odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

大江志乃夫「天皇の軍隊 昭和の歴史3」(小学館文庫) 軍隊の中から昭和史を見る。日本の将校団は「世界中で最も専門職業的精神に欠けた主要な軍人集団」。

 著者は陸軍士官学校第60期生。最後の士官候補生で敗戦時の肩書もそうだった。なので、知り合いのなかには8/14のクーデターに参加したものがいる。そのような経歴があるためか、本書の記述は軍隊の中から昭和史を見たものになっている。軍事史研究としては重要なのだろうが、素人には煩瑣。それに政治や経済、国際状況がほとんどない。日本の軍国化をみるには、視点が狭いので、加藤陽子「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」(朝日出版社新潮文庫)などで補完したほうがよい。

南満州鉄道の車中で―はじめに ・・・ ハンチントンによると、日本の軍隊は「世界中で最も政治的な軍隊」として特徴づけられ、日本の将校団を「世界中で最も専門職業的精神に欠けた主要な軍人集団」と規定できる。帝国陸海軍はいつのまにかみずから「皇軍」と称するようになった「天皇の軍隊」である。

天皇の軍隊の崩壊 ・・・ ポツダム宣言受諾以降の日本軍のてんやわんや。陸相は部下と一緒にクーデターを計画したが、ひとりの高官の反対によりとん挫した。大宅壮一編「日本の一番長い日」(角川文庫)陸相がクーデターをあきらめた後のドキュメントになる。一部決起した将校や兵士もいたが、多くは勝手に離脱除隊した。その際には物資を隠匿する者もいて大混乱になる。高級将校には自決した者がいるが戦争責任を果たす意図よりも、戦争犯罪人として処罰することを恐れたため。ミズーリ号の調印式の出席者を決めるにあたり、ほとんどの将校は拒否し他人に押し付けた。武士道の発揮どころか、単なる官僚的保身に走ったのである。占領軍が来たあと、国内情報収集のために元軍人を大量に雇用した。こうして軍人はアメリカから給料をもらって生活したのである。

国民皆兵の軍隊 ・・・ 「徴兵制(岩波新書)」のまとめ。18歳から38歳までの壮年男性を徴兵し予備役その他の役務につかせた。その結果、徴兵されたものは低賃金・残された家族の貧困化・除隊後の失業になり、徴兵されないものは行動の自由が束縛されるなど不利があった。高い税金、軍事予算の過大に加え経済生産性を下げた。学校教育に軍事教練が取り入れられ、在郷軍人会が地域ボスになった。

「たんに健康な青年を一定期間だけ軍隊に徴集する制度ではなく、国家全体を軍事化する制度であった。このような国家を、ョ-ロッパでは兵営国家と名づけていた(P89)」

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軍隊、将校と下士官兵 ・・・ 入隊後、兵士は暴力にさらされ、絶対服従を強要される。

「兵営ハ苦楽ヲ共ニシ死生ヲ同フスル軍人ノ家庭(軍隊内務書1921)」

とかんがえるところから。一方、将校は軍隊専用のエリートコースで勝ち残ったものだけができる。しかし彼らは知的でなくイノベーションに不足し暴力を制御するすべをしらない非プロフェッショナルだった。日本の著名な軍人はたいていはのちに政治家に転身したもの。
(戦後にできた同族企業やワンマン企業の経営者が「わが社の社員は家族」というのは、軍隊のスローガンを焼き直したのだろう。すなわち絶対服従させる口実が「家族」なのだ。)
2015/03/27 野間宏「真空地帯」(新潮文庫)-1
2015/03/30 野間宏「真空地帯」(新潮文庫)-2
2015/03/31 野間宏「真空地帯」(新潮文庫)-3

軍事官僚と政治軍人 ・・・ もともと軍隊閥から政治家に転身した者は多いが、日露戦争後に陸軍士官学校卒業生が現役中に私的懇親会を作り政治活動を始めた。人事権を幼年学校出身者が握り、軍隊内で派閥抗争を繰り返した。1920年代の軍縮で軍人の政治活動が強くなる。226事件などの背景には将官の政治抗争があった。なおWW2のA級戦犯日露戦争での戦場未体験者ばかり(陸士18期以降のメンバー)。

帝国国防方針と統帥権 ・・・ 憲法では統帥権天皇のみが持っていたが、実質的に公使されることはなかったので、陸海軍を統一指揮する機関はなかった。WW1後の不景気と関東大震災のために軍縮を進めたい政府と権限喪失を恐れる軍部が議会で衝突する。統帥権を掲げて陸軍の越権と独走が起こる。それを糺す力が内閣と議会にない。1930年浜口首相が暗殺され、軍部の力が増す。軍部は一枚岩ではなく、内部では派閥抗争が続いていた。知的向上心を封じられたので軍人の関心は軍事研究から人事と政治に移る。1923年の帝国国防方針で仮想敵国がロシアからアメリカに変わる。

昭和の軍閥 ・・・ 関東軍が越権と独走を繰り返す。1928年張作霖爆殺事件、1931年満州事変を起こす。その際に、軍隊による中国人虐殺事件を起こす。軍隊による組織的なジェノサイドのかなり早い時期の一つ。これは隠蔽された。関東軍の独走を内閣と議会は止められない(ちなみに昭和天皇は厳罰を命じる。彼が政治力を行使したひとツ。昭和天皇戦争犯罪において無罪ではない)。

軍部主導の国策 ・・・ 1930-1936年ころ。満州事変を起こし満州国を建国。国際連盟脱退(1933年通告)。軍縮条約失効(1935年)。再軍備計画を発動し、国防方針を再策定(そこでは仮想敵国がロシアのほか、アメリカ、イギリス、中国が加わり、国力を越える軍備能力が必要とされる)。陸軍内では皇道派と統制派の派閥抗争。1936.2.26のクーデターで統制派が権力を握り、東条と梅津が人事権を持つ。国防方針、作戦要務令などは秘密にされたので、技術革新に乗り遅れ、古びた戦術の固執精神主義が蔓延した。
ミッドウェー海戦にダメ出し。真珠湾攻撃の成功からこの海戦の失敗が始まっていた。)

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軍備拡張と改変 ・・・ 日本の軍隊ダメ出し。古びた量産できない兵器、技術開発の遅れ、人命軽視、デタラメな製造、不足する兵站、使い物にならない戦術に固執。師団を急増し、それまで徴兵しなかったものを兵士にしたので、質が落ちた。
宮崎駿の「風立ちぬ」にまったく感動しなかったのは、戦場とそこで死ぬ兵士を描かなかったことにあるな)

戦争の泥沼 ・・・ 1937年に戦域を中国南東部に拡大。1938年南京事件を起こす。同年にノモンハン事件関東軍が大敗北する。いずれも軍部は隠蔽。ずさんな戦争指示の例として辻正信の半生をみる。
南京事件の記述としてはかなり早いもの。単行本は1982年。ただ東京裁判で取り上げられたために、日本軍の残虐行為が南京事件だけにフォーカスされるのはよくない。被害はその後の中国戦線のほうが多かったのだ。)

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皇軍”の自壊 ・・・ 1941年に戦域をさらに拡大。対戦国の準備が整わないうちは「勝利(陣地を奪った程度の意味)」したが、持久戦になると戦力が削られ、1944年後半には崩壊した。指導者たちの官僚的態度、事なかれ主義、仲間内のかばい合いがあり、実情に合わない作戦で兵力を損耗し、司令官が敵前逃亡するまでに至った。兵士は戦場に放置され、占領地や戦場の民間人を大量虐殺した。南方諸島では大量の病死と餓死となった。国内では総動員のため労働力が不足し、生産性と品質が落ちた。軍紀は乱れる。指揮官は無責任。兵士はふてくされ暴力化する。

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天皇の軍隊と自衛隊―おわりに ・・・ 1980年代の日本では自衛隊文民統制が働いていない。

 

 あまり熱心に読むことができないのは、二度目の読書だからというのもあるが、登場する日本の軍人の素行にほとほとあきれ返るから。愚者ばかりというのは知っていたが、これほどひどかったとか。本書での発見は、20世紀前半の軍国主義を指導した軍人政治家は戦場体験を持たなかったこと(大学や学校の学生だった)。現地や戦場を知らないものが、理屈に走り、機密を独り占めにし、イデオロギーで現実に対処しようとした。その結果がWW2の悲惨と苦痛をもたらした。
 軍人が政治家に転身するのは、必要な知的技能や専門職業的な責任を持てなくなったことを証しているを気づいた。21世紀にも元自衛官が皇国イデオロギーの極右「論客」として登場する例はたくさんある。