odd_hatchの読書ノート

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堀田善衛「海鳴りの底から」(新潮文庫)-4

2022/10/06 堀田善衛「海鳴りの底から」(新潮文庫)-3 1961年の続き

 小説は原城に農民他の人々が籠城するところから始まる。そう決意するまでの過程の詳細は書かれない。さまざまな村で寄り合いがあって話し合わされ、村と村の間で結論を持ち寄って合意を作っていく過程はない。すでに選択してしまった者たちが、家と村を捨て耕作を放棄して、城跡に集まる。耕作しない漁業にでないということはその年と翌年以降の収穫や収入を放棄することだ。そのときには生きていないと決意していることだ。彼らは村長ほかのインテリたちが指導グループをつくり、それぞれが数百人規模の人々を指揮する。そして籠城の準備をする。総勢3万7千人、うち1万数千人が婦女子とこども。
 一揆の報は江戸に届き、すぐさま討伐命令が下る。村人の逃亡が起きた藩が対処することになったが、藩の連携はなく、抜け駆けをもくろむ戦国時代を知らない連中が農民を侮って無理押しをする。二回の攻撃は完敗になった(ここで初回で失敗した藩主が江戸の権力に怯えて、力押しをする。そこに至る指導者の心理徒採用した戦術は日露戦争二〇三高地の戦いを見るよう)。江戸の老中が来て、統一した指揮ができる。城を包囲して食糧が切れるのを待ち、石垣と同じ高さの攻城砦を作り射撃を繰り返す。そして二か月の包囲をしたところで、一気に攻め込む。すでに体力と武器(とくに銃弾と火薬)を失っている城内の人々は対抗できない。4日間の殺戮で生き延びたのはせいぜい20人ほど。面積当たりの死者でいうと、原爆よりも高い数字になるという。状況、惨というべきか。
(最後の一文は司馬遼太郎「竜馬が行く」の引用だが、司馬は武士の処刑にこの言葉を使っても、比叡山の虐殺にこの言葉を使わない。どころか長島一揆の鎮圧は小説「国盗り物語」に書かない。堀田善衛司馬遼太郎の視線の違いは顕著。)
 原城が壊滅するにあたり、婦女子が幕府軍によって惨殺される。その光景から著者はサイパン島の「玉砕」を連想する。とくに、非戦闘員である女性が崖の上で祈っていたり、飛び降りたりするところ。彼女は兵士の訓練を受けたわけではない。「生きて捕囚の辱めを受けるな」というファナティックな国家命令が彼女をそこまで追い詰めたのだった。原城では国家権力が「辱めを受けるな」の命令で女性や子供が殺された。1961年には列島では知られていなかったかもしれない沖縄戦を想起する。そこでは日本兵が沖縄の婦女子を防空壕から追い出し食糧を取り上げ自殺を強制した。中央から見た辺境は植民地だからここまで残酷なことができたのだろう。
(のちに著者は「路上の人」で1243年のモンサヴァール城包囲戦を書くのであるが、城の陥落や首謀者の処刑が近づくにあたり、語り手に「もう見ていられない」といわせて観察の仕事を放棄させた。そのことに不満もあったが、すでに本書において詳細に書かれているのであるから、何もいまさらもう一度という気持ちになったとしても不思議ではないし、不満をぶつける必要はないのであった。)
 小説のほとんどは攻城戦を内と外から描写する。その詳細さは、この国のほとんどのエンタメの記述を凌ぐのではないか(といって攻城戦は司馬遼太郎坂の上の雲」の旅順戦くらいしかしらないが。司馬著では司令官視線だけだったので、一般兵や市民・農民は一切記述なし)。そのために、著者は島原の乱の研究書を読む。どこかの古い本に名前と死亡時の様子だけ書いたものを見つけ、作家は小説家の想像力を発揮する。乱に紛れ込んだ泥棒=スパイであったり、猟師出身のスナイパーであったり、幕府側の家臣で現在は浪人になっているものだったり、右衛門作(えもさく)の母で別の一揆の経験者であったり(「いくさはやさしい、いくさはたいくつ」が口癖)。彼らが登場することで、一揆の参加者が一枚岩の結束を持ったものなのではなく、さまざまな境遇と思惑をもった雑多な、しかしひとつの信念を共有する者であることがわかる。その集団は貧困者や虐げられたものの縮図であり、幕府側の攻撃者やオランダ商人、大阪の商人らも加えれば列島に住む者の典型を示したものであろう。そして、日本が混乱から秩序に動き、下剋上が安定に落ち着く大転換にあることを明らかにするのである。
 さよう、著者の堀田善衛はきわめて小説の技巧者であり、他の戦後文学者がなしえなかったような「全体」を描くことに成功したのだと思う。あいにくぼんくらの読者である自分には、多くの登場人物が持っている問題や葛藤を十分にとらえきることができず、著者の構想と思想を掘り起こす作業があってよい。

 

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2022/10/03 堀田善衛「海鳴りの底から」(新潮文庫)-5 1961年に続く