odd_hatchの読書ノート

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埴谷雄高「政治論集」(講談社)-2 埴谷やレーニンの思想にはこの〈私〉と国家(という観念)だけがあって、その間の組織や集団や大衆、あるいは隣人、外国人などが入ってこない。

2021/06/18 埴谷雄高「政治論集」(講談社)-1 1973年の続き

 

 発行された1973年では共産主義や革命運動の党の問題は重要で深刻だったが、50年もたつと歴史的文書になってしまう。早い時期からスターリニズム批判をしていたということで、この論集は珍重されたのだろう。
 作中にあるようにレーニン「国家と革命」と格闘して屈服した経歴を持つので、作家は現在(当時)の党や国家の問題を批判するのに、レーニン主義を利用し、「国家と革命」を引用する。俺のつたない読みでは、レーニンからして問題があると思う。レーニンの革命家の非人間性とか、組織乗っ取りの方法論とか、革命によって人権侵害問題が解決すると考えるようなところ。

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 埴谷やレーニンを読んで思ったのは、こういう人たちの思想にはこの<私>と国家(という観念)だけがあって、その間の組織や集団や大衆、あるいは隣人、外国人などが入ってこない。組織や集団は国家(の廃棄という観念)のための手段であって、この<私>の不快が投げかけられる侮蔑や蔑視の対象になってしまう。なので、差別や人権侵害などの問題が革命や国家の廃棄で解消されると考えてしまう。<他者>を認識せず交通(@マルクス)しない思考がこうさせるのではないかな。革命家は差別や人権侵害を深刻に考えるべきだった。

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第三部 思考と国家の革命
永久革命者の悲哀 1956.05 ・・・ 若い時に「革命と国家」を構想してレーニンを論破しようと格闘したが、ついになしえずレーニンの考えに屈服して運動を開始する。その際にみた党のピラミッド、党員からすると非党員は人間にあらずというエリート主義に困惑し、批判するに至る。続けてスターリンの元帥服に象徴される上の権威化と個人崇拝批判(作中にスターリンの影と肖像が語り合うという場面がある)。1956年2月のフレシチョフによるスターリン批判は書かれたときには漏れ伝わっていたのか、それともわずかな新聞記事から推測したのか。極めて早い時期のスターリン批判の書。トロツキー永久革命は「国内的には生産手段の小所有者である農民を失うべき何物もないプロレタリアートたらしむくく絶えず上からの革命を強行すること、対外的には革命の祖国を擁護するため革命の峰火をつぎつぎにあげて全世界の革命が完了するまで急追の手をゆるめざること(P208)」とのこと。前半の農民への強行は、これまでのトロツキーの読書で読み取れていないことだったのでありがたい。

闇のなかの自己革命 1956.08 ・・・ 前の論文とあわせた花田清輝批判。花田清輝は当時共産党員で「新日本文学」の編集長。

党と大衆団体について 1961.10 ・・・ 「新日本文学」に発表された要を得ない論文(当然前年の安保闘争を意識)。
(党のピラミッド構造を問題にしているが、むしろ社会運動の組織と個人の関係ではないか。組織は個人を束縛しすぎてはいけないし、個人が組織を居場所にしてはいけない。株式会社でも組織の硬直化を問題にすることがあるから、ビジネス書を参考にしてもいいのかも。社会運動の組織なんかはイシューごとに離合集散するアメーバ状組織(死語か?)でいいんじゃないの。)

抑圧の武器と反逆の武器 1962.01 ・・・ 最新兵器は兵士が「敵」を見ない「不可触兵器」になって、戦争が質的に変わった、というようなあいまいな話。その兵器が反逆の武器であるとか。よくわからない。当時の反核運動の反映か?

革命的志向なき革命的人間について 1962.12 ・・・ レーニンが「国家と革命」で描いた「革命家」は、その通りの存在にならない。立身出世主義になるか、三日熱革命家になるか。

死滅せざる『国家』について 1963.11 ・・・ 革命は一時的に「自由・平等・博愛」を実現するがすぐに打倒される。革命を担う党こそが革命から免れている。

戦争と革命の変質の時代 1964.12 ・・・ 国家を死滅させないために行ったのは、敵の利用(革命に転化するはずの戦争すらを国家維持に利用)、国家運営の秘儀化。(ソ連をターゲットにしているが大日本帝国もそうだった。)

革命の変質 1965.02 ・・・ 革命の標語であった「国家の死滅」は「賃労働の廃棄」とともに廃棄されてしまった。「戦争の全面、完全な絶滅」こそ国家の死滅に必要。

 

 レーニンの「国家と革命」のだめなところは、権力の弾圧下にあって防衛のために秘密結社になったところで発想したところ。組織引き締めのために「敵」を必要とし、勝利までは指導者や本部が組織を統制することを是認したところ。これは共産主義だけでなく、戦時体制を演出した国家や組織はつねに行う。埴谷の作中にあるように、戦時体制下の組織は敵の利用と情報の秘儀化を進める。これが党の非人間性とか変質の元ではないのかな。そこは情報と議論をオープンにするやり方で克服できそうな気がしている。SNSやネットを使った情報拡散で、組織動員ではない運動が可能になっているから。これはせいぜい10年程度の歴史(2019年現在)なので、さらに経過観察が必要。
 マルクスレーニンが組織論を書いたので、「左翼」の組織批判はある。一方で右翼や愛国団体の組織分析や批判はめったにない。あいつらも分裂をしょっちゅうやっているが、いつのまにか大同団結していたりと傍目ではよくわからない。また21世紀には、無党派層がそのときの流行りの問題で選択を変えていって、そのときに人気のあるものが政治家になる例もある。ポピュリズムがでているわけだ。
木下ちがや「ポピュリズムと「民意」の政治学 3・11以後の民主主義」(大月書店)-1 2017年
木下ちがや「ポピュリズムと「民意」の政治学 3・11以後の民主主義」(大月書店)-2 2017年
 そういう分析も必要(というか俺は政治学や政治哲学の勉強を進めろ)。
 この本のアクチュアリティはないので、好事家以外は読まないでいい。


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