odd_hatchの読書ノート

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E.T.A.ホフマン「牡猫ムルの人生観」(岩波文庫)

 上下巻を読むのに2年がかりになった。
 ホフマンはクラシック音楽に深いかかわりがあって、没後数十年もしてから、チャイコフスキーくるみ割り人形」やオッフェンバッハ「ホフマン物語」の原作になっている。シューマンクライスレリアーナ」は、この小説の主人公である楽長クライスラーのでてくる別の小説を借用したもの。それだけでなく、ホフマン本人もどこかの歌劇場の音楽監督になり、自作のオペラを上演しようとしたところ、初日の直前に歌劇場に火事が起こり、楽譜も含めて歌劇場が消失したという稀有な経験の持ち主。たぶんウェーバーあたりと張り合っていたはずだが、現在にのこる楽譜はCD1枚分程度でしかない。
 この人の面白さはさらに官吏でもあったことで、昼は役所、夕方から酒場で乱稚気騒ぎ、夜中に執筆という三重生活を送ったことだ。そしてドラッグにも手を出していたらしく、1822年に46歳の若さで亡くなる。残されたものは大量の怪奇、伝奇小説というわけだ。彼の想像力は幻視力にあって、もちろんゴシックロマンス流行の真っ只中にあるのでその影響はあるにしても、現在にまで通じる新しさを持っていた。そして、非常に多岐な分野における創作活動があった。このような生き急ぎの人生はそれ以前の人にはなかったもので、バイロンシェリーなどの詩人、モーツァルトシューベルトなどの作曲家、ガウスのような数学者と共通の時代に生まれた「天才」の系譜の一人であるのだ。
 この小説は、漱石の「猫」の解説に必ず触れられるもの。ホフマンが飼っていた猫をモデルに、猫の人生が語られ、そこに楽長クライスラーの伝記が「誤って」挿入され、そのまま印刷されたものだ、ということになっている。冒頭牡猫「ムル」はクライスラーの近いところで育てられる。すぐに別に引き取られて、両者の関係は切れてしまう。しかし、ムルとクライスラーに起こる事件は相似したものだと気付かされる。最後には再びムルとクライスラーが一緒になるような伏線が張られるが、作者の夭逝により未完になった。
 面白いと思ったのは、ムルは一人称で語り、クライスラーの物語が三人称で進むことだ。今でこそ人称を混乱させた小説はたくさんあるのだが、19世紀の初頭では、ここからは自分の推測になるのだが、一人称と三人称がひとつの小説にでてくることはなかった。一人称は書簡か告白でしか使われることがないし、三人称は古くからのロマンスや童話の語りだからだ。ホフマンよりも前に一人称を小説に使った例は珍しくない(先の書簡体小説(「若きウェルテルの悩み」)や「トリストラム・シャンディ」など))。しかし、それをミックスして、新しい文体で語ろうとした試みはホフマンあたりからのはずで、同時代のドイツ文学の中では格段の新しさがあったはずだ。グリム兄弟やブレンターノの民話研究が最新だったから。
 とはいうものの、自分は19世紀初頭の小説とはどうにも波長が合わないらしく、退屈したことも書いておくことにしよう。

      
 E.T.A.ホフマンの作曲した音楽のCDがあったので紹介。

E.T.A.ホフマン:3幕のジンクシュピール「愛と嫉妬」AV33

E.T.A.ホフマン:3幕のジンクシュピール「愛と嫉妬」AV33

ホフマン:舞台のための音楽[付随音楽「バルト海の十字架」AV20 より

ホフマン:舞台のための音楽[付随音楽「バルト海の十字架」AV20 より