odd_hatchの読書ノート

エントリーは2200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。

笠井潔「ヴァンパイア戦争」(角川ノヴェルス)

 もとは野生時代に連載され、直後に角川ノヴェルスで単行本化。その後角川文庫になり、今世紀になって講談社文庫に収録された。ノヴェルス版ではイラストは生頼範義氏だったが、講談社文庫になるとキャラクターを昨今の美少女アニメ風のイラストで紹介している。古い読者である自分には、生頼さんのごつくて強持てのほうがよい。でも、ネットによると作者は美少女アニメのファンだそう。となると、これが作者によるキャラクターのイメージってこと? 古い読者には、天野喜孝氏や空山基氏のイラストのほうが好評らしい。
 全11巻を個別に覗くのも面白いけど、講談社文庫に、サブカルチャーとのかかわりを詳細に述べた力作解説があるから、さらに軒を重ねることもないでしょう。巻ごとに思いついたことなど。

第1巻

蝙蝠(こうもり)を思わせる黒マントの男とその配下が極秘計画を進めるNASAの通信基地を急襲、計画を頓挫させる。しかし、それは時空を超えた「光と闇の戦い」の序章にすぎなかった。戦いに巻き込まれた九鬼鴻三郎(くきこうざぶろう)は攻防のカギを握る美少女・ラミアに近づく。兆(きざ)す黒マントの影。壮大な伝奇世界の扉が、いま開かれる!

 亀山郁夫の「カラマーゾフの兄弟」の解説をなぞると、大状況は善悪二元論(善のラルースと悪のガルー)の超歴史的な宇宙間戦争。中状況では、この国を牛耳る権力と闇の組織の闘争がある。当初は現代に現れたヴァンパイアを追いかけるCIA、KGBの闘争。そこに上記のこの国の権力が別の目的で介入し、自衛隊、その他の民間団体などなどの入り乱れるポリフォニックな争いが行われている。小状況は、それに巻き込まれた男の必死の戦いと、若い娘とのラブロマンス(一部ポルノ描写あり)。主人公が事態に受け身であったところから、次第に世界に介入していく積極性を身につけていく。こういう設定になっている。この設定は、その後のサブカルチャーで何度も変奏されているなあ。もしかしたら、若い世代の世界認識はこんな感じなのかしら。
 とはいったものの、冒険小説では、冒険そのもののスリルとサスペンスも重要だけど、危機状況を乗り越えた主人公の自立と愛の成就も必須なものなのだ。なので、読書の間、自分はむなしいこの体を捨てて、180cm80kgの巨体をもち、あらゆる格闘技に精通し、ほぼすべての銃器・ナイフを使用でき、特殊部隊の訓練を積んだ殺人機械でありながら、女性にあうとすぐにベッドインできる能力をもち、ほぼ無限の金をKGBやフランス警察から巻き上げ、高級ホテルで高級ブランデーに高価な食事の似合う紳士にもなってしまう超能力を駆使する男に同化して、30ページごとの危機からの脱出と要塞への侵入・攻撃を行うのだ。そのとき、国家の権力も共同体のしがらみも超越している。ああ、なんという快楽。

第6巻。ここまでの5巻で第1部フランス編〜日本編が終了。日本はソ連アメリカの帝国戦争に巻き込まれ、占領されてしまう。同時に過去封印してきた邪悪な力が覚醒し、世界各地に災害が起こり、大都市はほぼ壊滅している。事態は緊迫し、状況は世界全体を覆うものになってきた。
 敵方の強さがインフレーションを起こし、それにつれて主人公の力が増していき、なおかつ主人公の真の姿があらわになっていく。まあ、こういう活劇エンターテインメントでは常道の在り方だな。最初は、ただの風来坊で怠けものであった主人公が、実は民族派右翼で左翼過激派で、KGBの秘密訓練をうけた能力者で、しかも日本の暗部にある一族の末裔で、しかも吸血鬼の血を分けていて・・・。こんな風に価値が次々と付加されていく。ついには、国家と人類の運命を賭けた戦いの主役になる。うーん、すごいなあ。自分は第1巻のころの、荒んで暴力的なぐうたら男が、機知と体力で危機を切り抜けていくところが好きだったのだ。自分のぐうたらさの克服をそこに投影するような気持ちで。でも、そのあと「根の木」など縄文文化の伝承者やら、礼部なる国家を操る一族やらが出てくるにつれて、自分のルサンチマンやフラストレーションを投影するには違うなあと思って、このあたりの巻は買わなかったのだな。フランス〜日本編の主題のひとつは、日本の古代史。先史時代にこの列島に土着の縄文人と稲作文化とともに新規に流入してきた弥生人の争闘があり、歴史時代以後、現代にいたる権力はその時に勝利したものがずっと握っている。その背後には、秘密の一族がある。彼らが「イエ」を守ることによって、日本のシステムを維持している。という設定。
 1970年代後半からこの種の「縄文文化」というのが盛んに喧伝されたなあ。その背景には、超古代史(竹内文書とか九鬼文書とか東日流外三郡誌とか)がおりからのオカルトブームの一環として流行っていたというのがある。そこに、梅原猛とか栗本慎一郎その他が「縄文文化」こそ日本文化の祖形とかいろいろなことを語っていたのだった。そういうブームの渦中に笠井潔もいたのだ(別冊宝島38『日本史読本』で対談している)。
 エンターテイメントだから目くじらたてるのもおかしな話ではあるものの、どうも気分は晴れないなあ。こういうニセ学問にかかわるというのは。それでいて、九鬼やムラキらの語るヴェーユやバタイユやポランニーやフーコーには異を唱えないのだから、ダブルスタンダードかね。

第8巻

酷熱の砂漠から氷雪の高峰へ。死を覚悟の冒険の果てに、九鬼鴻三郎(くきこうざぶろう)たちが辿り着いたのは、女王姉妹が君臨する“影の都”だった。二重王権に支配される黒人王国でみた残虐な風習と王位継承権を巡る争い。国を二分する戦いのときが迫る。圧倒的な劣勢に追い込まれた一行に、想像を絶する試練が襲いかかる!

 角川ノベルス版で、この巻を何度も再読したなあ。前半の冒険の苦難の状況(たった50ページの間で、暑さと寒さの2回の危機が現れる、なんて贅沢な展開)であったり、後半の大部隊戦であったり、楽しむ場所は毎回違っていたけど。それまでの戦いは、個人対個人、あるいは少数部隊通しの遭遇戦かで、大部隊が結集する大会戦描写は目新しかった。
 そのような快楽にふけるための道具であったのだけれども、結局はムラキのセリフを反復して味わうために読んだのではなかったか。ムラキはかつてスペシネフにスカウトされて国際的な共産主義テロリスト集団を組織・指導した。組織の壊滅によってムラキは世界中の警察から追いかけられる身になる。彼はスペシネフへの復讐心をもって、追い詰める。拳銃の先をスペシネフに向けた時、スペシネフは宇宙的な霊的運動の参加者あるいは歯車のひとつになることによって生の意義を持てと説得する。ムラキは、自分は宇宙の塵芥であり、一瞬に現れ無に還る存在でかまわない、それ以上を求めるのは罪であると拒否する。この思想に共感することを求めていたのだろうかな。

第11巻

世界の終わり、人類の未来。地球の命運を賭けた戦いは月面へ。九鬼鴻三郎とキキはついに最後の扉を開けた。壮大な宇宙叙事詩、魂のラスト!捕虜となった九鬼鴻三郎(くきこうざぶろう)の解放は月面で行われることになった。地球の命運を握る亜空間兵器なども真空の世界に集結。“黄金の女”キキも駆けつけた。第3の大地震に宇宙霊の覚醒――人類を破滅させる怖るべき危機はもはや避けられないのか。光と闇の永劫の争闘についに決着の時が。壮大な神話、ここに完結!

 原稿用紙5000枚におよぶ長い小説もここで大団円。作中の時間は、ここにくるまでたった1年しかかかっていないというのが驚き。
 舞台は宇宙船と月面基地。その背後では大変なことが起きている。地球霊ガイ・ムーが封じていた宇宙の邪霊ネブゼブブが目覚めようとして大地震を起こしているわ、それを利用あるいは阻止しようとしてソ連共産党アメリカ・フリーメーソン結社が国家を交えた争闘を行っているわ、日本はムー大陸の末裔が政権を握って米ソと同等の外交を行うわ、地球規模の震災その他で大都市は壊滅、人口の数分の一に減少しているわ、ソ連の狂った軍人たちはアメリカに報復の核戦争を起こそうとするわ、その一方宇宙的な闘争をしているガゴールとラルーサがいつ地球に来るかわからないわ、としっちゃかめっちゃかの状況。にもかかわらず、「私」の視点で物語を書いているので、これらの状況は背景に遠のき、問題が浮かび上がらない。人間一人の視点で、これだけの大状況を見聞きし、描写することができないということか。複数視点を持ち込み、舞台をどんどん移動するパッチ・ワークの手法でないと大状況を描ききることはできない。そのかわり、主人公の心情や思想を描けなくなるので痛し痒し。
 これは矢吹シリーズと表裏をなすものであって、矢吹駆がこの先で経験することはすでにここに書かれている。つまり、このムラキは矢吹駆の鏡像(経歴や性格がそっくり)。上記の生に対する思想は矢吹がチベットの山中で吹雪に出会った時の直観をなぞっている。矢吹駆は現実世界でもって悪の体現者であるイリッチを追っている。そして彼を倒すための戦いを望んでいる。矢吹シリーズのクライマックスはその戦いの場面になるはずだが、「黄昏の館」にあるように矢吹駆が必要な物語は、すでに書かれているのだった。物語は反復されるものなのだが、ここまで同じことを書くのは作者にとっては、楽しいことなのか辛いことなのか。矢吹シリーズの最新刊が出たようだが、作者はますます苦しいのだろうな。と思った。
 
 角川ノヴェルス、角川文庫、講談社文庫と版元を変えて出版されている。一番入手しやすいものから第1巻だけamazonのリンクを張っておく。