odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

ジョン・ディクスン・カー「アラビアンナイトの殺人」(創元推理文庫)

 タイトルのアラビアン・ナイトダブルミーニング。ひとつめは、アラビアの収蔵品を集めた博物館が舞台で、アラビア学者がいたり、アラビアの小物がでてきたりというところ。小物に付け髭のあごひげがあるが、これはアラビアの成人に必須。もうひとつは、同じ事件を三人の関係者がそれぞれ自分の観察を語るというところ。作者のほかのミステリーのギミックと同じように、事件の真相に深くかかわっているわけではない。タイトルに惹かれると肩すかしを食らうので、期待しないように。

 さて、事件は相当にこんがらがっている。がんばってまとめてみるか。
 6月半ばのころか、深夜11時ころ、私設の博物館近くで巡回中の警官がおかしな人物を塀の上に発見する。白い付け髭をつけた男。職務質問をすると、襲い掛かってきたので、やむなくパンチをくらわした(おいおい)。介抱するためにちょっと外すとその間に男は消えていた。気になった警官は、博物館に入り、案内人について部屋をみてまわる。地下室は、歴史的な馬車のコレクションを展示してあるが、その一台から男の死体が転げ落ちてきた。死体には博物館が所蔵するアラビア短剣で胸を刺されている。この死体も付け髭があったが、色は黒。消えた男とは別人の模様。ここまでが、謹厳実直なアイルランド人の警官の話。
 事件は副警視総監まで及ぶ。なんとなれば、事件の起きた博物館は国内有数の富豪がつくったもので、その夜、彼の息子に娘とその友人たちが大掛かりないたずらを準備していた。身持ちの悪い娘が、プレイボーイの男と結婚することになっていたが、高慢なプレイボーイが気に食わない。アラビア学者の牧師が父を訪れるから、それにかこつけて一杯食わせようとした。で、彼らは俳優を雇い、準備を整えていたところ、本当のアラビア学者兼牧師を雇った俳優と間違って、ドタバタ騒ぎを起こしてしまった(この生真面目風な牧師がスラップスティックコメディをするのが面白い)。そこに警官がやってきたものだから、彼らは「撤収〜!」とばかりに大騒ぎを起こす。その間に殺人が行われた。容疑者はそこにいた10人と思われるが、絞れない。ここまでは冗談好きなイングランド人の副警視総監の話。
 事件にはこんな不可解事がある。すなわち、タイプライターで打たれた謎の手紙。壁に投げつけられた石炭のかたまり。黒い付け髭と短剣。容疑者ミリアム・ウェイドが博物館に戻って来た理由。ミリアムが密かにかけた電話。被害者の持っていた料理書の意味。イリングワース博士が受け取った電報。地下室の鏡と裏門の鍵。盗まれた手袋とネジ回し。故障中のエレベーター。これらの疑問点は警官らによって整理され、ハドリー警部の解釈も書かれる。もちろん警部の推理はほとんど誤っていたのであって、のちの「九つの答」でくりかえされたのだ。あと、殺された男は彼らのいたずらで雇った俳優で、なんと娘ミリアムがはらんだ子供の父親だった。どうやら復縁か金を要求するつもりだったらしい。ここまではスコットランド人のハドリー警部の話。
 とにかく長い。10ポイントくらいの小さ目の活字を組んで500ページ越えだものな。「ビロードの悪魔」「九つの答」に匹敵する。では、この長さに耐えるだけの内容があったかというと、あいにくのことながら。「ビロードの悪魔」の剣劇や決闘はなく、「九つの答」の巻き込まれ型サスペンスも命を懸ける意気込みもない。まあ、教訓があるとすれば、同じ事件も観察者が異なると見方がかわるということと、報告は簡潔に正確にということ(笑)。
 青年たちのけっこう意地の悪いいたずらと、計画倒れのすえのどたばたに、牧師のスラップスティックコメディ(「剣の八」や「死時計」「ロンドン橋が落ちる」で教会関係者が似たようなドタバタを演じる)が書きたかったことかな。事件は付け足しで、解決はあっさり、徹夜のあと夜明けのあくびといっしょに事件は雲散夢消。夏至の夜の夢が一瞬で消えたようなもので、そうするとアラビアの夜のごときはかなさがタイトルにふさわしい。