odd_hatchの読書ノート

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アニー・クリジェル「ユーロコミュニズム」(岩波新書)

 1970年代のコミュニズムを思い出すと、ひとつは既存の共産主義国家、政党、労働組合のどうしようもなさが明確になっていたこと(ソ連と中国の争いとか、ソ連の反抗知識人への迫害とか、東欧諸国からの亡命とか)、もうひとつはそれに対抗する新左翼のより強化された官僚主義と過激な闘争方法にたいして幻滅していたこと(リンチ殺人とか、一般大衆を巻き込むテロリズムとか、党派争いとか)で、共産主義に対するイメージは悪化していた。なにしろ、まだ民衆(といっていいのか)にはさまざまな国家や権力への抵抗や反対の意思があっても、それを左翼陣営はうまく取り込むことができなかった。むしろ党派の利害を最優先させるように見える言動がしばしば民衆の要求を粉砕するものでもあったのだった。これは共産党だけではなく、社会民主主義を掲げる党派(この国では社会党だな)でもみられることだった。
 そんな閉塞状況において、フランス・イタリア・スペイン共産党は独自の共産主義を掲げて、新しい潮流になった。この本はそのユーロコミュニズムと名づけられた運動を紹介するもの。とはいえ、ユーロコミュニズムはひとつの運動でも潮流でもない。とりあえずソ連の影響下にあることを拒否する各国の共産主義運動をまとめるための呼び名に過ぎないようだ。

 この本によるユーロコミュニズムというのは、どうやら否定形でしか紹介できない。それは
プロレタリアート独裁ではない・・・「独裁」という言葉がファシズムによって否定的なイメージを持つようになったのでそれは使わない。またプロレタリアートというものももしかしたら存在しないかもしれない。なにしろ知的労働者(インテリとか知識人とか呼ばれる人びと)の労働人口に占める割合が高くなっているから。
・平等は最重要課題ではない・・・これを実現しようとしたソ連と東欧諸国の収容所と密告監視体制は許容できるものではない。なにしろ所有と思想の自由は保証されなければならない。
・国際も最重要ではない・・・以前は「第2インター」とか「コミンテルン」などの国際共産主義運動組織があったけれども、各国の共産主義運動はそれにのっとるものである必要はない。民族ごとに共産主義が異なってもかまわない。
・武力革命ではない・・・おもな要求実現の場は議会であり、積極的に議席獲得にのりだすべき。場合によっては、社会民主主義さらには保守政党との連立もありうる。人民戦線戦略をとろう!
 こんな感じかな。それでも、資本を国家が所有する、党員や官僚が統治するという共産主義(というかレーニン主義)はどうしても捨てられないとみえる。そんなユーロコミュニズムであっても、がちがちのレーニン主義者にとっては、修正主義者であり分派主義者であるということになる。実際、あるときはユーロコミュニズムの一員であるとされた日本共産党も、この種の議論をする人を自己批判させるか除名したりした。ソ連共産党ユーロコミュニズムを掲げる党を批判した(それに影響を及ぼしたチトーに対しても)。こんな具合。
 1980年代に入り、フランス共産党ミッテランを大統領にし、14年間政権につけさせた。彼をどう評価するかは置いておくとして、必ずしも彼は共産主義政策一辺倒であることはできず、保守的・資本主義的な政策を採らざるを得なかった(のか積極的にとったかはよく知らない)。その他の国では、ユーロコミュニズムを掲げる党が優位に立つことはなく、また後の1989年の東欧革命では、ユーロコミュニズムの綱領をとるような民衆組織は現れなかった。


ウンベルト・エーコ「フーコーの振り子 下」(文芸春秋社) - odd_hatchの読書ノート