odd_hatchの読書ノート

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田村和紀夫「交響曲入門」(講談社選書メチエ)

 クラシック音楽を聴くようになったのは20歳に近くなってからだから、聞きとおすことに困難があったのをよく覚えている。友人と酒を飲みながら、ブラームス交響曲全4曲をいっきに聞いた。友人が「ここすごいだろ」といっても、初めて聞く音楽だったので、こちらにはさっぱりわからない。中途半端な気分で、友人に申し訳ないし、自分がふがいないし。それから何度も繰り返しきくことを決意。繰り返し聴くことで、ようやくメロディとか音響のダイナミクスとか曲の違いがわかるようになっていった。そして代表的な交響曲を100曲くらいを楽しめるようになった。そうなるのに大学の4年間が必要だった。とりあえず交響曲の聞き手の中級者に進んだといえるか。
 その先の目利きになる聞き方(?)を教えるのがこの本( 吉田秀和「LP300選」(新潮文庫)を読んで、次に読むのがよい)。

 交響曲の「起源」はおおよそバロック初期のオペラ運動に始まる。声楽だと歌詞でストーリーがわかるのでひとつづきの旋律でよかったが、器楽だけになると記憶に残らないきまぐれな音楽に聞こえるので反復することが必要になった。それだけでは足りないので、「形式」にのっとって音楽のまとまりが一聴で分かるようにした。その「形式」の代表例がソナタ。聴衆も形式に気を付けると、作曲家の意図(なぜその形式にしたかという意味で)がわかるようになる。ソナタの形式で重要なのは、提示―展開―再現という主題の繰り返しと最初の主題の調が別の調を移動して戻るという再現。展開部ではかならず転調する。すると、提示部から展開部にかけては緊張と昂揚感が生まれ、展開部から再現部にかけては弛緩と解決感が生じる。これでもって音楽の聞き手の感情を動かしている。まずは調性が変わることと旋律が変わったり対比されるところに注意。もちろん作曲家は形式を忠実に守るだけではなくて、ときに変化を加える。調性は再現したのに主題は戻っていないとか、主題は再現したのに転調していないとか。そういう「不安」を持ち込むことで、緊張と弛緩、高揚と解決の感情を揺さぶる。こういう見方をすると、交響曲の構成でいかに作曲家が腐心しているかがよくわかり、この本の白眉はベートーヴェン交響曲第9番の分析。終楽章で前の楽章の主題がそろって否定された後、バリトンが「おお友よ、このような調べではない」といって「歓喜の歌」になるまで。第9交響曲の分析はいろいろある(諸井誠「名曲の条件」、吉田秀和「私の好きな曲」など)が、この本の指摘がもっとも刺激的。
(ただし、アーノンクールにインスパイアされた聴き方が今の自分にはこのましい。 テオドール・アドルノ「ベートーヴェン 音楽の哲学」(作品社)参照。)
 もうひとつ面白かったのは、主題は劇の主人公であり、交響曲は全体として人間を表現しているという指摘。楽章ごとに肉体・頭・心を表現していて(これは心・身・霊というキリスト教的な人間観の反映になるのだろう)、終楽章でそれが統合されるという。ことにモーツァルトの最後の3つの交響曲ではどの曲でもメヌエットのトリオで終楽章の主題が先取りされていて、この見方を補強するという。2014年にでたアーノンクール指揮のCDではさらに拡大してこの3つの交響曲はそれぞれ人生を表しているうえで、3つの作品が全体としてオラトリオのようにひとつの人生を表現していると主張している。なるほど、3つを通して聴くと、好調―危機―試練―克服―新生とでもいうような物語が見えてくる。とても説得力のある見方だと思う。

 交響曲という形式はベートーヴェンの第9番で高峰にのぼり詰める、というのが著者(および多くのクラシック音楽関係者)の見方。ベートーヴェンのあとは、いかに乗り越えるか、いかに新機軸を打ち出せるかという苦闘。交響曲は量産するものから、思想と人生をかけた作品になる。そのために、形式よりも内容が、20世紀になると作曲家の作品ごとの「内的倫理」が優先される。そのために「形式」を比較するという方法が使えなくなった。ベートーヴェンより後の記述は、作品ごとの分析になって、すでにどこかで言われていることを聞くことになる。たくさん交響曲を聞いて、その解説を読んできたので、ロマン派の大規模交響曲の分析は食傷気味の内容。
 巻末に推薦録音のリストがある。1960-80年のモダンオーケストラによるものと、2000-2010年のピリオド・アプローチによるものの2種類(初出は2010年)。著者は1952年生まれでさほど自分と離れた年齢ではないので、選択の嗜好の由来がよくわかり、どんなレコードやCDを聞いてきたのか、どんな音楽評論を読んできたのか想像がついてしまった。自分の好みにはあわない選択が多いが、まあ参考にはなった。