odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

パウル・ベッカー「西洋音楽史」(新潮文庫) 1924年にでたドイツ音楽中心史観の音楽史。政治学、社会学、技術史は一切無視。

 1924年にラジオで放送された連続講演会をまとめた。内容は和声学・対位法などの音楽学までおよぶ。たしかヤスパース「哲学入門」も時期は異なるとはいえ、ラジオの連続講演をまとめたもので、ヤスパースは自分の考えをぞんぶんに語った。ベッカーやヤスパースの高邁な話を平然(かどうかは知らないが)と聞きとおした聴衆の知的レベルには敬服する。

 さて冒頭で、著者は19世紀の音楽史ダーウィンの「進化論」的な見方であったのを克服しようとし、ゲーテのように変化(メタモルフォーゼン)に注目する音楽史を提唱する。それまでは単純から複雑へ、幼稚から高踏へと音楽は進化してきたというがそれは誤り。たんにその時代に生きていた人間の感覚生活が反映されただけで優劣はないという。この時代に「文化的相対主義」を唱え、「歴史的遠近法」「遠近法的倒錯」を排除しようというのは珍しい。著者より年少で、このラジオ放送を聞いたかもしれないアドルノが音楽の進化を強硬に唱えていたのと好対照。
 西洋音楽史といいながら対象はドイツとイタリアとフランス。それぞれの「国民性」とか作品とかを見比べて、ドイツ音楽が世界音楽になったとみなす。ドイツ音楽には音と言葉、和声と対位法などなどの西洋音楽の基礎をなす考えが統合されて、すぐれた作曲家と作品の系譜があり、それを尊重する知的で深い教養を持つ好事家(ディレッタント)が支援しているというしくみがあるから。その見方は、上記の文化的相対主義もやはり時代の制約を受けていたとみなさざるを得ない。
 音楽に話を限れば、ドイツがほかの国とは違った意味と持ち、人々が熱狂してきた歴史がある。それはドイツとその民族の優位を示すものではないし、「世界音楽」という規定も自己賛美・自己韜晦であるだろう。ヘルムート・プレスナー「ドイツロマン主義とナチズム」(講談社学術文庫)がドイツ人と民族の哲学的・精神史的な分析を試みているので、読んでおくとよい。これはドイツ人によるドイツ(おもにファシズム)の批判。そういえば、同じような講演の記録であるランケ「世界史概観」もタイトルとはうらはらにドイツ史に限っていたのを思い出す。
 さて、ここに記述される音楽史であるが、ギリシャからバッハまではおよそ100年ごとの音楽の形式の変化を語る。グレゴリオ聖歌―アルス・ノヴァ―ネーデルランド学派―ルネサンスポリフォニーパレストリーナやラッスス)−歌劇(モンテヴェルディ)−和声音楽(シュッツ)という具合。そのあとは記述をドイツ中心に切り替え、作曲家を並べる。バッハ―ヘンデルハイドンモーツァルトベートーヴェンウェーバーワーグナーブラームスブルックナーあたり(1920年代ドイツでブルックナーが高評価なのにびっくり)。この系譜からは、ラモー、ベルリオーズショパンドビュッシーなどは漏れて、あまり記述されない。東欧やロシアの音楽はスルー。せいぜいヴェルディビゼーが国民歌劇の関係で詳述されるくらい。ビゼー?と驚くが、書かれた年のおよそ50年前にビゼーワーグナーより上とニーチェがいったのを思いだせば納得する(「ワーグナーの場合」だったかな)。この本のまえにドビュッシーが「音楽論集」(岩波文庫)を書いているが、それからすると、ドビュッシーはこの本のような西洋音楽史を嫌っただろうな。
 加えて、著者の音楽史の記述はとてもつまらない。なにしろ作品の紹介がなく、和声などの音楽学の説明に、哲学風の議論が続く。翻訳のせいもあるかも(なにしろモーツァルトが「共済組合」に加入して自由などの思想を獲得するようになった、だもの。もちろんフリーメーソンのこと。新潮文庫は絶版で、講談社学術文庫で再出版されているらしいが、改定されているのかな)。なので、この内容をさらうのであれば、この国の読者は吉田秀和「LP300選」を読めばいい。
 あとふたつ。
 この「西洋音楽史」を読むときには、ポミアン「ヨーロッパとは何か」を事前に読んでおくとよい。ルネサンス以前の教会音楽が、ほぼ同じ体系でしかし地方性を保ちながら、ゆっくり変化したとこの本はいう。ポミアンを読むと、当時のヨーロッパには聖職者、王侯・貴族・騎士、都市市民、農民という4つの階級があった。そのなかで聖職者はラテン語を共通言語にし、修道院などを頻繁に移動することで情報の伝達を行い、文化を共通していた。聖職者から見ると、ヨーロッパは文化的に統合されていて、民族・言語などの差異はなかったといえる。それがルネサンス以前の教会音楽の緩やかな共通性のもとになっている。
 もうひとつは、この本のように音楽をそれ自体の内的な変化だけで見るのは結構危険ということ。たとえば楽器の発明・改良、オペラハウスの電化のようなテクノロジーの反映を見るべきだろうし、経済の変化により社会の指導層の変化が音楽に与える影響も大きいし、宗教革命・フランス革命・1848年2月革命のような社会政治体制の激変も見ておかないといけない。
 この本にはそれらは考慮されていない。まあ書かれた年をみればしかたない。その点では、ロマン・ロランフルトヴェングラーの本みたいに克服されるべき古い音楽観と歴史観が典型的に書かれたもの。いかに批判的にこの本を読めるか。読者の勉強の成果を試すことができる。