ボランティアの手によって、著作権の切れた小説をネットで読むことができる。それを携帯電話で読むことができるのだから、世の中の進化はたいしたもの。いずれ書籍という形式はなくなり、デジタルディバイスに変わるのだろう。フェティシズムからすると残念、功利の側からすると歓迎。ものの印象がなく記憶に残らなくなるので、別の仕方で記録を残すことが必要になる。(2009/03/02記 自炊を始める前)
というわけでiphoneで「坊ちゃん」を読む。小学生、高校生に続いて3回目になるのかな。
物語は「坊ちゃん」の視点に限られ、彼からの情報しかない。ちょっと客観的になろうとすると、いくつもの疑惑が生まれてくる。
・坊ちゃんの前任の数学教師は事件を起こして免職になっているのだが、理由が不明。
・山嵐は坊ちゃんに下宿を世話するが、数週間で下宿を追い出す。なぜ追い出す理由があるのか。下宿の主人が坊ちゃんを厭う理由は不明。
・ある夜に、遊郭街で坊ちゃんは赤シャツと出会うが、翌日赤シャツは彼と出会ったことを否定する。なぜ?
・最初の当直の夜のどたばたで、坊ちゃんにおきた不思議な出来事を寄宿生は何も知らない。物証のあったバッタかイナゴはともかく、そのあとの太鼓の音や開かない扉の件は?
・清の手紙は投函してから数週間してから坊ちゃんの手元に届く。そこには付箋がついている。なぜ? 途中で誰かが読んだのか?(坊ちゃんは清に最初の宿のことしか教えていない。その後2回引っ越しているので、手紙は転送された。その間に山嵐による下宿の引き払いがあったので、手紙を読んだのは山嵐になるのか?)
・うらなりはマドンナを赤シャツや野だいこに奪われる。それを知って、かつ延岡に左遷させられることを受け入れる。なぜ?
・山嵐は中学校と師範学校が衝突する日に坊ちゃんを訪ねる。そこに赤シャツの弟が衝突を知らせる。赤シャツはヤマアラシと敵対しているのにその弟を知っているのはなぜ? 衝突のあった日に、土佐のもと士族がやってきたのは偶然? 山嵐が坊ちゃんに再度近づいたのは坊ちゃんが赤シャツたちと亀裂を起こしてから。これも偶然? 山嵐は坊ちゃんを監視していたのか?
・校長の狸は、中学と町でなにか起きているのをほのめかすが、具体的な説明はない。いったい何がおきている?
・山嵐は中学生に人気があるが、それはどういう理由で。熱血教師というだけではない何か別の理由があるのではないか。ちなみに彼は会津の出。
ある点では、坊ちゃんの手記はポアロもののヘイスティングスの書いたもののように信頼できないところや不足している情報がある。そこに都会と田舎の差異、知識のあり方なんかの問題を見出すことができるだろう。それをミステリの視点で解読したのが柳広司「贋作「坊ちゃん」殺人事件」。
世の中にはゲイ文学として「坊ちゃん」を読んだ評論があるらしい(と学会「トンデモ本の世界V」で紹介していた)。
図書カード:坊っちゃん
で、次回に続く。→
2011/11/21 柳広司「贋作「坊ちゃん」殺人事件」(集英社文庫)
<追記2022/2/11> 再読した。
odd-hatch.hatenablog.jp