奇妙な小説だ。というのは、語り手の「おれ」23歳の観察力が不足していて、事態がさっぱりつかめないからだ。ことに、四国の中学に赴任して以降。とりたてて授業がうまいわけでも生徒に支持されているわけでもないのに、ひと月もたたないうちに校長は増給を持ち出す。いっぽうで、古賀(うらなり)は失策があるわけではなさそうなのに、本人の意向を無視して延岡に転勤になる。教頭の赤シャツはたいこもちの野だを手下に教師を牛耳っていて、校長も黙認するところにある。その赤シャツは会津生まれの堀田(山嵐)と犬猿の仲であるが、たんにマドンナを間に挟む三角関係だけにはみえない(山嵐はマドンナに興味なし)。日露戦争の祝勝会のあと、中学と師範の生徒が市内で喧嘩をするが、偶然とは言えない。堀田は土佐から剣舞する男数十人を手配しているし、赤シャツの弟が山嵐を何かに誘っている。そのうえ、喧嘩のあと地元の新聞は山嵐と「おれ」を主犯とする記事をすぐにだした。この手回しのよさ。赤シャツは堀田とは別ルートで(弟?)で、中学と師範の喧嘩が起こることを予期していたのかもしれない。たんに芸者遊びやマドンナとの逢引を山嵐に糾弾されたことが赤シャツらの報復の原因とするのは、事態が複雑すぎる。
これらの謎解きは、研究者がやっているのだろう。二次創作風のフィクションには次のがある。
柳広司「贋作「坊ちゃん」殺人事件」(集英社文庫)
今回の再読では語り手の「おれ」に注目。「親譲りの無鉄砲」から生まれるさまざまないたずらや騒動を起こし、粗暴さや行動の一貫性のなさにくわえて、ささいなことにこだわりが強く、頑固で自説を変えず、コミュニケーションがうまくいかない状況は心配だ。複数のできごとを同時に処理するのも苦手なようだ。彼には発達障害も疑われるのである。東京に戻ってからは「街鉄の技手」になったというが、目前のミッションに集中し、コミュニケーションが少なくても困らない仕事は「おれ」にはよいだろう。
「おれ」の将来に心配するのは置いておこう。目に付くのは、「おれ」は生まれたときから各種の共同体になじめず、むしろそこからの抑圧に抗っていることだ。親兄弟に疎まれる。他人の畑で農作物をめちゃくちゃにする。これらの「無鉄砲」で、共同体やそれが要請する道徳規範から切り離されている。これを「おれ」の行動性向に由来すると考えてもいいが、どうしても「おれ」が江戸っ子を自称していることに目が行く。江戸は人工的な都市で、幕府が諸藩を疲弊させるためにつねに消費を要求していた。大邸宅を作らせたり土木工事を命じたりしたので、土建業が集まり、彼らの消費を見込んで商家や飲食業者が入ってきた。多くのものは田舎で食い詰めた次男以下の独身男性。女性が少ないのでなかなか家庭を構えることができず、景気に応じて転職し、住居を移転することがしょっちゅう。生産財をもっていないので、コモンをつくることもない。根無し草で、地元や郷土に愛着をもたない。江戸っ子は、ある種、社会の階級・階層から切り離された大衆といえる。大衆は資本主義が浸透して、賃労働が定着するところから生まれるとされるが、自分はこのところ江戸期から江戸は大衆社会だったのではないかと考えている。
(加えると、江戸や東京に住む人は、災害や戦争が起きると地方に疎開するが大半は戻らなかった。維新、関東大震災、WW2など。「三代住めば江戸っ子」と自称できるように土地に対する愛郷心は薄い。なので江戸っ子はかんたんに街と土地を捨てた。それでも地方出身者が次々来て居を構えるので人口は増え続ける。)
そのような大衆の一員としての「おれ」が単独で、贈与経済と同質性の社会である四国愛媛に行く。彼を待ち受けているのは、一挙手一投足が知らぬ間に監視されていて、即座に噂になって流れ、世間の異端者を蔑視・軽視し、差別や嘲笑を繰り返す者らは顔を持たずに匿名性に埋もれて無責任でいられる日本の社会である。抗議や抵抗の意気はもたないうらなりは同調圧力に負けて、共同体から排除される(上記の柳は別の解釈)。「おれ」のような言うことを聞かないものには引き下がるものの、上記のように裏から手をまわしてより強い権力によって排除しようとする。多くの共同体の中の人は、下宿の爺さんや婆さんのように親切であるだろうが、彼らが常に異端者や余所者の側にいるわけではない。同調圧力の強い「人情」に篤い社会で、都会から来た非人情の「おれ」は常に不機嫌で不満を感じる。
「坊ちゃん」はそういう共同体になじめないものが排除される物語。このあと「おれ」が7年かけて西洋の知識と美意識とマナーを身に着けると、30歳の「おれ」は「余」と名のって四国の海の見える温泉宿に行くこともあるだろう。そこでマドンナに変わる理想の女を見つけるかもしれない。そういう夢想ができるくらいに、「坊ちゃん」の「おれ」は「草枕」の「余」に似ている。そして「おれ」が感じたような不機嫌を「人情」に見出すだろう。この二作が続けて書かれたのは故あることだ。
こんな描写がある。うらなりの送別会の宴席を見ての「おれ」の感想。
「刺身も並んでるが、厚くって鮪の切り身を生で食うと同じ事だ」
なるほど1906年の江戸では鮪を刺身にすることはなかったとみえる。あの脂は江戸の口には合わなかったか。うまいと言い出すのは、昭和30年代以降に東京にやってきた田舎者たちだろう。(夢野久作のいうように、東京は田舎者が入れ替わり立ち代わりやってくる歴史のない都市なのだ。)
夢野久作「街頭から見た新東京の裏面」「東京人の堕落時代」(青空文庫) 1924年
永井荷風「ぼく東綺譚」(岩波文庫)
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