odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

宇井純「キミよ歩いて考えろ」(ポプラ社) 自分が不利益を被っても公正のために正義を貫く生き方を実行した人の自伝。

 初読が1980年2月5日。この日に著者が大学にきて講演したのだった。もちろん大学の主催であるわけではなく、学生が呼んだのだった。その席で、販売されたばかりのこの本を売っていた。買ってその日に読んだのだった。だから、この本には著者のサインがついている。
    
 さて、奥付の著者紹介を使って、この本の内容を紹介しよう。これは著者が中学生向けに書いた自伝であり、若い人へのメッセージだ。

「1932年、東京都に生まれる。1956年、東京大学工学部応用化学科卒業、日本ゼオンKK入社。工場建設、塩化ビニール製造、営業技術に従事。」

 教師の家庭に生まれたものの、戦争のおかげで資産を失う。父は兵隊にとられて帰還せず、祖父の指導の下、なれない農作業で暮らしを支えた。小田実がいっていたのだが、敗戦はこの国の格差を低いほうに平準化することになった。それまでいばっていた軍人が仕事を失い、それまで買い叩いていた米や野菜を得るために都市住民が農村に買出しに出かけるような。そこから人びとがそれぞれ新しい仕事を創出していき、資本をためていくのだが、そのバイタリティを著者の世代は体験しているということになる。著者とほぼ同世代の母がこの本を読んだとき、農作業の苦しさに強く共感していた。母は農家の出で、兄弟姉妹の一番上だったのだ。
 工学科ならなにか新しいものを発明できるだろうという目論見の元、大学に進学。その後就職。面白かったのは、工場の建設というゼロベースから開発と、取引先をまわる営業を経験したこと。こういう学者はめったにいない。あと、大阪の韓国人が経営する工場の顧問になったという経験も。信義とか契約などのモラルの強さを知ったとの由。

「1959年、東大へもどりプラスチックス加工研究を始める。1962年、土木工学科に転科。1965年より新設の都市工学科の助手となり、学生実験指導を担当。水俣病をはじめとする公害研究に従事。」

 ここから状況が一転。水俣病のことを知ったから。日本ゼオンの工場でも水銀を無処理で河に流していた。幸い量が少ないこと、すぐに海に流れたことで被害はでていないのだが、水俣では大変な事態になっている。ここでは、(1)公害企業が無責任であること、(2)国立大学が企業の側にたち間違った理論や資料をだしたこと、(3)政府と自治体は被害者の側に立たないこと、が詳細に書かれる。これは衝撃的である。ここで著者は被害者の側に立つことを決意し、新潟や水俣病の裁判に被害者側顧問として参加するのであった。それは大学当局の逆鱗に触れることになり(なにしろ東大工学科には日本チッソの弁護側にたつ教授陣がいたのであるから)、1967年に助手に採用された後、一切の昇進を阻まれた(実は同じ都市工学科で下水道研究をしていた中西準子氏も助手のまま昇進を阻まれた)。ここは重要で、正義を貫ぬこうとすると自分に被害が出る恐れのあるとき、自分は正義を実行するべきかという問いがでる。これは恐ろしくむずかしい。食費が明日からでない、すべての友人が去ってしまう、それどころか住まいから退去しろと要求される、など社会からはじかれる可能性があるからだ。それを行えるかについて、自問し、これまでの自分の生き方を振り返るとき、うなだれてしまうのだ。若いときにこれを読んだときは体温が上がるような感動を覚えたが、今回は恥を感じて目を伏せてしまうことになった。

「1970年、市民を対象とする公開自主講座「公害原論」を開講。それまでの公害研究の結果を公表し、市民の協力で「公害原論」全10巻にまとめる。水銀汚染を追い、数十カ国を旅行。カナダ原住民の水俣病を日本に紹介し、水俣病患者との交流を助ける。現在、下水道建設における適正技術の適用を研究中。」

 自主講座は全学連など大学を占拠した連中もおこなったのだが、著者のものほど長続きしたものはないだろう。1980年当時にもいくつかのパンフレットを自分は購入した記憶がある。なお、「公害原論」全10巻は亜紀書房と剄草書房から出版されている。これは日本の公害運動史を見る上で欠かすことのできない資料であるはず。しばらく品切れだったが、復刻されている。
 この本は1979年までしか書かれていない。その後を点描すると、1986年に沖縄大学法経学部教授に就任。2006年11月11日、胸部大動脈瘤(りゅう)破裂のため、東京都港区の病院で死去した。74歳。
 中学生向けの本で最後の章にはいくつかのアドバイスがある。観察力をもて。行動して考えろ。他人の痛みや悲しみに共感しろ。世の中の汚さやひどさに目をつぶるな。一番貧しく弱い人のために仕事をしろ。壁にぶつかったときには体をうごかせ。受験勉強などつまらないことだ。こんなところ。ただ、彼の若い時代や本が出版された時代といまは違うので(最大の違いは、かつては、勉強ができなくコミュニケーション能力が低いものでも、中卒でも高卒でも大卒でも、半年もあればたいてい就職できたということ)、そのまま受容しないでね。

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