odd_hatchの読書ノート

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ヤーギン/スタニスロー「市場対国家 上」(日経ビジネス文庫)-1 20世紀初めの市場の失敗、後半の政府の失敗の経験を通じて、市場と国家の線引きや関係を考え直す。

  スミスやマルクスの経済学には国家が(ほとんど)登場しないが、20世紀以降、国家は市場に介入するようになる。1930年代の世界不況で市場が失敗してから。市場では利益のでない事業を国家が行うようになり、国家は福祉サービスを提供した。これは自由主義経済国でも社会主義経済国でも同じ。しかし、1970年代から国家のサービスが破綻するようになる。非効率で高コスト、変化に対応できないなど。そこで政府の機能を縮小する政治が1980年代から始まり、国家の資産を市場に切り売りするようになった。そして21世紀になってグローバル化(著者らはグローバル性という)が進み、国家と市場の関係はさらに複雑になった。20世紀初めの市場の失敗、後半の政府の失敗の経験を通じて、市場と国家の線引きや関係を考え直す。1998年刊。
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はじめに――フロンティアにて ・・・ 1990年代のトピックは、ソ連東欧諸国の市場経済移行の混乱、東アジアの通貨危機、中国の世界市場参入、日本のバブル経済崩壊。グローバル性の特徴は、境界の喪失。国家の資産切り売りは管理能力がなくなったからだが、今度は企業の管理能力が国家を越えている。あと、リベラルはアメリカでは政府機能の拡大を主張、それ以外では政府機能の縮小を主張(ただし日本のリベラルはアメリカと同じく政府機能の拡大を主張している)。

第1章 栄光の30年間――ヨーロッパの混合経済 ・・・ 1945年WW2終戦。ヨーロッパの資本主義は失敗したというのが大方の認識。すなわち世界不況を克服できず、小資本はイノベーションを起こせず、大資本はファシズムと組んだ。なので、国家が市場に代わって計画経済を行うことが必要と思われた。そこから、イギリス、フランス、イタリアで産業の国有化と大企業の官民経営がはじめられた。石炭、電力、水道、鉄道、国際電信電話などが国有化された(一部は今でも国有化されている)。これらの国家は経済成長を達成し、福祉社会を実行する政策をとった。なので1945-1975年までを「恵まれた時代」と呼ぶことがある。計画経済を遂行する背景には、ケインズ主義とソ連の計画経済成功がある。アメリカは国内の計画経済は行わなかったが、ヨーロッパの経済支援を行う際の指針であるマーシャル・プランで各国に共同計画を作るよう求めた。EUを作る契機になる。
(面白いトピックは1947年は世界的な食料不足。ヨーロッパも日本同様にアメリカの支援を必要としていた。マーシャルプランは日本だけではなく、ヨーロッパにも適用された。)

第2章 巨大さという問題――アメリカの規制型資本主義 ・・・ 20世紀初頭の革新主義は規制による経済統制をおこなった。州を超えるビジネスがあり、連邦政府でないと対応できなかったなどが理由。世界不況で市場の失敗と独占による弊害が非難されたが、ヨーロッパのような国家統制経済にはならなかった。国有化より規制、集中と合理化より反トラスト、計画経済より権限分散で対応。しかしWW2で企業による統制がうまくいき、一方政府による統制は悪評。以後経済成長にあってケインズ主義が持続する。しかしインフレと失業の問題が起こり、政府規制に疑いがもたれる。そこに石油ショックとドルの金兌換制度の廃止で問題は拡大する。

第3章 運命の誓い――第三世界の台頭 ・・・ WW2のあと、第三世界宗主国から独立する。宗主国は政治的には手を引いたが、経済的な影響力を残した。その際に参考になったのが、開発経済学と開発機関。第三世界は市場が小さく資本が乏しいので、政府が投資し計画で統制するべきであるというもの。開発期間は投資と工業化支援を行う。さまざまな形態の国有企業ができたが、政府の非効率と縁故主義がはびこり、ほとんど成果をあげなかった。独裁国家では国家の私物化が行われた。1970年代にはベトナム、中東産油国などで反米になる国家ができる。
<参考エントリー>
杉本良男「ガンディー」(平凡社新書
メルル/ブノアメシャン他「カストロのモンカダ襲撃・エジプト革命筑摩書房」(筑摩書房)

第4章 神がかりの修道士――イギリスの市場革命 ・・・ 1970年代、イギリスの「社会主義政策」は企業の不効率、ストライキの頻発による社会インフラの危機、高いインフレなどに陥っていた。どの政権も社会主義政策を変えなかったが、1979年に首相になったサッチャーは違った。ネオリベマネタリズムを推進し、国有企業の3分の2を民営化した。石炭、北海原油、ガス、テレコム、航空、鉄鋼、電力、水道など。これらのサービスの不効率は消え、市場原理が働き、企業は国際的な競争力をもつようになった。といって彼女の政策はほとんど全面的に不支持だった。流れが変わったのは1982年のフォークランド戦争。ここで勝ち、アルゼンチンの独裁政権が倒れたことで支持者が増えた。サッチャーの政策に追随する国がでた。
(本書では経済政策、そのうちの国有企業の民営化だけしかないので、ほかの政策が失敗したり、保守化が進んだことも評価に含めること。失業問題は深刻だったので、下級階層には極めて不人気。それを背景にフーリガンが誕生したり、人種差別が横行したりもしていた。)

 

 WW2後の自由経済諸国では、社会主義的な政策がとられる。1930年代の世界不況で財閥が富を搾取し市場が失敗したと思われ、戦時下の国家統制経済がうまく働いたのが大きな理由。戦争による生産財の破壊と資本の不足という事態では、巨額な資金を用意できるのは国家のみであるとすると、そこに権限を集中し、市場をコントロールすることが必要とされた。実際に、復興期にあっては政府主導でうまくいった。しかし、市場規模が大きくなって、私企業が潤沢な資金を持つようになると、政府や党あるいは運営する諸団体が生産をコントロールすることの弊害がでてくる。それがもっとも強くあらわれたのが、イギリス(とソ連)。そこで、国家の経済介入を少なく(同時に国家の公共サービスと民営化)するネオリベラリズムが1980年代に台頭する。
 同じく国家の経済介入で発展途上国の経済をよくしようとする開発経済学と開発機関も、アフリカやアジアの諸国に投資と援助を行った。でも、自立した経済を作れた国はまずない。かわりに、そのような援助のない国が経済発展を遂げるようになる(韓国、台湾、シンガポールなど)。そこで開発のやり方にも懐疑と検証が必要とされた。
 戦後の経済政策を図式的にまとめるとこのようになるか。

 

2020/11/16 ヤーギン/スタニスロー「市場対国家 上」(日経ビジネス文庫)-2 1998年に続く