odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

フランツ・カフカ「城」(角川文庫)

 いやあ、読了するのに時間がかかった。購入は1993年で、手をつけてから100ページに行かないうちに読むことができなくなり、その後数十ページごとに挫折を繰り返した。ようやく残り250ページをここ数日のうちに読むことができたのだ。同じような体験は「審判」でもした。(ネットに書かれた感想を読むと、角川文庫版の翻訳はそうとうにひどいものであるらしい。新潮社の全集のほうがいいらしい。新潮文庫で「城」「審判」は文庫化されていたが、文字が小さく読みずらそうなので、角川文庫を購入したが失敗した。今は他の翻訳がいくつかでるようになった。)
 この二つの長編に顕著なのだろうが、最初の数十ページで重要なシチュエーションが説明されてしまうと、その後は同じシチュエーションが何度も繰り返されるのであり、そのうちに主題からどんどん離れたところに行ってしまうのだ。まず、この状態に幻惑されたのだが、クラシック音楽の変奏曲の形式で書かれているのだと思うようになってから、だんだんと物語の中に入っていくことができるようになった。
 「不条理」については多くの人が語っているので、ここではパス。「城の中に入れない」「理由不明で訴追される」という事態は、その後の世界で実現した。戦時統制国家(ナチス共産主義、日本の戦前など)でこれらの不条理とそれによる恐怖の体制は起きたのであるから、カフカのビジョンはきわめて現実的であったのかもしれない。官吏をしていたという経歴が、そのような世界を幻視したのだろう。
 一方、ジョン・グレイ「グローバリズムという妄想」(日本経済新聞社)は、「城」を今日的(たぶん1989年以降)なディストピアではないという。権力や監視が明示的ではないから。むしろ個がばらばらに解体されて隣人を誰一人知らず、サイコパスが跳梁跋扈するのを恐れているブレット・イーストン・エリスアメリカン・サイコ」のほうがリアルに近いディストピアイメージといっている。
 物語全体は夢幻のようであっても、細部はきわめてリアリスティック。チェコの田舎風景やプラハの官吏などは生々しく、懐かしくも不思議な味わいのあるものだった。1920年代というのは、世界の生活レベルにほとんど差のなかった(アメリカを除く)時代であったのかもしれない。薪を使った暖房、ランプによるほの暗い明かり、馬車か徒歩による移動など、日本の農村でも共通するような暮らしぶりではないか。
 「城」では、主人公Kが自尊心が強いながらも、役に立つ知識をもたず、次第に周囲から浮いていく様子が滑稽だった。それにくらべ、村に適応していく従者や、Kにほれて猛烈にアタックしていく村娘などの生活力の強さが印象的。
 もしかしたら、Kの赴いた先の城はマーヴィン・ピークの「ゴーメンガースト」だったりしてね。両者を対にすると、城の内部と外部で不条理なことが起きていることになる。どちらも一度入ったら逃げられない「ホテル・カリフォルニア(@イーグルス)」みたいな場所だ。