odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

夏目漱石「彼岸過迄」(新潮文庫)

 学校を出たばかりの田川敬太郎がいる。冒険したいが一人では何もできず、「休養」と称して何もしていない。暇つぶしにやるのは、他人の観察。同じ下宿にいる森本という会社員なのか香具師なのか詐欺師なのかわからない男と長話をしたり、退嬰主義と自称する須永と話しをするうちに、探偵(実質は尾行のみ)の仕事をあっせんされる。銀座その他をうろついて追尾に失敗。須永に探偵仕事を持ち込んだ田口という中年男に報告したら、何となく気に入られ、須永と松本と千代子と百代子の奇妙な恋愛話を聞かされる。その過程で、この一族の秘密を知ってしまった(「趣味の遺伝」以来の探偵小説趣味)。しかし、これらの「冒険」をして長い話を聞かされても、敬太郎は全く変わらない。教訓も得ず、茫然としているだけであった。
 全体は「風呂の後」「停留所」「報告」「雨の降る日」「須永の話」「松本の話」「結末」に分かれていて。「〇〇の話」だけ、〇〇の一人称で語られる。「風呂の後」の詐欺師らしい森本の件がそのあとまったく回収されないとか、「結末」で敬太郎のことを取ってつけたように加えるとか(のちの「こころ」は「結末」をつけなくて傑作になったとかならなかったとか)、どうにも構成がいいかげん。もしかしたら、個性のない語り手が厄介な闖入者に翻弄され、共同体がぐしゃぐしゃになるのかも、それならフョードル・ドストエフスキー「スチェパンチコヴォ村とその住人」をやるのかと思ったが、そこまではいかなかった。途中の「雨の降る日」で幼児が食事中に突然異常が起こり、そのまま死去。葬式を出すところが異様な迫力のあるシーンだったが、とくに筋に関係しているわけではない。どうにもわけのわからない作品。1912年に朝日新聞連載。タイトルも小説の連載期限が「彼岸過迄」だから、というぶっきらぼうな理由でつけられた。なにかのメタファーかもという詮索をしても得るところはなさそう。
 ここからは俺の妄想。田口と須永の一族はとても金を持っている。銀座で洋食を食い(すなわち味になれマナーを知っている)、軽井沢に別荘を持ち、夏には避暑で鎌倉の一軒家を借りる。そのような上流階級は当時の日本にいないわけではなかったが、極めて数が少ない。漱石の小説は国民のほんのわずかにしかいない上流階級での出来事を書いている。須永や田口や千代子や百代子らが対等な立場で会話し、ときに女性が男を遣り込めたり、叱ったりするシーンが出てくるが、これは多くの国民の生活からはとても離れた光景。そういう点では、漱石のこの小説はドストエフスキー(「白痴」)トルストイ(「アンナ・カレーニナ」)やチェホフらが書きそうな貴族の恋愛を扱っている。それは須永が女中で小間使いの「作(女性)」に恋愛の話をして、作からははかばかしい返事がなかったことに表れている。すなわち、結婚は親や親戚、有力者や上司などが持ち込んできたものを受けるか受けないかで決めるもので、個人の決定など無視される。というか誰か個人を恋愛の対象とすることも理解の外。何しろ「デート」「接吻」なども不可能。すなわち「恋愛」は外来思想であり、概念を理解し実行できるのは上流階級に限られるのだ。
(須永の千代子や百代子への逡巡や疑いなども、国民の感情に基づくのではなく、日本に恋愛が可能かの思考実験から生まれたようで、リアルにはみえないんだよね。それに須永の行動性向が自閉症スペクトラムに似ているので、むしろそちらから見たほうがいいのではないかと思った。他者の感情を読んだり行動の意味を把握できないところから、須永の心理や行動が生まれるのではないか、と。そうすると、彼は日本人の代表ではないんだよなあ。)
 さらに妄想をたくましくすると、「須永の話」「松本の話」はそれぞれの話者が一人称で語る。その際に津会のは「僕」。これまでは「俺」「余」「私」「自分」だったのが、もっと内面に踏み込める人称を使うようになった。そのために、以前の作よりも、自分の心理や感情について細かく書くようになる。その分析の精緻なこと。そのことから、次のような内省が書かれる。

「それほど親しみの薄い、顔さえ見た事のない男の住居(すまい)に何の興味があって、僕はわざわざ砂の焼る暑さを冒して外出したのだろう。僕は今日までその理由を誰にも話さずにいた。自分自身にもその時にはよく説明ができなかった。ただ遠くの方にある一種の不安が、僕の身体(からだ)を動かしに来たという漠たる感じが胸に射したばかりであった。」

自分が行おうとしていることの意味がわからず、疑問を持つ。それをリアルタイムで実況する。こういう内省は引用した文体で初めて可能になったこと。おそらくそこから「自我」が生まれるのだ。それ以前の「俺」「余」の人称を使う語り手は内省からはほど遠い行動性向の持ち主だった(「坊ちゃん」「草枕」など)。漱石あたりから始まる日本文学の「自我」とその批判は、漱石がこのような文体を創り出したところから始まり、文体から生まれる問題なのだろうなあ、と妄想する(トリビアだが、松本が田口を「高等遊民」だと指摘する。この言葉が「彼岸過迄」で初めてでた。)
 上流階級にいてやることがなく、自分を余計者をみなし、他人に冷淡であるというのは(「敬太郎」「須永」がそれ)、漱石のキャラは当時生まれつつあった「モッブ(@アーレント)」そのものなのだなあ、と思いを繰り返すことになる。
(しまった。内省をやっているキャラは、「自分」を使って語る「坑夫」が先でした。)

 

    

 

(須永らは鎌倉に避暑にいく。千代子や百代子などと「心理戦」ともいえそうな微細な感情のやり取りをしながら、たいしてやることのないだらだらとした日をすごす。読んだことがあるなあと思ったら、蒼井雄「船富家の惨劇岡田鯱彦樹海の殺人」だった。彼ら昭和の探偵小説の味気無さは私小説由来かと思っていたが、漱石なのであった、と膝を叩いた(死語)。)