odd_hatchの読書ノート

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ポール・ポースト「戦争の経済学」(バジリコ) 感情やイデオロギーをカッコにいれて数値と要素に分解された「科学」的な議論をしよう。

憲法9条改正?自衛隊を正規軍に?でもその前に一度、冷静になって考えてみよう。戦争は経済的にみてペイするものなのか?ミクロ・マクロの初歩的な経済理論を使って、現実に起きた戦争―第一次世界大戦から、ベトナム戦争湾岸戦争イラク戦争まで―の収支を徹底分析!「戦争が経済を活性化する」は本当か?徴兵制と志願兵制ではどちらがコストパフォーマンスが高い?軍需産業にとって実際の戦争にメリットはあるか?核物質闇取引の実際の価格は?自爆テロはコストにみあっているか?…などなど、戦争についての見方がガラリと変わる、戦争という「巨大公共投資」を題材にした、まったく新しいタイプの経済の教科書。自衛隊イラク派遣の収支を分析した、訳者 山形浩生による付録「事業・プロジェクトとしての戦争」も必読。」
basilico - 戦争の経済学 / ポール・ポースト(著)


 あとがきにもあるように、この国では「戦争」を語るのはなかなかやっかいなこと。軍隊と徴兵制復活(おもに若者を鍛えようという主張とセット)、戦争絶対反対(反資本主義という主張とセットになることが多い)の両極の主張があって、それぞれ感情とイデオロギーで論点を一致させるのは難しく、一方「評論家」の諸氏は武器や戦術のことばかり語る。というわけで戦争の議論を冷静に深めることができない。そのときに、この本を使うと議論の土俵ができる。ここでは、感情やイデオロギーをカッコにいれて数値と要素に分解された「科学」的な議論を行える。
 以下、各章の要点の抜粋。
第1章 戦争経済の理論 ・・・ 戦争は心理的影響と現実的影響の2つをもたらす。軍事支出で総需要を増やすと、経済を不況ギャップから引っ張り出せるが、インフレの原因になる。戦争の資金調達の方法は、増税・非軍事支出の削減・お金の印刷・債券の発行・賠償金の徴収・第三者の移転の受け入れなど。資本と労働がどれだけ軍事に動員されるかで、戦争の経済的影響が大きく決まる。戦争の場所が貿易相手からの財やサービスの流れを阻害すると、戦場の外の経済も阻害される。(アメリカは第2次大戦で遊休施設と失業者を動員して経済成長率を高めたが、この国では戦争末期には労働者を大規模に兵士に引き抜いたために、工業生産は落ち交通機関は素人の操作で不安定になり、国の生産性を低めた。あと戦費の調達方法。日露戦争は戦争債権をイギリスほかの諸国が引き受けることで調達したが、第2次大戦では増税と賃金未払いくらいしかできなかった)

第2章 実際の戦争経済:アメリカの戦争 ・・・ 条件がそろえば戦争は経済に有益。その条件とは、開戦時点での低経済成長、開戦時点での国内のリソース利用度が低いこと、戦時中の巨額の継続的な支出が可能なこと、紛争が長引かないこと、本土で戦闘が行われないこと、資金調達がきちんとしていること。ベトナム戦争後はこの条件を満たしていない。しかし政府と取引のできる個別企業は有利になる。一方、予備役兵が現役兵として駆り出されると、コミュニティに被害を与える(民間リソースが減って生産が低下、サービスの供給不足、残された家庭への生活支援などのコストアップなど)。

第3章 防衛支出と経済 ・・・ アメリカの軍事支出と民間投資の間にはごく弱い負の相関しかない(軍事費が増えても経済に与える影響はほとんどない)。大きな国際紛争に関与すると、軍事費は増える。兵器をどんどん追加しても国家の安全はあまり増えなくなる(限界収穫の逓減に制約されているから)。軍拡競争は生産可能性フロンティアの小さい経済には有害となりやすい(民間のリソースを奪うから)。

第4章 軍の労働 ・・・ ここでは、徴兵制と志願兵制と民間業者委託の比較が行われる。前者ほど調達コストが安いが、代わりに品質(兵士のモチベーションとか技能とか)が落ちる。また徴兵や志願兵だと除隊したあとの社会保障費用がかかるが、民間委託だとそれがない。あと、最近の軍隊の編成では、戦闘部隊に従事する人は少なく、後方支援や兵站などに人が必要。特殊技能が必要なので教育コストがかかるが、徴兵や志願兵では技能の維持やレベルアップが難しい(すぐ辞めるから)

第5章 武器の調達 ・・・ アメリカ政府は兵器の独占需要家で、選定された企業は独占企業になる。兵器の価格が高くなるのは、交渉力・不確実性・モラルハザードがかかわっている。各国政府が兵器取引を管理しているので完全競争になっていない。企業間の取引にも兵器の場合は政府が介入する。

第6章 発展途上国の内戦 ・・・ 内戦はその国とその周辺国の経済にも被害をおよぼし、対外債務負担を増大させる。内戦の原因は経済的要因(貧困、水平的格差、原料産品依存など)。平和維持活動は公共財(非排除、非競合)だが、平和維持軍は共通資源(非排除だが競合)。平和維持活動は先進国にとって経済的に非効率。

第7章 テロリズム ・・・ テロリストの資金がわかりにくいのは、あまり資金を使わないことと、資金調達と移動に数多くの手法が使われているため(イスラムのハワラネットワークなど)。テロ攻撃の経済への影響は一時的。テロ攻撃の対象が政府・軍施設から民間施設に移ったのはセキュリティの強化のため。人々が公共財を必要とするのに政府が供給できないときは、テロ組織に加わることがある(テロ組織がセーフティネットを提供するため)。政府が市民権を認めないとき、政府批判活動が非合法形態の活動に走る原因になる。費用便益分析によって自爆テロが合理的になる理由が説明できる。

第8章 大量破壊兵器の拡散 ・・・ 通常兵器よりもBC兵器、核兵器が殺傷能力などで効率的。しかし開発と維持にコストのかかる高価な事業になる(から小国は手を出せない。かわりにA国は核爆弾、B国はミサイルなどを開発を分担し、バーター取引することで、核兵器の入手や販売を行える)。

付録  プロジェクトとしての戦争 自衛隊イラク派遣

 勉強用のメモ代わりに。おもにはアメリカの事例を取り上げているけど、その指摘をこの国の戦争に当てはめて考えることは可能。それに第6章以降の現代の戦争や内戦を分析しているところは非常に参考になる。この国が戦争の当時者になることは相当に難しいことと思うが、軍隊の派遣や駐留軍隊へのサービスというのは今起きているし、今後も起きてくるから。単純なイデオロギーや感情のぶつけあいではなく、国や企業や自治体や家庭の経済に対する影響を考慮すると、もうすこし冷静な議論ができるはず。そのためにはこれは必読。そして事例研究を増やすこと、この国の政策決定を事後に検証、分析すること。そういう本がこの国の著者によって書かれるとうれしい。