odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

神山典士「「日本人」はどこにいる」(メディアファクトリー)

 著者のやりたいことのひとつである「日本とは何か」を、多くの人のインタビューやレポートで考察したもの。武道家成田闘争参加者、ストリップ劇場小屋主、宗教家その他のさまざまな職種の人が登場する。もともとは個別に雑誌に発表されたものであって、本にまとめるにあたって、手を入れたことだろう。それでも全体の構成がまとまっていないということがあって、著者の考える「日本人」の姿が今ひとつ明確にならない。質実、倹約、礼儀、相互扶助などの昔の気風を重視しているようだが、それが具現するものとして武道家を称揚しているようで、うーんとうなってしまうことになる。
 人は社会的な動物であって、一人で暮らすことはできず、どこかで共同体に所属しないといけない。とりわけ日本人は共同体への所属感が重要で、個我のことなど無視しても、所属している感覚を優先することになる。著者は組織に所属することを厭っていて、一匹狼的に生きている人に共感を持っている。ここに登場する人物はたいてい同じような志向の持ち主で、会社員なんかになれない、一時期なったとしてもすぐさま転職してしまっている。そして、自分のやりたいことを見つけたら、周囲の雑音に目もくれず、貧乏生活であってもそれを嘆くことなくむしろ楽しんで暮らす人たちである。彼らの生き方にこそ、著者は「日本人」がいるようだ、と思っているらしい。とはいえ、端から見ればうらやましい自由な生き方であっても、束縛がないことは孤独であることであって、問題が起きたときには壮絶なほどに厳しい状況にいたることになる。このあたりを生き抜く強さというのは、あんまり人が持ち合わせていないものだ。
 たぶん自分の違和感は同時代人を並べるような仕方の「日本人とは何か」のような問題設定がそれほど役に立たないと考えているせいだな。こういう「問題」が出てくると、自分の思考のくせで、例外事項がないかから考えるんだ。たとえば、ブラジルやモンゴルで生まれて成人になってから帰化した人と、あるいは成人を過ぎてから外国にいってその国の永住権や国籍を取ったりした人は、この国に生まれ住み死ぬ人と、どこに共通するところがあるのだろうか。あるいはこの国の伝統といっても、和歌や浄瑠璃その他の伝統芸能をたしなむ人はどのくらいいるのだろうか。この国の唱歌はだれもが歌えるということになっているが、人口に膾炙するようになったのは20世紀の初めの唱歌・軍歌運動があってから。そんな常識とか日常意識から「日本人」というナショナルアイデンティティをなにか抽出することに意味があるとは思えない。それにナショナルアイデンティティは通常、周辺諸国との関係から生まれてくるのだしね。かりにナショナルアイデンティティを抽出できたとしても、それは何かのイデオロギーを代弁するか、だれにも当てはめることのできない抽象的なものになるだろうし。あとは運用が恣意的で、ときに乱暴になるからねえ。
 そんな具合に考えているので、この本にはのれなかった。
 一方で、網野善彦歴史学とか宮本常一民俗学に現れる「日本人」には激しく興味をひかれるわけで、まあ、一貫性のなさは笑ってくださいな。