odd_hatchの読書ノート

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立花隆「日本共産党の研究 3」(講談社文庫)

 さて最終部。1933年から34年にかけて。重要なことは、
・スパイMに指導された共産党幹部と全協幹部の大規模な逮捕があって、非常時共産党はほぼ壊滅した。
・残された宮本、袴田、大泉、小畑ら数名が幹部となって再建したが、袴田の指摘により宮本といっしょに、大泉・小畑を査問することになる。ここで大泉はスパイであることを告白したが、小畑は無実を主張。3日間のリンチの結果、小畑は死亡する。
・事件の半年後には全員が検挙され、ほぼ共産党活動は壊滅。
・1936年にコミンテルンは方針変換。それまでの分派活動禁止、社会民主主義者との闘争、天皇制打倒のスローガンによる政治闘争などから、社会民主主義者との統一戦線構築を進めることになる。それはスペインやドイツでの市民闘争の方針と一致しているが、この国では実効はなかった。
 査問、リンチは残念ながら共産主義活動(とりわけレーニン主義ボルシェヴィキの影響を受けた組織)で簡単に起こるようになってしまった。文学などの話をすると、査問リンチ殺人というのは、ドスト氏「悪霊」、埴谷雄高「死霊」などに現れ、映画「日本の夜と霧」の主題になっている。いくつかの新左翼組織も行った。これらの理解のためには不愉快であっても、実際の事件を知っておく必要があるだろう。
 敗戦後にこの国の共産党が再建される。そのときの幹部は、これら昭和10年代に活動し、十年以上投獄されていた人だった。あるいは国外にいて活動していた人たちだった。彼らは、ギャング活動・武装闘争・労働運動現場との乖離・査問リンチ殺人・統一戦線などの活動を知らない人たちだった。そのために、共産党が旗揚げされてから壊滅するまでの出来事を新聞などによってしか知らない。そのために、このような問題を起こした原因を充分に突き詰めて考えていない。民主集中制、独善主義、分派禁止、党指導部への一枚岩主義などは戦後の組織にそのまま残った。そんなわけで、戦後共産党およびその分派の25年間の歴史はそのまま戦前共産党の歴史の繰り返しになった。再建共産党の独善主義と指導部の覇権争い、50年代のソ連協調路線と武装活動、六全協における大衆雷同的な路線への変更(この変更に対する指導部批判はなく、古参の党員は追従)、60年代の分派活動、70年代の新左翼による武装闘争、リンチ殺人、それらによる共産主義へのシンパシーが国民からなくなるまで。時間と規模を引き伸ばして、まったくそのとおりに展開していった。
 この国の共産党および新左翼党派にみられる組織のまずさは、権威主義団体となずけられているものとほぼいっしょ。ポイントは、教義の中心が観念にあり、それを検証・批判する機能がなくてドグマ化すること、組織の求心力が権威への忠誠で評価されること、外部の批判を受け入れず、外部との接触と閉ざしてカルト化しやすいこと。そんなあたりかしら。これは別に共産主義運動を目指した組織にだけみられることではなく、労働組合にも宗教団体にも市民運動にも健康法推進団体にもみられること。権威主義団体が暴走すると、自己組織を壊滅させたり(その時組織構成員に死者がでることがある)、あるいは外部に無差別テロを行うようになっていく。ここらへんは1990年以降では多くの新興宗教団体、カルト組織で見られた。共産党の失敗はたぶんほとんど共有されていなくて、なぜ権威主義団体がまずいのか、それらとどのように付き合うのがいいのか、まだよい方法を見出していないとおもう。このような問題のよい参考書になるとおもうので、関心のある人は読んでおくとよい。(裏面から見た昭和史という観点、この国の人によくみられる転向とはなに、あたりに関心のある人も)