odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

【追悼】ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ

 【ベルリン=共同】ドイツの世界的なバリトン歌手、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ氏が18日、南部ミュンヘン近郊の自宅で死去した。86歳だった。DPA通信が伝えた。詳細な死因は明らかにされていないが、同氏の妻は「安らかに永遠の眠りについた」と語った。
フィッシャー=ディースカウ氏が死去 バリトン歌手 :日本経済新聞

 一度だけライブを聞いたことがある。その時の下手な感想をアップ。

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 1989年5月12日に、NHK交響楽団はディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(以下DFD)を招いてブラームスドイツ・レクイエムを演奏した。指揮はサヴァリッシュ、もう一人の共演はヴァラディだったが、これはDFDを聞くコンサートだ、と僕は考えた。
 舞台で見るDFDは驚くほど長身で分厚い胸だった。きれいに分けられた髪はまっしろだったが、肌のつやはよさそうだし、なによりもレコードのジャケットで知っていた才気ある若者の顔が落ち着いた学者ふうの顔つきになっていたのが印象的だった。
 ドイツ・レクイエムではかなりながい間、バリトン歌手は出番を待たなければならない。その間DFDはスコアを手にしたまま、目を伏せたり、遠くを見上げたりしていて、緊張をそらしたりするふうはなく、なにか別のことをじっと思い描いているようだった。となりのヴァラディはほおやまなじりを引きつらせていたのに。
 第二楽章が終わると同時に彼は立つ。あいかわらずスコアは閉じたまま。ふっと胸に力がよぎったような一瞬のあと彼は歌いだす。なんという慈愛に満ちた響き、そして深々とした声。ほとんど常にDFDのパートは低音で歌われるのだが、その間DFDはほとんど顔をあげず、せいぜい正面を伏し目がちに見つめるだけだ。あるときは半歩前に歩みでたり、退いたりする。スコア(ついに開かれることはない)を堅く握り締めたり、指でたたいてリズムをとったりする。そういう行為とあいまって、表情もまた刻一刻と変える。
 第三楽章は神への問いかけから始まる。その問いは自分に振り返えってきて、人間の無常さの嘆きになる。しかしそれは克服されて神の信仰の確信を歌う。ヨブ記のような信仰のドラマがこの楽章で展開される。この日にDFDはこのような心理の移り変わりを充分に歌ってくれた。合唱はみな二十代前半の学生たちだったので、壮年を越えかけたDFDは彼等を導く師父か司祭かのようであり、この楽章では父の祈りとそれに唱和する子供たちのように感じたのだ。実際、DFDは学生たちだけを導いたのではなく、聴衆の一人である僕もまた導かれた一人であったのだと思う。
 DFDはたしかデビューがこのドイツ・レクイエムだったはずだった。そして若いときにフルトヴェングラーとの共演を果たしてきた人だ。フルトヴェングラーはすでに亡くなって40年を越える。彼を直接知る人が同じホール、空間のなかにいるというと感じるだけで、そして長いキャリアと録音を残している人を実際に聞くことができたことで、僕の中では深い感慨が湧き、歴史の前に立ちすくむような気になる。それはDFDに中心化された場に自分が「在った」ということにほかならない。
 結局、この日はDFDを経験した日だった。帰り道でだれかと話すということはなかったが、心地よい気分でホールから夜の雑踏にでることができた。

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 以下の写真は、当日、会場で購入した雑誌・パンフレットの一部。
  

 前日の演奏がFMで生中継され、のちに教育テレビで放送された。というわけで、このときの録音を聴いている。

追記 2012/5/22 ニコニコ動画にあったので、リンクを貼っておく。
ブラームス:ドイツ・レクイエム 第1曲~第3曲 サヴァリッシュ - ニコニコ動画
ブラームス:ドイツ・レクイエム 第4曲~第7曲 サヴァリッシュ - ニコニコ動画

 フィッシャー=ディースカウの評伝は下記がでている。存命中に書かれたので、晩年の様子はない。

フィッシャー=ディースカウ (music library)

フィッシャー=ディースカウ (music library)