odd_hatchの読書ノート

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立花隆「日本共産党の研究 2」(講談社文庫)

 引き続き、1930年から1932年までを記述。この間の情勢で重要なことは、
コミンテルンの方針により、「天皇制打倒」が主スローガンになったこと。共産党の主張のみならず、傘下の労働組合にも綱領に掲げるように要請した。その結果は、労働組合治安維持法違反を適用されることにより、傘下の労働組合が壊滅した。
コミンテルンとの連絡が困難になりそれまでの潤沢な資金を得ることができなくなった。
共産党が公安のスパイによって指導された。その結果、一時期は戦前最大の党勢になった(党員数や「赤旗」配布数など)が、定期的に党員が逮捕され、大規模な大衆運動を組織することはできなかった。
・非常時共産党武装闘争を行い、コミンテルンの資金援助が断たれて、知識人のカンパに頼り、それデモ資金が不足すると銀行強盗をしたり、資本家の子女に金を持ち出させたりしていた。それが明るみにでたとき、共産党への支持は大きく失われた。19世紀末のロシアの革命グループ「人民の意志党」がこういう革命収奪を行ったのだよね。目的のためには手段はなんでもよい、正当化されるという理屈で行われたのだった。それをボルシェヴィキは継続し、戦前の共産党が行い、戦後の新左翼党派のいくつかが行った。
・右翼の過激な社会運動が組織され、右翼のテロルが起こるようになった。その結果、特高の取り締まり対象が共産党だけでなく、右翼団体にも広がるようになった。予算や人員を拡充するのが追いつかないので、共産党を1932年に大規模に摘発することになり、ほぼ党は潰滅した。余った人員を右翼団体に振り向ける。
・それと相前後して、3.15事件などで逮捕され、獄中にあった党員(それも幹部級)が相次いで転向声明を発表した。その後、獄中の共産党員の4分の3が転向することになった。
 だいたいこのあたりまで。最初の「天皇制打倒」については、コミンテルンの間違った指導とか、共産党が党勢を過大評価してコミンテルンに報告したとか、共産党の指導部と運動の現場が乖離していたとか、いろいろな問題を指摘することができる。こういう現状分析のあいまいさとか、願望を現実に無理やり当てはめ間違いの原因を現実に向けるというのは、戦後の共産主義運動にも継続されたこと。また、1930年代になると、もう完全にスターリンの独裁体制ができあがっていて、コミンテルンソ連防衛のために使われるようになったというところを抑えておこう。(以下思いつきを述べておくと、この本の中で、スターリン的な官僚体制ができあがるのに応じて、コミンテルンとかソ連共産党の考えが、国際共産主義から民族主義に変化していった、と語られる。この時代になると、大祖国とか偉大なロシア民族とか(ここらへんはうろおぼえ)の文字がでてくるようになる。思い出すのはショスタコービッチの受難であって、この人はたぶん国際共産主義に思い入れのある人。それが初期の作品に表れている。ところが、民族主義に変化したときに彼の作風は相変わらずだったので、例の弾圧を受けたのだった。このような社会主義リアリズムの批判をそれほど受けなかったプロコフィエフとかハチャトリアンという人たちは出自というか作風が民族主義だったからね。粛清の時代をサバイバルできたのかしら。)
 あとは「転向」の問題。まあ若いころに何かイデオロギーをまるごと受け入れて、それが現実で挫折し、イデオロギーを捨てることになったとき、自分が無価値・空白・意味なしであるとおもうのはよくあること。そして、自分とは何かの問いの答えに「民族」を見出すというのもよくあること。観念に過剰にとらわれると、元の観念を廃棄した後、空白になった自我を埋めるのも観念であるということか。というわけで「転向」問題には、なんで主義主張を捨てるのかということといっしょに、戦後共産党が合法になったときにかつての転向者が党に復帰し、その後厳格な「共産党主義者」になったということも重要。転向の負い目が今度は党という観念に向けられて、党の方針変更=転向をあっさりと受け入れることになる。ここらは最近の言葉を使えば党の「ビリーバー」ということだ。彼らを説得、改心させる言葉というのはなかなかないような感じ(というわけで「転向」問題はもしかして、「オウム」問題にも通底するかしら)。もうひとつは、非転向者である宮本・春日(庄太郎)らの戦後共産党の幹部がなぜ、戦前批判した「共同戦線」作りを行うような「転向」を行ったかということ。(それまでは共産党はすぐ隣のライバルを協調するどころか最大の敵として「人民の敵」呼ばわりして排除しようとしたからなあ。ソ連ではうまくいったがドイツでは失敗して、ナチスの政権獲得の理由のひとつになった)。そして、転向したことを自己批判したり公表することができず、歴史を書き換えるという露骨な独善主義と民主集中制を行ったのかということ。ここら辺は、充分勉強してね、今「蟹工船」を読んで共感している人たち。
 あと忘れてはならないのは、共産党も間違いは多かったけど、特高などの公安は共産党員を拷問し、リンチ殺人しているということ。なお、巧妙なことは治安維持法は結社の自由を侵害する悪法なのだが、これによる死刑執行は一人もなかったこと。ナチス中国国民党が裁判で共産主義者をどしどし死刑にしたのと著しい対照になる。特高の責任者自身が死刑にして殉教者をだすより、獄中で説得するなどして転向させたりスパイに変えたりするほうがよいと明言している。ここら辺はたとえば遠藤周作「沈黙」みたいなのとあわせた、この国の人びとの意識というか思想というかエスプリというかそこらへんの分析とあわせて興味深くなる。