odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

米国技術評価局「米ソ核戦争が起こったら」(岩波現代選書) 1980年代にでた核戦争被害のシナリオ。アメリカ主導のレポートの内容は悲惨だが、甘く見積もりすぎ。

 1980年代の初頭には、東西国家間の核戦争が起こるかもしれないという危機感があった。1975年にベトナム戦争が終了したこと、1973年の第一次石油危機を西側諸国がどうにか乗り越えたことなど、1970年代はデタントの進んだ時期だった。それが1980年代になると一転する。その契機になったのは、東側諸国家間の対立(中国ベトナムの戦争、ソ連アフガニスタン侵攻、ポーランド労働組合運動の弾圧など)、イランで起こったイスラム革命とそれによる第二次石油危機、韓国の大統領暗殺とその後の政治危機。このような事件が発生し、かつ第二次石油危機から始まる不況が後押しをした。そしてアメリカ、イギリス、日本の各国に保守政権が誕生した。アメリカは大幅減税を行うと同時に、スターウォーズ計画なる軍事計画を発動。さらには、西ドイツに核配備を行う。イギリスは大西洋の孤島フォークランド諸島の領有権をめぐってアルゼンチンと戦争を行い、日本でも自衛隊の予算が始めてGNPの1%以上になる。
 いきなり核配備を宣言された西ドイツの反核運動から始まって、世界的な反核運動が行われるようになる、各国で100万人規模の集会が行われた。日本でも1982年4月に代々木で数万人の集会があった(大学からそれに参加したものだ)。そういえば、1980年ごろに「ザ・デイ・アフター」というアメリカが核戦争の被害にあうというアメリカのドラマが放映されて、大きな反響を呼んだ。
 この報告は、1980年に発表された。たぶん大統領の指示でこの種の仮想シナリオが作られたのだった。その邦訳。
 作成した機関がもともと政府寄りであって、科学的な公平さと政策支援の立場を両立させるために苦労した報告になっている。文章のトーンは平静であっても、そこに出てくる数字を見ると、悲観的にならざるを得ないことがわかる。米ソの核戦争が起こり、それぞれ軍事施設を目標にする限定的な攻撃であったとしても、死者は数百万人から数千万人になり、負傷者も同じくらい発生する。そして放射能汚染の危機がどのくらい継続するかわからず(このときには1ヶ月後にはシェルターから出ることができると考えている)、被害者支援の見込みもたたない(レポートでは国、自治体などの支援はほとんど当てにならないだろうと読める)。経済的な被害総額と戦前の状態に戻るまで何年かかるか検討もつかない、という状態になってしまう。
 自分にとって問題があるとすれば、多くの数字が現れ、推測が現実的であることを示しているのだが、そこからは「この私」がどうなるかということはほとんど触れられていない。建物の倒壊や延焼などは記載されていたり、放射線障害のことの指摘があるとしても、そこにいる人がどうなるかはかかれていないのだ。われわれは広島その他の経験によって、そこに住む人がどうなるかということを理解できる。とはいえ、その種の想像力を持つことは容易ではなくなっている。後半には、ドラマのシナリオ形式で中規模の核戦争後の世界を描いているが、死者・負傷者・避難民のことが書かれていても、それは数値として現れるものであって、個々の心情を汲み取るものにはなっていない。上記のドラマは比較的リアリティある演出がなされたというが、(当時の)日本人からみると生ぬるいものであり、アメリカからは悲惨すぎるとクレームの出るようなものであった。
 少しこのレポートを評価するところがあるとすると、このレポート作成にあたり科学者グループが調査内容を軍事レベルに限定するのではなく、経済や放射能汚染の長期的な影響などについても言及せよ、素人が読んでもわかるような工夫をせよという内容の勧告書を送ったということ。そのためにこの報告は読みやすい(自分程度の基礎知識を持っているものにとっては、という限定付き)し、付録に仮想シナリオや用語集などが収められている。このような情報公開については、アメリカの公正さが目に付く。翻って日本ではお寒い限り。
 なお、このレポートが出た後(この種のレポートは他にもでていたと記憶する)、科学者の間から批判が起こる。とくに核爆発によって巻き上げられた粉塵が成層圏に到達し、それが太陽光をさえぎるため、平均気温が低くなるというものだった。この観点を加えたシミュレーションが生まれ、多くの人にショックを与えた(M・ロワン・ロビンソン「核の冬」(岩波新書)など)。それを加味すると、このレポート以上の惨事になると理解できる。ポイントは政府主導のレポートで楽観的に過ぎるので、その結論は割り引かなければならないということか。
 核戦争の恐怖が通り過ぎたのは、(1)ソ連大統領にゴルバチェフが就任、ソ連経済が破綻していることを発表、西側との対話協調路線に変わったこと、中国の近代化あるいは市場経済化が始まったこと、(2)イスラム革命が緩和され危機的状況が回避されたこと、(3)1980年代半ばから好況が発生したこと、(4)レーガンの経済政策が失敗し、軍備拡大路線が取れなくなったこと、などによる。
 この種のレポートが出たためとは思わないが、これまでは核戦争の始まりが人類の終わりという物語が書かれてきた。この時期から、核戦争などの危機によって人類が大規模に死滅し、その後生き延びた人たちがいるという物語が書かれるようになった。「アフター・ハルマゲドン」というジャンルは、たとえば、S.キング「スタンド」、R.マキャモン「スワン・ソング」、メル・ギブソン「マッドマックス」、「ターミネーター」、原哲夫北斗の拳」など。ハルマゲドンという言葉が人々への審判であり、その後の生存を一部の人に約束したものであったから、この種のレポートにあるような「多くの人は死ぬだろう、しかし一部の人は生き残るだろう」という便利な都合のいいメッセージになってしまった。刹那的な1980年代後半のバブル景気にあって、終末の向こうの世界へのこのような想像力は人々を魅了したのだ。資本主義(的市場経済)が終わらないように、われわれの生活も終わらない、と。