odd_hatchの読書ノート

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室賀信夫「日本人漂流物語」(新学社文庫) 江戸時代からこの国の住人と政府は外国人が嫌いで、おもてなしをしなかった

 3つの近代の漂流譚が収録。まれに古本屋でみかけることがあるが、非常に入手しにくいだろう。

孫太郎ボルネオ物語 ・・・ 1764年。ミンダナオ島に漂着。以後、ボルネオ、ジャワ、スマトラを経由して帰国。7年ぶり。

太夫ロシア物語―第一編・第二編― ・・・ 1783年。アリューシャン列島アムナトカ島に漂着。カムチャツカ、オホーツク、ヤクーツクと移動。代表の光太夫博物学者キリル・ラックスマンと知り合い、1791年に帰国の許可を得るために、モスクワまで長途の旅に出る。エカテリーナ女帝に拝謁。帰国許可が出て、1792年帰国。

韃靼漂流物語 ・・・ 1644年。韃靼の漢語はむずかしいので、現代の地名におきかえると、ウラジオストック近辺に漂着。南満州を経由して、北京にいく。以後、朝鮮を縦断して対馬経由で1647年に帰国。


 物語はいずれも同じ進み方。難破、飢餓、絶望、島または大陸への到着、現地民の援助によって生存、統治する都市に移動、帰国許可、移動、帰還(ここで幕府の吟味をうける)。漂流経験者は彼らだけではないけど、帰国後、役人や学者の興味を引いて記録が作られたことから彼らの名前を冒険が後の人に知られることになった。
 いくつか。
・海洋貿易の組織網が中世以来、この島国に張り巡らされていたこと。ある程度の巨大資本でないと経営できないが、そういう私集団というか組織ができていたのだった。渡海することが禁止されていて、沿海・近海だけに運行が限られていたから、参入しやすかったのかしら。
・漂流民に対して現地民(本書では「土人」だけど、1969年初版だから気にしないの)が、例外なく好意的に迎え入れ、積極的に援助し、報酬を求めない。これはロシアでもミンダナオでも韃靼でも同じ。あるいはエカテリーナ女帝率いるロシアの宮廷でも。
・逆に、当時の江戸幕府は漂流からの帰還者に冷たい。役所に留め置いて移動をなかなか許さないとか、異国の話はまかりならぬとか、その他。
・主人公たちは帰国者であるので当然なのだが、望郷の念強し。その場所で生きようとか、そこで一旗揚げようとか、新たな貿易の試みをしようとか、そういう自立というか起業の気持ちは薄い。これは彼らに限ることではなく、それこそ遣唐使の時代から今日の海外留学者まで、行ってそのまま異国で生涯を終えようという人は少ない。やむを得ず帰国しない人も、望郷の気持ち、祖国に戻りたい(多くは両親や家の墓参りをしたいということで表現される)と言っている。ここらへんはたとえば華僑とかアメリカ移民などとの大きな違い。