odd_hatchの読書ノート

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カトリーヌ・アルレー「白墨の男」(創元推理文庫)

「最後のバラ色の三日間。あとはみなさん、さようなら!」 イリスが車に乗せた青年は、こう言うと笑った。自殺志願者の最後の三日間! 人生に破れ、死を思っていた女流作家イリスが、偶然にも自殺志願者を拾ったのだ。「あんたも三日延ばさないかい? それから、コンビでやるっていうの、どう?」 こうして二人の三日間のずる休みが始まったのだ。海へと車を走らせる二人に神は皮肉な幕間を用意していた。銀行強盗の逃走場面にぶつかった二人は、命懸けの追跡劇を展開したが…。アルレー・ファン必読の一冊。
白墨の男 - カトリーヌ・アルレー(移転しました)

 「白墨の男」とは、事故や事件が起こったとき地面に描かれる被害者の倒れた後のしるしのこと。ヒロインの作家は、これが人生を何か象徴しているという。空虚な不在のしるし。このブルジョア作家(たぶんアルレー自身をモデルにしている)からすると、空虚で不在であるのは、彼女自身の生活なのであろう。それは倦怠と諦めで綴られている。冒頭に流れる音楽はマーラーの第十交響曲(このころクック版による最初の全曲録音がでた)の憂愁な音楽とバルトーク機械的・数学的な音楽。ロックでもポップスでもシャンソンでもない音楽を選んでいることで、彼女のブルジョアと擬似インテリ志向を如実に表している。彼女は30の小説を発表したものの自分の望んでいた人気を得るにはいたらず、複数の男とのアヴァンチュールで傷つき、もはや身近な人のいない独身生活を送る。しかしアウディという高級車とフランスの平均年収分くらいの現金を持ち歩ける身分になっていることとの矛盾を感じていはいない。そういう「ゆたかな生活」を送っている人。これを1980年(初出年)に書いたというのが、この小説の着眼点かな。とはいえフランス映画、とりわけヌーベル・ヴァーグでは、このような人々をさまざまに描いてきたのであって、この小説もその流れのひとつにあるのだろう。
 とくに理由もなく(それが満足した人々の勝手さ、傲慢さをあらわしている)、生活を抜け出し、行きずりの若い男(22歳の医学生で肉体労働の経験あり)をヒッチハイクで拾うところから物語は始まる。男とパリからニースまで車で移動。その間に出会うのは、寒村で農業を行ってきた80代の老婆(彼女はルソー的な自然人)、ヨーロッパ中を放浪するロシア人のカメラマン(饒舌で博学なインテリだが生活と向き合わないニヒリスト)、銀行強盗犯人の追跡(ここで若者は犯人の一人を殺害する。しかし英雄的行為とみなされて罪にならない。作家とその相棒も罪の意識は薄い)、片足を失ったスキーヤーと彼を支える人々(ハンディキャッパーの克己心と彼を支える共同体にあこがれる)、若者と同世代のルーマニアの映画監督(ヒロインは彼女の若さと才能と自尊心に嫉妬する。アンジェイ・ワイダ「鉄の男」の反映かな)。これは見方を変えると、ヒロインの地獄めぐり。同乗した若者はさながらダンテに従うウェルギリウスというところ。なるほど主題は「心理」であって、事件はヒロインの心持を変えるためのきっかけに過ぎない。であるから、通常のエンターテイメントであれば銀行強盗追跡のカーチェイスとアクションをクライマックスにおくところを、ストーリーの半分に登場させ、むしろ筆はこの事件ではなく、そのあとのセレモニーとそれに集う俗人どもの描写により多く費やすというのも、作者の意気込みをしからしめたものになる。
 キーワードは、ヒロインと相棒の若者が口にする<幕間>。彼らにとってそれまでの人生が空虚で不在であると感じるのであれば、この<楽しい>三日間というのは主題の現れない幕間の狂言かコメディということになるのであろう。あいにくこれらの現代人は、他人の人生を見聞するだけでは、生きがいだの目的だのの発見には至らない。すなわち「愛」がここに登場するのであって、それは肉体を持っているもの同士のエロスでなければならない。しかしそれを口や行為にあらわすには互いにすれていて、小さな事件(若い女性の介入によって生じる三角関係)を経なければならない。
 ヒロインは自分の老いを自覚し、大人の本分をもって、若者を傷つけることによって、自分の愛を断念するのであるが、驚愕のラストシーンが待っている。どこかでこのようなシーンを見たことがあると思ったら、ロミー・シュナイダー主演の映画「離愁」がそれであった。