odd_hatchの読書ノート

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柳広司「贋作「坊ちゃん」殺人事件」(集英社文庫)

「教師を辞め東京に戻って三年、街鉄の技手になっていたおれのところに山嵐が訪ねてきた。赤シャツが首をくくったという。四国の中学で赤シャツは教頭、山嵐はいかつい数学の教師の同僚だった。「あいつは本当に自殺したのか」を山嵐は殺人事件をほのめかす。そして、一緒に四国に行くことになった。そこでまっていたものは・・・。日本文学の名作の陰に隠されたもう一つの物語。朝日新人文学賞受賞作。」

 驚いた。いつのまにこんな力のある作家が生まれたというのか? 笠井潔の矢吹駆シリーズ奥泉光「グランド・ミステリ」を読んで以来の驚愕。
 サマリにあるように夏目漱石「坊ちゃん」の続編にして、本編の再解釈、そして本編で語られなかった時代の描写が行われている(漱石が四国の教師をしていたのは1895年。ここでは1903年にずらされている。と書いたが「坊ちゃん」本文を読むと時代は日露戦争のさなかかその直後でした)。なので、読者は「坊ちゃん」を事前に読んでいることが想定されている。だから赤シャツが首をくくったのが、「ターナーですな」と風流な舟遊びをしたときにみた小島であることがわからないといけないし、当直の晩にバッタかイナゴを蒲団に投げ込まれるその他のいたずらにあったというのもすぐに思いだせないといけない。
 本筋の赤シャツ自殺偽装殺人事件の謎解きがあり、本編の出来事と人物像が再解釈されるわ、国民国家の成立期に起きた内部の混乱が反映されるわと、たかだか200ページの短い小説になんと盛りだくさんの内容がこめられているか。前日の「坊ちゃん」で指摘した疑問点に対し、このミステリーでほぼ答えを出している(というのは逆であって、こちらを先に読んでから漱石「坊ちゃん」を読み、疑問点を書き出したのだった)。
 ポイントは、四国の田舎町のどたばたが、自由民権運動社会主義運動のせめぎあいであったという解釈だろう(さらに自由民権運動社会主義運動の差異は、「天皇」を容認するか否か。この論点は薬師院仁志「民主主義という錯覚」にあって、色川大吉「自由民権」井上清「自由民権」にはないもの)。漱石の小説内部では、赤シャツ、山嵐、野だいこ、うらなりという卑俗な生活者がこちらのミステリーでは政治的人間であったということになっているのだが、読者である自分は漱石の周辺にいた人物、たとえば政治と生活の狭間におかれた石川啄木根っからの社会主義者である荒畑寒村、科学者でありテクノクラートでもあった寺田寅彦などの面影を彼らに投影する。そうすると、漱石はなぜ本編で政治を捨象したのか、江戸っ子の表層的な人格像を描いたのかあたりにまで思いをはせることになる。そうなんだ、漱石は乃木大将の自決は書いたが、大逆事件を書かなかった。そのあたりにも興味が出てくる。
 ともあれ、多くのミステリとは違って、この小説は外に開いている。その開きをどこまで大きくすることができるか、読者は試されているのだね。

贋作『坊っちゃん』殺人事件 (集英社文庫)

贋作『坊っちゃん』殺人事件 (集英社文庫)