odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

エドマンド・クリスピン「消えた玩具屋」(ハヤカワ文庫)

「月光に誘われ、深夜オックスフォードの町を逍遥していた詩人キャドガンは、ふと一軒の玩具店の前で足を停めた。 開け放しの戸口に興味を惹かれ中に入った彼は、一人の女の死体を発見した。 余り愉快な光景じゃない、そう想った瞬間、彼は頭部に一撃を受け気を失った。 翌朝、意識を取戻したキャドガンの視界から、昨夜の玩具店は跡形もなく消え失せていた。 彼は、年来の友人であるフェン教授に事情を話し、手掛りを求めて町を彷徨い始めるが……大学の町オックスフォードを舞台に繰広げられるユーモアとウィットとサスペンス。 英国ミステリの白眉(裏表紙のサマリ)」


 貧乏な詩人が出版社に前借し、冒険にでかけたいというところから始まる。詩人の最初の冒険は上記のとおり。見知らぬ中年女性の死体(絞殺)を発見した。上記のように二つの問題が発生。ひとつは死体と玩具店の消失。もうひとつは殺人の動機、この中年女性は年中旅していて、さほど金を持っているとはおもえないし、係累もいない。死体の傍らにあったメモに書かれた数字をとりあえず電話番号とみなして、その家に突入すると、殺された女性を知っているらしい。さらに、この女性の知り合いに資産家の老嬢がいて、気まぐれに遺産相続権をばらまいていたらしい。という具合に、キャドガンとフェンがあてずっぽうにオックスフォードの町を探偵していくと、手がかりが向こうから舞い込んでくる。明らかになったのは、老嬢の気まぐれで遺産相続権を持つようになったのは5人ほどいて、新聞の広告に気づいて申告しないとダメということだった。そして、老嬢の財産管理をしている弁護士がどうやらほかの遺産相続人を巻き込んでネコババするたくらみをしているらしいということ。キャドガンとフェンが出会った奇妙な連中、ジェーン・オースティンおたくの元高校教師に、消失した玩具店の後に見つかった食料品店の女店主に、美人の販売員に、殺された中年女性はみんなこの相続人であった。以上が明らかになるのはストーリーの真ん中までなので、ここで書いてよいだろう。キャドガンとフェンがすこし強持ての質問をすると、彼らは自白するので死体と玩具店の消失の謎は途中で明らかになってしまう(推理の結果ではない)。しかも事件の黒幕の弁護士も「お前を殺して逃げる」のあとの長広舌で自白し、その最中に射殺されてしまうから残る課題はだれが殺したか(フーダニット)のみ。あいにくそれほど意外な人物ではない。
 となると、読み出のあるのはミステリの謎解き以外のところ。すなわち、キャドガンとフェンの文学をネタにした冗談。たとえば捜査中に押し入れに監禁されたとき、暗闇で読めない本と5秒以内に言い合うところ(「ユリシーズ」に「トリストラム・シャンディ」に「ラブレー」「黄金の盃」など。「タイタス」とあるのはマーヴィン・ピークのそれかなあ)。あるいはD・H・ロレンスおたくのトラック運転手の意外な感想(「チャタレー夫人の恋人」などはポルノみたいに受容されていたわけね)。つぎにはオックスフォードの学生たちの生態。教授に酒をおごられればパブで飲んだくれたり、警察相手のいたずらをしたり、マッチョな運動部の学生がドタバタと走り回ったり。こういう学生の悪乗り騒ぎは映画「ケンタッキー・フライド・ムービー」や成田美名子エイリアン通り」「アレクサンドライト」に描かれているので読むがよろし(時代と場所が違うけど)。もうひとつはフェンとキャドガンのドタバタ追跡劇。フェンの自動車は整備不良で爆音をだすわ(岡本喜八「殺人狂時代」)、不正な家宅侵入をするわ、警官に呼び止められては勝手に逃げ出すわ、大聖堂の合唱の練習に紛れ込んで騒動を起こすわ(練習していたのはブラームスの「運命の歌」。ヘルダーリンの詩を使った合唱曲なので)、ゼミの学生を呼び出して警察の捜索のおとりにするわ、尾行者を逆襲して池でリンチもどきをするわと大活躍。ドタバタ追跡劇がなんども繰り返されるけど、次第に人数が増えていくのが笑える。キーストンコップ以来のドタバタコメディの定石だね。最後は真犯人を移動遊園地のメリーゴーラウンドに追い詰める。ここはヒッチコックが「見知らぬ乗客」のラストシーンに使ったとのこと。
 ま、文学の神は細部に宿るということか。ドタバタ劇や文学の薀蓄に気を取られて、ミステリーのほうはお留守になりました。「モンティ・パイソン」の先輩の先輩あたりの人が書いたミステリ風ユーモア小説。1946年初出。この国の同時代作品が「本陣殺人事件」「不連続殺人事件」「奇跡のボレロ」あたり。経済の貧しさが描かれないというのは、イギリス紳士の矜持かな。

消えた玩具屋 (ハヤカワ・ミステリ文庫 55-1)

消えた玩具屋 (ハヤカワ・ミステリ文庫 55-1)