odd_hatchの読書ノート

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レフ・トロツキー「裏切られた革命」(岩波文庫)-2 トロツキーは自由選挙、複数政党制、経済民主主義を提案する。すべては1917-23年の「革命」時代を取り戻すために。

 2014/12/03 レフ・トロツキー「裏切られた革命」(岩波文庫)-1に続けて後半。

7 家庭、青年、文化 ・・・ プロレタリア革命はあらゆる差別(性、職業、民族その他)から解放するはずであった。なるほど蜂起の一瞬には解放のきざしはあったであろう。しかし、革命後23年(ママ)経過すると、すさまじいバックラッシュ。指導層、官僚、党幹部などは新たな抑圧者となって、家庭・青年などに差別を生ませ、帝政時代の貧困に陥らせている。文化・教育の貧しさもいうまでもない。1930年代の文化政策によって、多数の文化人が抑圧されていることを報告。
(その結果、共産党の批判が一切封じられ、党を改革する機会を失ってしまった。起きるのは横領、贈賄、情実、特権の享受などなど。そのうえで自分の好みを――たいていの場合、悪趣味で俗悪――文化に押し付ける。スターリン時代の文化抑圧政策を記述した文章としては相当にはやいのではないかな。)

8 対外政策と軍隊 ・・・ 革命政権の樹立後、革命の輸出のためにコミンテルンを各国の共産主義者と運営することにした。それはスターリン時代になって、ソ連の意向を押しつける組織に変容した。その結果、革命の輸出どころか、革命の抑圧・各国の労働者の裏切りとなって表れた(ドイツ、スペイン、中国、日本、その他死屍累々)。革命は赤軍という民主軍隊を作り出した。民主的運営、戦闘指揮者の選挙制など。1935年の軍隊組織の改編により、階級制が復活し、民兵が失われた。
(前半は1930年代の各国の「革命」「市民戦争」などの歴史をひも解くと納得する。コミンテルンは革命の障害にほかならない。ロシア革命のもっとも感動的なのは、レーニンの帰還でも冬営襲撃でも路上のデモや議論でもなく、自分にとっては軍隊が国家に背を向け労働者の側にたったとき。しかも指揮者が民主運営を受け入れ、指揮と運営を切り分けることを受け入れていること。そのような赤軍を実地に指揮してきた、一時期は列車車両をベッドにしてきた、著者にとっては赤軍の変容は受け入れがたいできごとであったのだろう。また、著者はソ連は資本主義陣営との戦争に勝てないと明言する。なるほどその視点に立てば、ソ連は資本主義国家との局地戦争や代理戦争を支援することはあっても、全面戦争を回避してきたのであった。)

9 ソ連とはなにか? ・・・ ソ連は生産手段を国家所有に変えたが、社会的所有に至ることを避けている。その結果、官僚や特権層を生み出し、彼らのブルジョア的な思考によって、賃金の不平等と配当の不適切な分配が起きている。この矛盾が解決できなければ、資本主義に戻ることもありうる。そうならないためには労働者は官僚を打倒しなければならない。
トロツキーの予言はあたったな。国家的所有から社会的所有へというマルクスの公式を適用したいというのがトロツキーの願い。でも、俺の読みだとマルクスのいうところでは国家は社会を疎外し特権を集中することで成立するのであって(「ドイデ」など)、一度獲得した特権を国家が社会に戻すのは困難なのではないか。そこはトロツキーの読み間違ったところ。あと、国家所有の生産様式を株式会社にたとえて説明している例がある。資本の所有形態は資本主義・社会主義共産主義で異なるが、賃金・配当・資本の形態は同じ。そこを理解した議論は共産趣味文献で初めてのような気がする。)

10 新憲法の鏡に映ったソ連 ・・・ 1936年制定の新憲法を読んで、記載された権利・自由・民主主義の内実を見る。
(著者は、スターリンと官僚は大衆を恐れていて、そのために制限や抑圧を憲法に盛り込んでいるという。なるほど、官僚と幹部党員には人気がなく、現場の兵隊や労働者に抜群の人気を得ていたトロツキーらしい見方。)

11 ソ連はどこへ行く? ・・・ スターリンと官僚を打倒せよ! 1905年と1917年のような新たな労働者革命をロシアに!


 ここでトロツキーの指摘する共産主義の問題はほぼその通りと思う。レーニン共産主義(を継承したと自称するスターリンの政策)はダメということだ。
 この人が面白いのは、現場(工場、軍隊、鉄道など)の人であって、その運動や仕事をよく知っていて、そこに行くことを好んでいたというところ。マルクスレーニンが書斎の人で、スターリンが会議やオルグの人であるのと好対照。そういう現場の人であるので、もっとも業務に習熟した人の創意や参加意欲が重要であると考える。彼らが自発的に仕事と運動に打ち込む状況と体制をつくることによって、民主主義が実現され、権利と自由が保障される。革命とはそのような現場の熱意の集積であり、醸成された一般意思の具体化なのである。そのような革命観からすると、現場を管理しようとし、理屈で「改善」しようとする官僚や管理者は「革命」を疎外する邪魔者である。なので、官僚打倒、労働者の永続革命をということになる。おおざっぱにはこんな感じかな。この本から読み取ったのは、トロツキーのそういう性向。
 現場の創意や熱意を大事にするというのは共感するけど、思想や政策は動機や目的で評価してはならない。そうではなく、成果とパフォーマンスでみることになる。となると、トロツキーの賞賛する1917−23年の「革命」も、自分にはジョン・リード「世界をゆるがした十日間」(筑摩書房)エドワード・H・カー「ロシア革命」(岩波現代選書)で見たように問題だらけ。その克服は、トロツキーの主張する自由選挙・複数政党制・経済自由主義だけでは不足している。それは国家がマルクスレーニンの考えたように簡単に死滅するものではないし、公平と公共を実現するのも資本を社会が所有するだけでは達成できないと考えるから。トロツキースターリン批判に徹底性のないのはそのあたりに思い至らなかったせいかもしれない。

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