるだろうが、20世紀の共産主義運動と組織の失敗を十分に学んでほしい。